【短編百合小説】彼女は私の神様
今日は、私が好きだったものの話をしたい。
今らしく「推し」と表するなら、私の推しは物語の中にしかいない。彼女はこの世界には存在しない。存在しないからこそ、彼女は神様みたいに完璧な人だった。
いつも笑顔だけど悲壮感に溢れていて、辛い過去を思うとその顔にはどこか暗い影がちらついているように思える。友達はたくさんいるけど、きっと誰も彼女を理解してはいない。彼女は周りに与えるばかりで、自身を受け止めてくれる人はいない。自分の身を焦がし続けながら、なおも神様のように周りを照らす。
こんな言い方をしては痛く捉えられるかもしれないけど、彼女は太陽か月かで言えば紛れもなく月なので、ここではツキという名前で呼びたい。
彼女はこの世にいないが、決して触れられないわけではない。ツキは、お金と時間と健康な体さえあればとても近い距離で出会える。
いないのに出会えるというのは、察してもらえた通り「誰か」が「ツキ」を演じているということだ。
ツキを演じる「その人」のことを、私は何も知らない。これを読んでいる人が思っている以上にだ。名前も顔も声も性別も言語も、本当に何も分からないのだ。
話をツキに戻したい。初めて私の前に姿を現したツキは、彼女自身ではなく「その人」が演じる彼女だった。彼女と出会える場所に行ったのは、まだ幼い頃。私は体が悪く、一緒に訪れた友人たちの入っていく施設の中には足を踏み入れられなかった。母親とともに、木でできた冷たいベンチの上で友人が帰ってくるのを待っていた。
こんなところに来たって、私は何もできない。だから私は、こういうところが嫌いだった。狭いベンチに置いていかれた友人の水色のビニール製リュックが私に触れていて、手の甲の体温をずっと奪っていた。
友人たちの後ろ姿が消えていった、派手な装飾の入り口を見つめている。
私はいつも、その先に行ってみたかった。
私が行けないアーチの先へと、当たり前のように笑顔の人々が入っていく。私と同じくらいの男の子、その手を握るお父さんとお母さん、私より年上の制服を着たお姉さん。その誰かが私の手を引いて、ここから連れ出してくれたらいいのにと思った。
そんなとき、誰かが私の肩を叩いた。そこにいたのは、見たことのないにこやかな女の子の姿。それがツキだった。
私が思わず立ち上がると、ツキは私に行きたい意思があることを確認してから、私の手を引いた。毛糸の手袋みたいに暖かい手が、強く、優しく、ただ私の冷たい手を握っていた。
アーチの先には連れていってくれなかったけれど、ツキはそばを歩いていた小鳥の親子のところまで私を案内してくれた。子どもみたいに小鳥の真似をしたツキを見て思わず私が笑うと、ぱぁっとその顔が明るくなった気がした。腕を伸ばしたその手におずおずと近付いたら、優しく抱きしめてくれた。
暗闇の中で、色とりどりの花がふわりとほころぶ感覚がした。
それから私は、帰りの土産屋でツキのぬいぐるみをねだった。彼女と同じ顔をした二頭身のそれを、棚の最上段に見つけた時の昂りと言ったらなかっただろう。私は混雑する帰りの駅の中で、線路に吸い込まれないよう深く深くそれを抱きしめていた。
ぬいぐるみを抱いて眠った夜、夢を見た。先ほど人混みに揉まれた、あの駅のホームに私はいる。ひどく混み合っていたはずのそこには誰もいなくて、目の前にツキだけが立っている。彼女はわざわざしゃがんでから私の目を見て、これからよろしくね、と笑った。
ツキの物語に触れたのは、その数日後。物語を通して、私はより強く彼女へ傾倒することとなった。
彼女は一見、平和な世界に生きる明るい人物に見える。だけど物語の最初からしっかり見ていくと、本当は辛い過去を持つ人物像であることがわかるのだ。
悲しい過去を持っていながら、それを周りには晒さない。彼女はいつも、ただ光を見せ続ける。
己の身を灼きながら周りを照らす彼女に、眩いほど照らされたい。子どもながらにそう思った。私の甘えを、彼女は全身で受け止めてくれる。その身が火傷だらけだとわかっているからこそ、弱さを預けてしまう。ツキは私の神様だった。
大人に近づくほど、私の部屋にはツキの顔が増えた。シール、缶バッジ、ストラップ、ぬいぐるみ、それぞれ違う顔のツキがいる。頬に指を添えてきらきらとした目を細めるツキ。何かを思い悩むように、それでも周りを不安にさせないよう、ややおどけた表情で眉をひそめるツキ。
私の手を引いてくれたツキに会える機会は、自身の身体の関係であまり多く得られなかった。あのツキを見るのは、彼女と出会った人が残す映像媒体の中が主だったと思う。それでも出会ったときにはひたむきにその姿を追ったし、多くの人々を笑わせる彼女にいつも心を揺さぶられていた。
その姿を見ていくうちに、私は彼女自身だけでなく、見た目から中身まで素性をひとつとして知り得ない「その人」にさえ惹かれだしていた。
その人は信じられないほど完璧にツキを演じた。彼女が喜ぶときにさりげなく頬を触ったところを見たときは、目の奥が熱くなるような感覚さえした。
頬に触れる仕草で泣きそうになるなんて馬鹿みたいかもしれない。でも、その仕草は作中ツキがさりげなく何度も行う癖なのだ。きっとあの人は、それこそテープが擦り切れるほどにあの作品を見たのだろう。さりげない仕草、肩を震わす笑い方、愛らしい筆跡、何もかもツキだった。
ただ演技が上手いだけではない。その人は重りとさえ呼べてしまうような衣装を身にまとっていながら、それを重りでなく本当の体の一部のように扱っていた。悪い視界とふらつく足元をハンデに抱えていながら、ツキは階段を降りる際に下を一切見ない。私はほとんど普通の体だが、いまだに下を見ながら階段を降りてしまうのに。
きっとそれは、「軽やかに歩くツキは、階段を見ながら降りたりしないだろう」という「その人」の解釈が生んだ努力の賜物だ。階段の降り方一つで感銘を受けるのだって、笑いごとに取られるかもしれない。でもこれは、あの頬を触る仕草と同じように魂がこもったものだと本気で思っている。
なぜその足で自由に踊り、駆け回れるのか。なぜ周りの人の足を踏んだり、子どもにぶつかったりしてしまわないのか。なぜその装飾をまとった手で、そんなにも心のこもった字が書けるのか。
きっと普通に書いたって、多くの人間にツキの字は再現できない。あの人はツキの字を自身の筆跡にするために、ノートの中でどれほど同じ名前を書き連ねたのだろう。
SNSの普及した世が始まって何年も経っているのに、ツキが転倒したり字を書き損じたりするようなアクシデントの話はひとつとして回ってこない。
だからツキは完璧なのだ。きっとこの先どんな技術が生まれたとしても、「あのツキ」以上に忠実なツキをこの世に作り出すことは不可能だろう。
ツキが好きなのに「その人」の話をするのは、失礼だと思われるかもしれない。こういう界隈なら特にだ。
でも私は、「ツキは本当はツキじゃないんだよ」と冷やかすためにその人を見ているわけではない。だからこれで構わないと思っている。もちろんその人と言葉を交わしたり、ツキを愛する人の前でその人の話を不用心にしたりはしない。それではサンタクロースの正体を子どもに明かす無粋な大人と同じだ。私は胸の内だけで、その人に心を捧げていた。
それから私は、ツキのファンにも惹かれていた。
ツキは人気者だから、いつも周りにはたくさんの人がいる。彼らは彼女と話をするのが上手くて、コミュニケーションに超えられない制約を持つツキの魅力を最大限引き出すのに長けていた。
そしてツキがつま先ひとつ浮かすだけで、人々は歓喜に満ちた声をあげる。私はあの声が好きだ。誰かをまっすぐに愛する声、そしてそれがツキに向けられる事実、その光景が幸せ以外のなんだと言うのだろう。
同じ世界に現れたツキ、ツキを完璧に映し出すその人、そしてツキをまっすぐに愛するファン、そのすべてが私は大好きだった。私はずっと、ツキに、その人に、そのファンに心を預けたまま生きていくのだろうと思っていた。
はじめに映像越しのツキを何の曇りもなく見られなくなったのは、社会人になってからだろうか。いつものようにツキを見ていたとき、映像の中でツキの前をスタッフが通りかかった。そのときスピーカーの右の方から、邪魔、と一言聞こえた。気のせいか思い違いであればいいと思った。
ほかの映像を見ていたとき、ツキのそばにほかの仲間が駆けてきた。今度は後ろの方から、近づいてくんな、と声が聞こえた。私は心を空にして、縦に並んだスピーカーボタンの下を長押しした。
ツキが私を小鳥の前に連れていってくれたときも、周りの人々は私を嫌悪していたのだろうか。ビニール袋を指の付け根で強引に引いてかさを増すみたいに、記憶の中の視界を鈍く広げた。パステルカラーの思い出を引き広げたら、外側には黒い絵の具のしみが垂れていた。
それでも音を消すことでツキの映像を楽しみ続けていた頃、とある映像が私の元に回ってきた。それは、その頃インターネットで流行っていた俗っぽいポーズをツキがさりげなく行う映像だった。
「○○のキャラクターがまさかの○○ポーズ!?」サムネイルには縁を何重にも重ねたゴシック体で、そんな煽りがついていたと思う。
私はそれを見たとき、ツキに覚えるはずのない寒気を覚えた。
ツキの趣味や性格、日々の生き方、どこを取ってもツキが「それ」を知るはずがない。ツキはインターネットなんて見たことがない。そのツキが、そのポーズを観客に向けて行った。
ツキが、ツキという世界観を捨ててまで、笑いを取った。
ツキのキャラクター性なんてどうでもよくて、「ツキがするとは思えない行為をツキがする斬新さ」を笑ってもらうことで、ツキではなく「その人」の承認を満たしている。そう思えてしまった。
承認という思考の軸を得た途端、ツキのファンすらツキを愛してはいないのではないかという考えが脳裏に生まれた。
ツキを模った手作りの作品、ツキを模したファッションコーデ。ツキのファンが作り出す愛の形を見るのが好きだった。彼らはその作品やファッションを用意し、ツキの前に現れる。そしてツキは、それはそれは嬉しそうに手のひらを組み合わせてはしゃぎ、アニメーションのように飛び跳ねて喜びを表する。そのすべてが大好きだった。
でも今では、そのどれもが承認を満たすためなのではないかと思える。私だって同じだ。ツキを愛していたことを文章に書き連ね、誰かに認めてもらいたがっている。何かを愛するというのは、結局すべて自己満足なのだろうか。
その人はツキではなく、ツキとして持て囃される自分自身を見て欲しがっている。彼らは──私たちはツキではなく、その人に認知されることを求め、ツキを愛する自分を見て欲しがっている。この光景のどこに、ツキがいるのか。
何でこんなことになったのだろう。かわいいって言う人は自分がかわいいだけ、って言葉すごいキライだったのに。
バイトを始めた頃、私は偶然にも「その人」が属する会社でバイト経験のあるAさんと出会った。Aさんは私がツキを好きと知った上で、「夢が壊れることを気にしないなら」と会社のことをこっそり話そうとしてくれた。
私はまだ、ツキのことが好きだった。「その人」のことも、たぶんまだ好きだった。その人という括りですら惹かれている私は、当然夢など気にしない。そう答えたら、Aさんは色んなことを語ってくれた。
最初は、他愛もないのに何故か面白く感じるような話ばかりだった。社員食堂のホイコーロー定食が人気とか、面接のときに好きなキャラクターを聞かれたとか、社員通用口を入ったところにある自動販売機は一生麦茶が売り切れてるとか。どうでもいい人からすればどうでもいいような話だが、好きなものの話というのはなんでも面白く感じる。だから、これで満足していればよかったのだ。
数回話を進めた頃、もっと深い話を聞きたくはないかと言った。今考えるとよせばいいものだと思うが、私は縦に頷いてしまった。
その人が零したのは、従業員の中には「怖い人」も多かった、という話だった。周りの尊厳を傷つける言動ばかりする人もたくさんいたし、表舞台であれば決して相応しいとは言えない嫌悪を催す話題を大きな声で語る人もいた。
それを聞いて最も強く感じたのは、傷心以上に、傷心した自分自身への苛立ちだった。
「夢のある場所は裏側もきっと夢があるのだ」などという平和ボケした考えは、間違っても持たないと心に決めていた。子どもなら構わないだろうが、大人は違う。アクシデントに「夢が壊れた」などと言う大人を見るたびに、「何が夢だ、夢なんか最初から信じてないくせに」「むしろ完璧な夢が壊れるところを見て、喜んでいるくせに」と軽蔑していた。その癖いざそういう話を聞いたら、私は誰よりも失望していた。結局は私も、裏表のない夢を望んだ間抜けな大人の一人だったのだ。
そして私は愚かにも、その話の中に「その人」を映し出してしまった。
もちろんその「怖い人」に、その人が含まれている確証なんてない。大勢の社員を抱える会社だ、含まれている確率は限りなくゼロに近いだろう。
それでもツキが怖くなったのは、きっとその頃にはもう心がツキから離れかけていたから。まだ好きだと言いながら、本当はそうではなかった。ツキの中にいるその人を、もう信用できなくなっていたのだ。
Aさんは結局、数ヶ月ほど経った頃いつの間にかバイトに来なくなっていた。連絡先も交換していないからもう会うことはなく、それ以上の話は聞けなかった。聞く機会があっても、聞きはしなかっただろう。
度重なったツキやツキの周囲への畏怖は、理不尽にも本来無関係である物語の中のツキすら嫌悪させるようになった。私はついに、ツキとその人とファンという、愛していたすべての手を握っていられなくなったのだ。
部屋に飾っていたツキの顔を全部黒い袋に詰めた時、私の中でざまあみろ、という言葉がよぎった。それはツキでもツキを演じる人でも、ツキを愛しながらツキ以外を貶した人に向けたものでもなかった。その言葉は、自分に向けたものだ。
なよなよと泣きながら自分で自分の首を絞め続けた私を、この行為によってやっと今殺せる。もうツキに泣く自分に首を絞められることはない。私は自由なのだ。どこにでも行けるくらい体が軽い、と月並みなフレーズさえ頭に浮かんだ。
昨夜、夢を見た。あの日と同じ駅のホームに立っている。周りには人ひとりいなくて、白く冷たい光だけがただ点々と光っていた。
何故か目がひりひりと痛むような感覚がしていて、気づけば誰かが私を抱きしめている。毛糸みたいにふわふわと温かい手が背中に当たっているから、すぐにツキだとわかった。ツキの顔は見えなくて、ただ鼻を啜るような音が少し聞こえた。
あなたの愛するツキになれなくてごめんね。
震える声でツキは言った。ツキはツキの言葉でなく、「その人」として私に言葉をかけた。
私は夢の中で、ツキの中にいるその人を晒した。晒させた。それで私は、全部終わりなのだと理解できた。私はもう、ツキを愛していない。
先日外装の剥がれた勉強机をゴミに出して、機能性の薄いグレーのデスクを置いた。私の部屋に、もうツキの顔はひとつもない。
ただ今もまだ、雪の日に手袋をした友人とふざけて手を繋ぐたび、心臓を踏み潰されるような重みが胸にのしかかる。
離すとびりびりした痛みが節々に残って、ほんの数分、それがただ私の手のひらを灼くのだ。
◇
こんばんは。こういうブログみたいなのって初めてだから、緊張しています。どう書き始めたらいいかわからないな……。ええと、とりあえず今日は、わたしの仕事の話をしますね。
わたしは、役者? アイドル? みたいなことをしています。わたしが演じている子、本当に可愛いんですよ! 悲しい過去を乗り越えて、いつも笑っている。友達がいっぱいいて、たくさんの人を惹きつけるんです。
太陽みたいに明るい子だから、あさひちゃんって呼びますね。
あさひちゃんは今でこそ人気者だけど、昔は正直、そうとも言えませんでした。あまり表に出てくることもなかったし、晴れ舞台に呼ばれることもなかった。
わたしがあさひちゃんの役をもらった日、すぐにあさひちゃんが登場する物語を見ました。そしたら、本当に面白かった。あさひちゃんはすごく元気に歌い踊る子で、つらいことがあってもひたむきに笑顔を見せてくれる。この子が有名じゃないなんておかしい、絶対みんなに知ってもらいたい。そう思ったんです。
あさひちゃんの健気さやひたむきさ……わたしにはないものばかり。それでも絶対に、あさひちゃんを完璧な姿でこの世界に生かさないと、と思いました。
それで、何度も何度もあさひちゃんが出てくるところを見ました。そしたら、嬉しいことに気づきました。この子、喜ぶと頬を触るクセがあるんです(かわいい)。だから、誰も気付いてないかもしれないけど、あさひちゃんになるときはよく頬を触るようにしていました。
それからこの子のかわいい丸文字を書けるようになりたくて、幼稚園の子が使うような真っ白の自由帳を買って、ひたすらあさひちゃんの名前を書いて練習しました。
あさひちゃんはいつも来てくれるような人たちの間では少しずつ人気が出てきていたけれど、まだまだ誰もが知ってるようなところまでは来ていませんでした。たまに「あれ、誰?」なんて言われると、悪気はないってもちろんわかってるけど、やっぱりさみしくて……あさひちゃんも悲しむだろうなって。だから、初めて来る人やあまり詳しくない人にももっとあさひちゃんを知ってもらいたいと思ってたんです。
ちょっと前、インターネットであるポーズが大流行しました。あの頃、若い子も大人の人もみんなやってたなぁ。
きっとあの子のファンは同じことを思ったと思うけれど、あのポーズって、あさひちゃんが物語の中でする仕草にちょっと似てるんです。
あさひちゃんを知らない人も、あさひちゃんがあのポーズをしてるのを見たら、親近感を湧かせてくれるんじゃないかな? どんな子なんだろうって、興味を持ってくれるんじゃないかな。そう思いました。
あさひちゃんはたぶんインターネットとかしないけど、お友達が多いし、ものを調べるのが大好きな子だから、あのポーズを知っていてもおかしくないと思ったんですよね。あのポーズは日本だけじゃなく世界でも流行ってたし、それならきっと日本人じゃないあさひちゃんの耳にも入ってるはず。
あさひちゃんは人を笑わせるのが大好きだから、きっとあのポーズでおどけてみんなを笑わせてくれる。そう思ったから、あのポーズをさりげなくみんなの前でやったんです。
そしたら、あさひちゃんのファンの子たちも、そうでない人たちも、ふわっと笑顔を見せてくれました。SNSでは「あの作品見てなかったけど、見てみようかな」なんて言ってくれる人もいて。これでもっともっと、あさひちゃんがたくさんの人に愛してもらえる。そう思ったらちょっと(本当はすごく)、目の奥が熱くなりました。
時が経つにつれて、少しずつSNSではあの子をアイコンにした人や、あの子の楽しい話をする人、あの子のかわいい絵を描く人をたくさん見るようになりました。
同じ仕事をする子たちからは「あさひの人気は(わたし)のおかげだよ」って言ってもらえたけど、すごいのはあさひちゃんです。あさひちゃんは本当にかわいくて、どんなときもおひさまみたいに明るくて……。
これを言うと「えっ」って顔されるけど、わたしあさひちゃんのこと、神さまみたいって思ってます。そのくらい、本当に素敵な子で。みんながあさひちゃんを知ってくれてよかった。
わたし、あさひちゃんを見てくれるみんなが好き。あさひちゃんをこれから知る人も、知らなかったけどあさひちゃんを見て笑顔になってくれた人も。それからもちろん、あさひちゃんを好きでいてくれる人も。
この子のファンの人ってすごいんです。あさひちゃんをイメージしたぬいぐるみを作ってくれたり、あさひちゃんイメージの服で来てくれたりする子もいるんですよ? あさひちゃんのこと、ほんとに大好きじゃないですか。
わたし、自分が好きなものと同じものを好きな人が大好き。だからもうそれ見るたびに、泣いちゃいそうで。だってここって、ほとんどの人は来るだけでも簡単じゃないですよね。みんな学校やお仕事で忙しいのに、この子のために素敵なものを用意して、遠くはるばるやってきて。
もうちょっと気が緩んだら、わたしがあさひちゃんってことも忘れて「すごい! 素敵! あさひちゃんかわいいよね、わたしも好き!」なんて手を取りながら言っちゃいそう。そんな気持ちを抑えて、「あさひちゃんだったらきっとこうやって喜ぶだろうな」って、精一杯ありがとうを伝えます。
わたし、今ではこんな力仕事みたいなことしてるけど、昔は体弱くて。こういうところ来ても、みんなと同じように楽しめませんでした。
でも来るのは大好きだった。だって、みんなが笑ってるから。友達とか、全然知らない人が笑ってるの見るだけで、なんだかわたしまで笑っちゃう。ヘンですね。
だからわたし、この仕事に就けたとき、本当に嬉しかった。それから、ありきたりかもしれないけど、出会ったみんなが笑顔になってくれたらいいなと思った。
こんな楽しい場所で寂しそうにしている子がいたら、絶対あさひちゃんを通して笑顔にしてあげたい。「あさひちゃんはそういう子だから」って気持ちでやってきたけど、これはあさひちゃんのためだけじゃなくわたし自身のためでもあったんですね……今、気がつきました。
ときどきあさひちゃんのことが大好きすぎて、冷たいことを言ってしまう人も見ます。その度心が痛むけれど、同時に「わかる」、とも思う。周りが見えなくなるくらいあさひちゃんのことが大好き、わかる。わたしも大好き。
あぁでも本当は、みんな仲良しになったらいいのにな。あさひちゃんのそばに来てくれる人は、みんなあさひちゃんが大好き。みんな同じものが好きなら、みんな仲良くなれるはずだから。
あさひちゃんが出てくるお話って、ときどきちょっといじわるな子も出てくるんです。でもそんな子も、あさひちゃんとお話しするとすぐ心を許してくれて。それから、どうしていじわるをしたのか教えてくれる。どんなに悪い子に見えても、本当はみんなさみしさや悲しさを抱えてて、だからちょっといじわるしたくなっちゃったんだな、ってわかるんです。
わたしも、そんな物語みたいな世界を作りたい。あさひちゃんのまわりが、みんな笑顔になってほしい。
夢みたいな話かなぁ。でも本当になったら、みんなみんな幸せなのに。
どうしてこんな話をしたかというと、心の整理がしたかったからです。
先日、夢を見ました。わたしが通勤に使っている駅のホームで、幼い女の子が泣いてるんです。周りには誰もいない。真夜中みたいで、ホームの外は真っ暗。いつも見えるマンションの明かりとかも、なぜだかその日はひとつも見えない。
しかもわたしの手を見たら、どうやら今のわたしはわたしでなくあさひちゃんみたいで。
ひとりぼっちで泣いてるその子を見てるのは辛くて、早く助けてあげなきゃと思いました。だからわたしは、その子のそばに行って、そっとしゃがみました。そしたらその子は、こんなことを言ったんです。
あなたに神様を求めてごめん。
それから、「あなたの周りに完璧を求めてごめん」と女の子は続けます。「ここは物語じゃないのに。本当にひどいことを言うけど、あなたは人なのに」って言いました。
ああこの子は、もうわたしがあさひちゃんじゃないとわかっているんだな、とわかりました。それから、本当にごめんね、とも思いました。
いつもわたしのそばに来てくれる子たちは、みんなわたしが本当はあさひちゃんじゃないって知ってます。それでも、わたしをあさひちゃんだと信じてくれてる。この子もきっとそうでした。でも、わたしはこの子にあさひちゃんを信じ続けさせることができなかった。わたしは、この子にとっての完璧なあさひちゃんになれなかった。
わたしは何も言えないから、ただその子を抱きしめました。啜る音も出さないように、口を噛んでこらえました。
わかってたけど、わたしはまだまだあさひちゃんじゃない。わたしは、もっともっとあさひちゃんにならなきゃいけないんだと改めて思いました。
わたしのせいで、あの子は泣いてしまった。あの子にとっては「わたしに泣かされた」だけじゃなく、「あさひちゃんに泣かされた」、ということにもなる。そんなの、絶対だめじゃないですか。
わたしはもっと、あさひちゃんになりたい。ひとり残らず、みんなを笑顔にしたい。あさひちゃんならきっと、そんなことだってできるはずだから。
いつかあの子に戻ってきてほしい。いつでもあの子が戻ってこられるように、素敵なあさひちゃんをここにいさせてあげたい。
だから明日も、わたしはあさひちゃんを頑張ります。
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Fin.
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