「外見も個性」自分らしさを競うコンテストを作った武蔵大学。創設者が目指すのは知名度向上。
【連載第二回】連載「ミス・ミスターコンって何がダメ?もう一度考えてみませんか?」では、昨今のコンテストを巡る議論・懸念点に向き合いながら、大学内におけるコンテストのあり方を一度、考えていく。
ルッキズムや男女二元論の視点から、ミス・ミスターコンテスト(以下、ミス・ミスターコン)への是非が問われる近年。ミス・ミスターコンを早稲田大学は2003年に、東京芸術大学は2018年に廃止している。上智大学や東京女子大学では1980年代から続いたミス・ミスターコンを廃止し、新しいコンテストの在り方が模索されている。
そんな中、今までコンテストが存在しなかったのにもかかわらず、大学の学祭で新たなコンテストを企画した大学がある。武蔵大学のフェザントコンテストだ。従来のミス・ミスターコンテストとは異なり「ファイナリストの個性を見せる舞台」に重点を当てる。当コンテストの創設者・島崎珠音さん(以下、島崎さん)に話を聞いた。(聞き手:金井薔那奈、原野百々恵)
インタビューを受けてくれた方:島崎珠音さん。武蔵大学社会学部メディア社会学科3年。白雉祭フェザントコンテストの創設者。
武蔵大学を有名にしたかった。
ーフェザントコンテストを企画したきっかけを教えて下さい。
島崎さん:過去の白雉祭(武蔵大学の学園祭)は同じ企画ばかりだったので、新しく大きな企画を創設してみたいと思ったこと、有名大学には、だいたいミス・ミスターコンがあると思ったことがきっかけです。
以前から、武蔵大学は知名度があまりなく、武蔵野大学さんとよく間違えられることに、悔しさを感じていました。また、学園祭に対しての武蔵大生の意識も低く、来場者の中に武蔵大生の割合が少ないことを改善したいという思いもありました。
そこで、ミス・ミスターコンという企画を開催することで、学園祭が盛り上がれば武蔵大学のことを多くの人に知ってもらえるのではないかと考えたのです。しかし、ミス・ミスターコンについて調べてみると「コンテストがルッキズムを助長している」「美しくないといけないというステレオタイプを作ってしまう」などの批判的な見解があることを知りました。そこで、世間のニーズに配慮しながら話題性のあるコンテストを企画したいと思い、誕生したのがフェザントコンテストです。
ー2021年に開催された第一回目フェザントコンテストのファイナリスト5人はどのような基準で選ばれたのですか。
島崎さん:初回のフェザントコンテストでは、候補者が全く集まらず本当に苦労しました。ファイナリストの方々は、実行委員の知り合いやスカウト活動で集まってくれた人たちでした。複数の応募者から厳選したというよりは、この5人(ファイナリスト5人)しかいなかったというぎりぎりの状態でした。しかし、一人一人が、「日本舞踊をもっと広めたかった」「ビートボックスを多くの人に知ってもらいたかった」という強い意志と個性を持っていたので、結果としては良かったと思います。
ーフェザントコンテスト初代グランプリ・設楽明音さんは、どのような点が評価されたのでしょうか。
島崎さん:フェザントコンテストでは、従来のミス・ミスターコンだと外見で競うところを「自分が持っている個性を、いかに人に魅力的に伝えられるか」という基準で競っています。そのため、評価方法は自己発信力と自己表現力を軸にしています。
具体的には、①投票サイトで誰でも一日一票投票できる事前投票、②SNSのフォロワー数、③当日のステージを全て見た上でお客さんに投票してもらう当日投票、の三つでポイントがつきます。更に、去年は協賛で来てくださった審査員に選ばれるとボーナス点がもらえることとして、全て合計点数が高い順でグランプリを決めました。
個性と言いつつも...
ー「個性」を重視しているとの話ですが、フェザントコンテストが外見だけで評価されていない根拠を教えてください。
島崎さん:そこは開催前から難しいと感じている点です。意識したこととしては、当日のステージで「1番ビビッときた人に投票してください」という案内の仕方をしたことです。
ミス・ミスターコンの業界は、ミスコンおじさん(注1)という名称があるくらい、ミスターよりもミスの方が需要があるという背景があります。結局は、「美しい」女性に票が集まりやすい傾向があるんですよね...。
投票サイトも他大学のミス・ミスターコンが開催されている所に一緒に掲載させてもらっているので、ミス・ミスターコンとの完全な差異化ができておらず、ミスコンの認識で投票されている方もいらっしゃいました。
しかし、女性の方が有利だからという理由で何か配慮をするとコンセプトとずれてしまうと考え、特別な対策はしませんでした。しかし設楽さんは、他のファイナリストと比じゃないくらいSNSの投稿数が多く、積極的に他大学のファイナリストに声をかけて、Instagramのライブでコラボをされていました。私たちから見ても、一番自分を発信されていたのは設楽さんだったので、グランプリに選ばれたのは妥当だったと思います。
注1:ミスコンのファイナリストを熱心に応援・推す男性のことを指す言葉。
ーコンテスト形式でグランプリを決めることで、ルッキズムを含む「こうあるべき学生像」という規範を生み出している可能性もあると思います。
島崎さん:フェザントコンテストがコンテストの形式を取っている大きな理由は、注目を集めるためです。一人一人が個別に「私はこういう人だ」と披露するよりも、競い合う形の方が注目度が高いと考えています。
グランプリに選ばれる評価基準は、自分の個性を1番魅力的に発信できている人です。評価基準に沿った方がグランプリとして選ばれるのならば、悪いことではないと思います。
「外見が良いのも個性なのでは?」
ー武蔵大学はこれまでコンテストがなかったにも関わらず、新たなコンテストを作りました。その決断は、複数の大学がミスコン廃止の動きを見せているのに対し、時代の波に逆らっているという見方もできると思います。その見方への考えを教えて下さい。
島崎さん:個人的な意見としては、ミス・ミスターコンをダメなものだと思いません。「社会的に良い見た目」を決めつけてしまっていると捉えられる部分もあるかと思いますが、学力で人が選抜される事は良しとされるのに、見た目で選抜されることが良しとされないのは、平等ではないかと思います。
また、コンテストを廃止したからといって、今あるルッキズムの問題は解決しないと思うので、それだったら新しい形として変えていく方が良いと思います。そうでないと、何かを発信したいと思う学生の場がなくなってしまうのではないでしょうか。少なからず、今までのミス・ミスターコンは、アナウンサーなど、次の将来に繋がっていく架け橋でもありました。そのような機会を、つぶしてしまうのは良くないかと思います。
ミス・ミスターコンだけに焦点を当てられ、風当たり強く批判され、廃止されてしまう流れは良くないという観点と、大学の知名度を上げられるという効果から、できるだけなくさずに風潮の変化に沿ってコンテストも変化していけたらいいと思っています。
ーすでに社会には競争する場面が多くあるので、新たな競いの場を作っても問題ないという認識でしょうか。
島崎さん:コンテスト形式にしている理由は、ただファイナリストが何かを披露するよりは注目度が集まると考えたからです。また、人は、競い合ったり目標があったりした方が頑張ることができるとも思います。そのため、コンテスト形式にすることは全力でやってもらうための1つの方法のように捉えています。
ただ、フェザントコンテストはミス・ミスターコンと異なり、個性を発表する場を提供しています。グランプリと言っても、1番人として優れていると言うよりは、「頑張ったで賞」という感じです。
執筆者:金井薔那奈/Banana Kanei
編集者:原野百々恵/Momoe Harano、三井滉大/Kodai Mitsui、市川南帆/Naho Ichikawa