
心に雨が降る日とは、の話〜東畑開人『雨の日の心理学』
やすこさんへ
谷川俊太郎さんの訃報に、少し寂しくなっている今週です。急に寒くなったし、なんだかしょんぼり。(寒いと気持ちが沈むのは私だけ?)
気を取り直して。先週紹介してくれた『ゴーストアンドレディ』がナイチンゲールの物語だったので、看護=ケアつながりで、私は今日は東畑開人さんの『雨の日の心理学 こころのケアがはじまったら』について書こうと思います。
この本、東畑さんが2023年に行った5日間のオンライン授業をまるっと書籍化したもの。まるで実際の授業を受けているような感覚で、ケアとはなにか、どうすれば心をケアできるのかについて、にわか学生になって学ぶことができます。
身近な人の心に雨が降り出してしまったら、どういうケアが必要なのか。ケアの本質とは?ケアとセラピーはどう違うか?などなど。
私は心のケアが必要な場面に今は直面していないけど、それでも興味深い内容に引き込まれたよ。
心って皆それぞれ形が違うし、その時によっても変わるから、親しい人どころか自分の心すら、時にわからなくなる。励ましのつもりでかけた言葉で相手を傷つけることもあれば、普段なら気にならないような相手の何気ない振る舞いに、どうしようもなく傷ついてしまうこともある。心って、厄介だよね。
そんな傷つきやすい状態の『雨の日』の心は、総じて「わかってもらえない」という絶望や、孤独を感じていたり、他人が信用できずに怖くなっている状態みたい。人間って思った以上に、他人とのつながりや、受容される事を求めているんだね。
そう考えると、心の健康度=他者への信頼感、と言えるのかも?
そう言えば「他力本願」ってあるじゃない?他人まかせというネガティブな意味で使われるけど、本来の仏教用語では、阿弥陀如来の本願によって救済される、って意味なんだって。なので、「いえ、私は自力で!」とあくまで頑張っちゃう人を、阿弥陀様は救えないという考え方があるらしいの。頼ってくれないと救えない。
同じように心が弱った時にもさ、自分だけで頑張ろうとしないで、他者に「助けて」って言えると救済が早いよね。まあそれが言えないから病むんだろうし、実は私も「助けて」が言えないタイプなんだけどさ。
どうしたら人を信じられ、人を頼れるかは、心のケアを巡る究極の問いだと東畑さんも書いているけど、雨が降ってからだと難しいから晴れの日のうちに、頼り合える関係を周囲と築いておく事がきっと大事なのよね。難しい〜、でも少しずつ、かな。
心は難しい。でもだから興味が尽きない。東畑さんの他の本も読んでみたくなったよ。
2024年11月22日
かおりより