私だから守れるもの
私は北海道道央の家で生まれました。
家の目の前は畑。道路を挟んで牛舎があり土地全体は国有林に囲まれています。
父親が酪農や農業を生業としていたため生まれてからほとんどの時間をこの地域で暮らしています。
21歳の旅行など長期間家を離れることは両手の指に納まるほどの日数しか経験がありません。
この家に生まれたおかげで
私には動植物が心の支えとして深く根付きました。
その大切な土地がなくなってしまいます。
正確には酪農事業を維持することが難しいため、土地を手放す必要があると父が判断しています。
優しい父は自分の子供世代に管理に手間もお金も掛かるだけのモノを残さないように懸命に買い手を探しています。幸か不幸か、まだ取引相手は居ません。
「お父さん、私が買う」
そう言えるだけの力が欲しくて
日々この土地をどう活かしたらいいのかを研究しています。
このNoteはその活動を見てもらうために始めました。
活動テーマは
「植物と生きる」
「私の描く美しさの追求」
今年はまず、自分が生きていくだけの食料を作ることから始まりました。何て小さな一歩なのかと途方に暮れるばかりです。
畑作りは初めてではないから一人でできる。
そう意気込んでいたのは思い過ごしでした。
今までは母のサポートがあり、私は好きなときに作業を「手伝っていた」に過ぎなかったことに気が付きました。
今、2拠点生活をしており、畑に行けるのは週末や平日午後に時々2時間。
いつも作業が未完了で育てている植物にごめんね、またね、と言うしかできない甲斐性のない私です。
それでも、実際は畑を覆い尽くす植物の勢いに負けないように格闘することが楽しくて、この土地が大好きという思いがすくすくと育つのを感じています。
小さい頃は歩くだけで良かった。ただ眺めているだけで良かった。無くなることなんて一切考えたこともなかった。
私が引き継ぐなんて発想にならなかった。
それでもいつでもあって当たり前だと信じていたのに。
父はいつか死ぬ。
母もいつか死ぬ。
親族も既に高齢。
兄は単身違う土地で暮らしている。
土地は最終的には誰かの所有物となるのでしょう。
事業者かもしれない。
国かもしれない。
そんなの嫌。
だって、
「この土地を深く知っているのも愛してあげられるのもこの私ですから」
どんな大国にだって不可能なことが私だけにできる。この事実に私は誇りを持っています。
なんとしてでも他の誰かの手に渡ることを食い止めたい。
時間は刻々と迫っています。いつこの土地がどうなるのか、父はあまり話したがりません。暗闇を進む不安を感じます。私には知らないことが多すぎる。焦りを感じます。一体誰にどんな言葉でSOSを伝えればいいのかわからない、そんな無知な私のみっともない足掻きを眺めてください。
眼の前の土地が守れなくて、どう地球の未来を守っていくつもりですか。
自分によく投げかけるこの問に苦しむ日々です。美しいこの土地を未来に美しいまま繋げたい。それは命を守る財産に必ずなってくれるから。
今の私ができることがその役に立つことを願って粛々と日々を過ごして。大きな夢が現実になりますように。
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