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コンドームを付けない男はクソ。では、肉を食べるのに家畜の苦しみを無視する人はどうだろう?

コンドームを付けない男は最低だ。


「そうだそうだ!」とみんな頷く。



なぜなら、コンドームを付けない男の思考回路はこうだから。

  • 自分さえ気持ちよくセックスできればいい。相手の負担なんぞ知らん

  • 女は男より一段劣る存在なのだから、不都合があってもガマンしろよ

  • 自分が損する物事をわざわざ受け止める必要なんてない。逃げるが勝ちだ


そんなクソ男、嫌われて当然だよね?


確かに昔は違ったかもね。
でも、価値観はアップデートされてきたんだぜ?先進的だろぅ?




では、次の命題はどうだろう?


肉を食べるのに、家畜の苦しみを見て見ぬふりをする人物は最低だ。


・・・きっと多くの人が記事を読むのをやめ、離脱するだろう。

しかし、残ってくれた聡明な読者には、もう少しだけ読み進めてほしい。



「肉を食べるのに、家畜の苦しみを見て見ぬふりをする人物」の思考回路は、きっとこんな感じではないだろうか?

・自分さえ気持ちよく食事できればいい。相手の負担なんぞ知らん 

動物は人間より一段劣る存在なのだから、不都合があってもガマンしろよ

自分が損する物事をわざわざ受け止める必要なんてない。逃げるが勝ちだ




ほら、コンドームなし男と同じやないか。

だったら、そんなクソ人間は嫌われて当然だよね?




いや違う。そうはなっていない。

むしろ、家畜無視オトコの態度はごく一般的な感覚と見なされている。




「そうは言っても、人間と家畜である動物を同列に扱うのは無理だってば!話が極端だよ」



もっともな指摘だ。

人権という概念や多くの法律がカバーしているのはホモ・サピエンスだけであって、残念ながら動物には適応されない。



しかし、それでも後味の悪さが消えないはずだ。

なぜなら、

  • 「コンドームを付けない男」を糾弾した理由は、相手が人間か動物かにかかわらず、他者の痛みを無視するスタンスの醜さにあるから

  • 「動物は人間より一段劣る存在だ」と言いながら、私たちはイヌやネコ(さらに文化によってはクジラ、ウマ、ウシなどにも)に人間と同じ程度の権利を与えたがっているから

  • 動物は食用として殺され続けており、同意のないセックスや妊娠リスクよりも圧倒的に大きな被害を受けているから



つまり、後味の悪さの原因となっているのは・・・

罪悪感が拭えないからだ。

それなのに、根本的な対策が思い浮かばないからだ。




では、この罪悪感を乗り越える解決策は本当に存在しないのか?


いや、ある。
確実にある。

歴史に裏打ちされた実績と、誰でも簡単に実行できるカンタンさを兼ね備えた方法がある。

というか、たぶん解決策はこれしか無い。


その方法は

  • 菜食主義者やヴィーガンになること

  • 家畜の苦しみなんて知らんがな、と開き直ること

のどちらでもない。



それは・・・



動物を殺している現実を、真正面から受け止めることだ。

他に何があるだろうか?

私たちは食べなきゃ死ぬ。食べるためには殺さなくてはならない。逃げ道などないのだ。


菜食主義者になったところで大差はない。

植物が育った大地だって、動物たちの死骸の栄養を吸収しなきゃ痩せてしまう仕組みだ。

今住んでいる家だって、動植物を追い払った土地に建てたわけでしょう?

結局のところ、本当の意味で自然界から死や痛みを取り除くことは、100%不可能である。これは鉄の掟らしい。


そんな当たり前の事実をわかっていない、あるいはわかろうとしない未熟な菜食主義者のなんと多いことか。



とにかく、生きる以上は殺しを避けることはできない。殺しは宿命づけられている。

であれば、受け止めるしかないでしょう?

要するに、自分で家畜を絞める経験を(一度でもいいから)積んで、現時点受け入れればいいだけなんだよ。

生きたニワトリでも買ってきて、捌き方はYouTubeで調べればいい。わかりやすく解説してる動画がいっぱいある。


全然難しくないし、トラウマになったりもしないから心配ないよ。約束できる。


だって考えてみてほしい。

畜産系の学校に行った人は全員やってるようなことだよ?

あと狩猟民族や牧畜民族なら、小さな子供だって毎日当たり前にやってることだ。

自然界の動物だって、誰に教えられることもなく実践している。

 

つまり、誰でもできると歴史が証明している。あなたにできない理由は何ひとつない。



ただ、これまでの人生で、そうした機会に恵まれなかっただけのこと。




話をまとめよう。

「肉を食べるのに、家畜の苦しみを見て見ぬふりをする最低な人物」


から脱却するただ一つの方法は・・・

残酷な現実を正面から受け入れた上で、堂々と生きていくしかない。



胸を張って、残虐なホモ・サピエンスとして、今日も動物を殺して食べようじゃないか!



そのためには経験が、つまり家畜を殺して捌いて食べる経験が必要となるだろう。

こればかりは、本で読んだ知識ではダメだ。百聞は一見にしかず。



少なくとも私はそうだったし、周りの人もほぼ全員が同じ経過を辿っている。

それでも、まずは動画あたりで慣らしていくのは良い方法かもしれない。



ちなみに、この感覚を体得すれば、世の中にお墓は一切不要となる。なぜなら、

「私たちは生まれる前から死んだ後まで、常に動植物の死体でできている」ことが腑に落ちるからだ。


自分自身が、あらゆる生物のお墓だと気がつくから。

24時間365日、あらゆる遺骨と一心同体なんだから、遺骨を墓に入れなきゃダメなんてのは茶番だとわかるから。


すると、墓じまいとか、葬儀のスタイルや費用がどうとか、戒名のランクをどうするかとか、遺骨をどこに安置するかとか・・・

弔いに関する問題が全て解決する。
まぁ、それはまた別の記事にて。




最後までお読み頂き、どうもありがとうございます!

病気の弟とバレエダンサーを目指す妹がいまして立派なお兄ちゃんであるために金が必要なんですという芝居のレッスンを続けるために一杯奢ってください。