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本音を表現する痛みは、たった一人の理解に救われる

心にとっての真の痛みとは、世界に誰も自分のことをわかってくれる人がいないこと

聞く技術 聞いてもらう技術/東畑 開人  (ちくま新書 1686)

先日読んだ本の一文が、しばらく私の心に残っている。

私たちは、誰かに理解されたい生き物で、ありのままの自分を受け入れてもらいたい本能的な欲求がある。

だから、私はこうやってnoteを書く。自分から表現することでしか、理解は生まれないから。

でも、心のうちを話すことって、とっても恥ずかしい。
でも、恥ずかしいと思っているのは自分だけで、案外みんな同じように悩んでいるといるものらしい。

昨日、久々にnoteを書いた。私の悩みが垂れ流し状態の文章だったので、とても恥ずかしい気持ちがあったが、「えいや〜」と勢いでSNSにシェアした。普段だったら絶対にシェアしないのに。

どうやら24時間以内のビューは130。そのうち、たった一人がDMをくれた。
いつもやりとりしている友人ではなく、新卒の頃にお世話になった元上司だった。

そこには、「いいね〜いい感じに悩みが渦巻いているね!」と書かれていた。

たった一言だったけど、全私が救われた。


そのあと久々にやりとりする中で「僕も今の自分けっこう好きって思えるようになったのはここ数年だよ」と、過去に私と同じように葛藤していたことを教えてくれた。彼はハワイに移住し、いつもカッコいい仕事をする人だったので、そんな気持ちを抱えているなんて想像もできなかった。

でもきっと、
悩みながら努力したからこそ、カッコよかったのかもしれない。
悩んできたからこそ、今の幸せを感じられるようになったのかもしれない。

そう思うと、あれこれ悩むことは自分を知るために、幸せになるために、納得した人生を歩むために必要なことなのかもしれない。

なんだよ、自分これでいいじゃん。
今の私、すっごく生き生きと悩んでいて、これでいいじゃん。

たった一人でいいから、自分を理解してくれる人がいる。

でも、その幸せを実感できることって、簡単なようで難しい。

自分を表現することは、傷つくこともある。
受け入れてもらえないこともあるし、誰かにとっては傷つくこともあるかもしれない。

でも、その痛みを承知の上で、幸福を感じとるためには、自分から表現しつづける勇気が必要なんだよな。

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あかね|問う、書く
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