完璧主義者のジレンマ
学生時代、そこそこテストの点数が良い学生だった。
高校生の最後はひどいもんだったけど、中学生の頃は学年5位以内が定位置。
平均点は90点以上。
それでも、人生の中で一度だって100点をとったことがない。
どんなに得意な科目でも99点が最高得点。
そして学年で1位もとったことがない。
最高2位。1位との点数差は3点だった。
いま思えば、すごいじゃん!!と自分に自信がみなぎる瞬間だったと思うけれど、父はこの「取れなかった1点」や「1位との3点差」にこだわった。
どうして100点がとれないのか、どうして1位になれないのか、考えなさい。
そんな風にわたしに言われながら育ってきたから、もちろん「すごい!頑張った!」なんて言葉はもらえたことがなかった。
100点じゃないと。
1位じゃないと。
褒めてもらえない、と子供心ながら思っていた。
失敗はだめ。
完璧じゃないと認めてもらえない。
いろんな出来事を通して、そんなことを繰り返し教えられた人生だった気がする。
圧倒的に褒められたことがなくて、友人や恋人に褒められると反応がうまくできないくらい。
祖父母が「すごい」「えらい」と言って抱きしめてくれる度に泣きたくなる思いだった。
そんな学生時代の中、完璧を目指していたわたしはズボラな性格なのにとってつけた完璧主義魂が育ちまくり。
完璧にまではいかなくても、容量良かったり、卒なくこなせるような人に嫉妬もしてきた。
そして、うまくできない、完璧になれない自分が恥ずかしかった。情けなかった。
完璧にできない、だから、愛されない。
なんていう謎の公式まで自分の中で組み立ててしまうくらい、自分が惨めに思うことも多々あった。
だから、いまは人一倍失敗して、失敗から学んでいきたい気持ちが強い。
もし、学生時代に100点をとれていたら。
もし、1位をとれていたら。
もっと失敗がすくなくて、完璧にできていた人生だったら。
わたしは頑張ることをやめていたと思う。
もう、100点とったから完璧でしょ?と継続せずに満足していたかもしれない。
一度でも頭をぐしゃぐしゃされて、褒めてくれるような育ち方をしたら満足してしまったかもしれない。
あいにく、そんな満足感を得られなかったので勉強も部活も頑張れた自分がいた。
完璧にしないといけないプレッシャーを背負ってはいたけれど、悪いことばかりではなかった。
それでも、そんな風に完璧を目指したはずが、完璧になれないことで学んだことが山ほどあった。
今朝、更新しようとした時に、なにも思い浮かばなかった。
昨晩も下書きを書こうと思ったけど、なにも思い浮かばなかった。
朝投稿はじめました、なんて言ったのに1週間も続かずに終わるの?なんて悶々とした。
だけど、時間に追われて書いたところで朝投稿することが目的になってしまうと思って潔くやめた。
そしてやめてみて思うのが、それによってちゃんと考えた上でこのnoteが書けたということ。
完璧にできていたら、気付けなかった。
完璧なんてきっと、世の中に存在していないんだなぁきっと。
完成度を高めたり、より良くすることはできるけれど、完璧になんてきっとできない。
そして、できなくていい。
完璧じゃない部分が、人生を彩ってくれる。
そこに発見がある。
その過程に学びがある。
完璧主義で完璧にできないもどかしさを感じるよりも、完璧なんてないからこそたくさん学んでいこう。
無完璧主義だっていいじゃない。