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さようならの流儀〜続・もし、あのとき。〜
私はさようならが苦手だ。
特に、「お互いこの世界に生き続けるけれど、もう2度と会わない約束をするさようなら」が苦手だ。
この類の別れは、一方が申し出ることで成立してしまうのが肝で、
なかなか受け入れることができない日々を私はついつい過ごしてしまう。
とても長い時間はかかったけれど、そこから脱却する方法をきちんと言語化できたので、そんな時のことをちょっとだけ、私のために、そして私と同じような道を辿っている方のために、役立つかわからないけれど、書き記しておきたい。
実は私は2年ほど自分の気持ちに踏ん切りがつけられずにいた。1%でもチャンスがあるのなら、という思いと、その思いのままでいることの方が、つまり現状維持でいる方が楽なだという惰性から踏ん切りがつけられなかったのだと思う。もっと言えば、あの時の別れに納得していない自分がいたのかもしれない。
それでも、時間は流れ、環境は変わっていく。
その中で自分と環境の歪みに違和感と憂鬱さを覚え、それは日に日に大きくなっていった。
「ご縁は一度手放してみると良い。本当に必要なご縁なら必ず元に戻ると」いうような格言を聞いたことがあるけれど、私の場合は手放しきれず、必死に掴もうとしていたのでスタートラインにも立てていなかった。
やっと正しく認識できた私にとって必要なことは、
「ちゃんと自分自身で決める・決意すること」だった。
今まで相手の出方を見たり、周りに意見を聞いたりして、ある意味翻弄されながら行動をしていた。もちろん意見を聞くことは大切だが、
それ以上に「誠意と持って自分がどう終わりにしたいか」を明確することが大前提だということにやっと気づいた。
ちゃんと自分で決めて行動すれば、たとえ想定と違ったとしても傷ついたとしても、「ああ、これで良かったんだ」と思えるはずだ。
「さようならの流儀」とは、
「誠意をもって自分と相手と向き合い、自分でここで終わりだと決めること。後ろを振り返ってもすぐ前を向いて歩き出せること」だと思う。
時間がかかっても良いと思う。誰かに頼ってもいいと思う。
実際私も時間はとてもかかったし、カウンセラーさんやたくさんの友人に頼ってきた。
その過程で、自分がどうしたいのか、一度終わりにするのであればどういう終わり方だと自分が納得できるのかを考えておけば良かったなと思う。
私の場合は直接彼に「結婚すること」を伝えることだった。
そうすることで、彼とも、結婚とも正面から向き合え、気持ちに一区切りつけることができた。
その方法は十人十色だと思うので、自分に合う方法をぜひ見つけていただくのが良いと思う。
「人生は小説より奇なり」とはよく言ったものだと思う。
なんとなく、私と彼は、またどこかの地点で、人生の長い糸が交差するような気がしている。
その時まで、さようなら。
私と出会って、たくさんの学びを与えてくれて、ありがとう。