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インド楽しいから行こうよ(クルクシェートラ編)

3/12 追記 ビーシュマとドローナを混同している記述になっていたので、該当箇所は訂正しています。アルジュナの師はバラモンのドローナで、ビーシュマはクル族の長老です。

ほんと長くてごめんなんだけど、前回までのあらすじ

クルクシェートラはマハーバーラタやFGOのアルジュナが好きな人はぜひ行ってほしい。
前回(2020年)は感動と興奮のあまり数回に分けて書いている。(読まなくていい)

クルクシェートラとマハーバーラタ

インドには二大叙事詩『ラーマーヤナ』と『マハーバーラタ』がある。インド映画が好きな人は読むと物語の構成の理解が深まるだろう。S・S・ラージャマウリ監督の『バーフバリ』や『RRR』がいい例だ。
クルクシェートラは『マハーバーラタ』の最後の戦争の舞台となった場所だ。「マハー」は偉大な、「バーラタ」はバラタ族を指し、偉大なバラタ族というタイトルだ。(現在のインドの正式名称の一つであるバーラトはこのバラタから来ている)
『マハーバーラタ』は親族同士の王権相続争いが主なストーリーだ。あらすじは多く書かれているので割愛する。

クルクシェートラとはどのような場所か?クルクシェートラのあるハリヤナ州のHPから引用する。(以降翻訳は全て自動のもの)

文献的証拠と物的証拠から、クルクシェートラ戦争は紀元前 1200 年から紀元前 1000 年の間のどこかで起こったと言えます。当時、この場所はクル王によって統治されており、その名前にちなんでこの場所はクルクシェトラ(「クルの場所」を意味する)と呼ばれていました。

ハリヤナ州の行政HPより

州のHPに「地名辞典」なるものがあったのでこちらも引用する。

Both on the historicity and the date of the Bharata war, there has been much controversy and speculation amongst scholars. Largely, the controversy has arisen due to the conflicting nature of evidence - literary, archaeological and astronomical. But a critical and comparative study of these sources leads to a reasonable inference that the battle was an actual historical event extending roughly over the area covering Kaithal, Pehowa, Thanesar and Amin and took place in all probability between 1200-1000 B.C.
バーラタ戦争の歴史性や年代については、学者の間で多くの論争や憶測がある。論争の大部分は、文献学的、考古学的、天文学的証拠という相反する性質のものから生じている。しかし、これらの資料を批判的に比較検討すると、この戦いは、カイタル、ペホワ、タネサール、アミンをほぼ網羅する地域で実際に起こった歴史的出来事であり、紀元前1200年から1000年の間に起こった可能性が高いという合理的な推論が導かれる。

KURUKSHETRA DISTRICT GAZETTEER p.4

引用にあるクル王はマハーバーラタの主要キャラたちの先祖とされている。
バラタ族の戦争は「紀元前1200年から1000年の間に起こった可能性が高い」とのことだが、「マハーバーラタ」の物語が編纂されたのは紀元後400年ごろとされる。かなり時代が下るので注意したい。

同行していたインド人ガイドさんはヒンドゥー教徒で、ちょうど10月の「ナヴラトリ」のお祭りに合わせて7日間断食をしていた。
「だからクルクシェートラのような聖なる地に来られる事は自分にとってもありがたい事なのだ。」と話していた。

The holy books open with the verse that Kurukshetra (the land of Kurus) is Dharmashetra (the land of righteousness).
聖典の冒頭には、クルクシェートラ(クルスの地)はダルマシェートラ(正義の地)であるという一節がある。

KURUKSHETRA DISTRICT GAZETTEER p.5

チャンディーガルから車で2時間、もう着いた

クルクシェートラの市街地に入る
門にクリシュナ・アルジュナがいる

クリシュナミュージアム

カメラやスマホで撮影したい人は追加料金を払う
これはインド観光であるあるなので注意
リス 嬉しい
展示室内 美術品と博物館のような蝋人形の展示がある
ドゥリーヨダナのオタクおなじみのサイコロ賭博のシーン

右側のパーンダヴァ五王子達は王冠を外しているので賭博に既に負けていると思われる。
手前右側の前に座るのは後の王のユディシュティラで、隣にいるのはその弟ビーマだ。棍棒を持っているので怒っているのだろう。手前左側中央でふんぞり返っているのが敵方の大将であり主人公たちの従兄弟でもあるドゥルヨーダナだろう。

中学生くらいの子どもたちも校外学習に来ている
こんなシーン、あの映画で見た人も多いだろう
ハトも入館できる

ブラフマーサローヴァー

For the present, we can only suggest that the place which can possibly deserve this distinction is the area round the sacred tank (Brahmasara) which came to prominence as a centre of philosophical speculation long before the Mahabharata .
今のところ、この区別に値する可能性のある場所は、マハーバーラタよりずっと前に哲学的思索の中心地として脚光を浴びた、聖なる水槽(ブラフマーサラ)の周辺であることを示唆することしかできない。

KURUKSHETRA DISTRICT GAZETTEERp.3-4

おそらくこのBrahmasaraはブラフマーサローヴァーを指すのだろう。ここはブラフマーが生まれた場所だとされている。
マハーバーラタでは悪役の王子ドゥルヨーダナが水の中に潜って隠れたともされている。(クル王がこの湖を採掘したという話もあるがソース不明)
ガイドさんが「ここは天然の湖で中心部の水深は深いと言われている」と話していた。真偽は不明だが、上の引用で考えると本当に昔からある天然の湖で、古代から神聖な場所だったのかもしれない。

お土産も絶好調 サトウキビジュースの屋台も並んでいた
奥に見えるのはシヴァ寺院

寺院はどこもそうだが、靴を脱いで上がる。敷地内には他にもたくさんのヒンドゥー教の寺院がある。

弓を持つのはアルジュナ、御者はクリシュナ、上には猿のハヌマーンがいる
アルジュナは2神の加護があったのだ
クリシュナとアルジュナとハヌマーンとアルジュナ

アルジュナの兄ビーマは風神ヴァーユの子だ。(つまりアルジュナと父親違いの兄弟)猿のハヌマーンも風神ヴァーユの子であり、ビーマとは母違いの兄弟である。
つまり、アルジュナとは…?混乱する関係性だ。

別角度

ビーシュマ・クンド

アルジュナが地面に矢を放ちガンジスの水を噴出させ、死にゆく敵であり師でもあるビーシュマの喉の乾きを潤したという伝説の場所となっている。
※師匠はドローナです。間違えました…。

ここは強気な額の賽銭を求められるので注意したい。バラモンが「500ルピー(890円)出してください」と言うので、私は「すみません、紙幣がなくて」と50ルピー(90円)を出した。それでも日本の一般的な賽銭より高い。
ちなみに500ルピー札は一番高額な紙幣だ。(どういうつもりなんだ)

きっと入ったら止まらなくなるタイプのレトロさだ
入口
死にゆくビーシュマはアルジュナ達に教えを説く
手前は沐浴のための池が広がっている
祈祷に向かう人と靴がなかなか履けないガイドさん

クリシュナがギーターを説いたバニヤンの樹

本当にここで、ヒンドゥー教の聖典バガヴァッドギーターが説かれたかは分からない。ただ、人々に信仰される場所であることは間違いない。
靴入れがあるので靴を脱いで入る 。宗教施設の参拝が多い人は歩きやすいサンダルがマストだ。

触って鳴らしていた
どうやらこのシヴァ寺院は壊されてしまったようだ
ムガル帝国と関係あるのだろうか
ヒンドゥー教の聖典「ギーター」のシーン

アルジュナの従兄弟であり親友のクリシュナ(左)は自身がヴィシュヌ神(中央)の化身であることをアルジュナ(右)に伝える。

ドゥルヨーダナ(左)と自身の誓いを守るためにドゥルヨーダナ側についたバラモン、ビーシュマ(右)
※ビーシュマはクシャトリヤです。こちらも訂正します。
ハヌマーンの祠

ハヌマーンはラーマーヤナでスリランカ島に行って帰ってきた逸話があることから、交通安全のお守りとして車に付けることもある。
ドライバーさんは特に熱心に拝んでいた。

クリシュナとアルジュナ
どうだいここは
とても気候がいい 10月で正解だ
元気だ
日本から来たと話したら10数名の中学生?に質問攻めにあう。
私より英会話が上手だ こういう時のために精進せねば
ありがとうアルジュナ

これのためにインドに来た

前回の旅行でバラモンのアシュヴァッターマンのレリーフは見たが、時間がなく他のものは見られなかった。これが2020年から最大の心残りだった。
「それなら端から見ていこう」とガイドさんから提案があり、昼食後に本当に東端から順番で探した。
レリーフは東側エリアの中央付近にあった。昼は照り返す日差しが強かった。

アルジュナとカルナ

戦車の車輪が持ち上がらないカルナをアルジュナが仕留める
クリシュナは今だと言わんばかりの動きだ

実は異父兄弟同士の戦いである。

ビーマとドゥルヨーダナ

棍棒でドゥルヨーダナの左腿を叩くビーマ
"Vyas"はヴィヤーサ このブラフマー・サローヴァーと同じ場所かが分からない
なので、これだけではドゥルヨーダナがどこで死んだかは分からない

余談

交差点にいるアルジュナ

交差点にアルジュナの像があり、何かと調べたらこの寺院が出てきた。
FGOの聖地巡りをしている人が訪れていた場所はここかと、こんな方法で知るとは思わなかった。

カルナル

ガイドさんになぜここを見たかったのか?と聞かれた。
観光地はないからだ。
「マハーバーラタが好きで、カルナが作ったとされる街に来たかった」と話した。そして、インドの神話は日本のゲームで多く扱われるモチーフであることも話した。
ガイドさんは「日本にもカルナはいるし、インドにもカルナがいる。ありがたく、面白いことだ。」と話していた。
旅行中何名かのガイドさんとこの話をした。
皆そのような反応だったのでアクスタと写真を撮ることができた。
皆さんの寛容さに感謝したい。

クルクシェートラ→カルナルへ

カラン・パーク

カランはヒンディー語でカルナである。そのままの名前だ。

カルナ像
普通にいい感じの公園 遊具も多かった
ありがとうカルナ

Karna Lake

湖の周りは公園になっている。人がいないように見えるが池の周りのベンチには本を読んだり寝ている人がいた。のんびりとした場所である。

朝なのでボートはやっていない
昼はボート客でいっぱいなのかもしれない
カルナ
カルナだ
カルナとカルナ

ありがとうアルジュナにカルナ。インドに2回も行くなんて数年前の自分は思わなかっただろう。これだけの行動力をつくり出した彼らには感謝しかない。

デリーからグワーリオールに向かおう

感謝をしたところで公園を出発しデリーへ向かう。
デリーで一泊し翌日はグワーリオールに向かう。
位置的には世界遺産のカジュラホが結構近い場所だ。
デリーから車で大体8時間かかる。
グワーリオールは1858年にラクシュミー・バーイーがイギリス軍と戦った最期の地である。
今度はその城砦を中心に見学する。

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