新宿発、西荻窪まで闇歩き
時は2023年度末、羽田空港で終電を逃した。札幌でBUMP OF CHICKENのライブに参戦した帰りのことだった。千歳発羽田着の最終便が遅れ、新宿行きの高速バスだけが残された公共交通機関となっていた。家までタクシーはちょっとな、近くのビジホかネカフェでも探すか?いっそ空港のベンチで眠るか?などと逡巡したのち、とりあえず新宿までバスで行ってそこから歩けばいいやと思った。チケットを買ってバスに飛び乗った。二泊三日の札幌遠征の果ての、疲れで重たい身体と酒で重たいザックを抱えて。
このところ”闇歩き”へのモチベーションが高かった。闇のスペシャリスト・中野純さんが開催している闇歩きツアーで闇登山(ミッドナイトハイク)にハマり、夜の山だけでなく夜の街中も全力でうろうろしてみたいと思っていたのだ。視覚を大きく制限された状態で足元の悪いなかを登っていくと、普段使っていない感覚がみるみる開かれていくのがわかってものすごく楽しい(詳しい闇登山のようすは以前「シン・イルミネーション探訪」という記事に書いた)。深夜の都市には至るところに街灯があるので同じようにはいかないが、景観や音環境や人の往来などの条件が昼間と全く違うので、やはりまだ気づいていない感覚が開かれていくに違いない。そう思って、さらに縛りを加えたくなりスマホで地図見るのはなしにした。
新宿駅の西側に降り立ったのが0時50分ごろ。空港で調べたときは新宿駅から自宅最寄り駅の西荻窪までは徒歩でだいたい2時間ちょっとらしい(この記事のヘッダー画像がGoogleマップ基準の最適経路)。詳細な道順は確認していないし、そもそも通りの名前と位置とが全然対応づいていないので覚えられない。地図ありで普通に歩く分にはそれほど厳しい距離でもないが、深夜・旅行後・でかザック・マップなしではどうなるか。ほぼ真西に向かえばいいだけなら簡単だ、おれは天文学者だぞ、と高をくくっていたが、天気は月のかげも見当たらないほどの曇り空で、方角のたよりは新宿が照らす明るい雲だけだった。しかし中央線にぶち当たってしまうとあとは線路沿いを歩くだけになってしまうので、それもつまらないからあまり北に行き過ぎるのも避けたい。とりあえず新宿の街を背に進んでみよう。
スマホによる現在地や地図の確認はなしなので、街中で見つかる位置情報を積極的に活用していく。道路の青い案内標識やバス停は大雑把な方角の把握に役立ち、地域の避難場所マップなどの野良の地図は本当に頼りになった。とはいえ、大通りだけ歩いててもつまんねーからなあ、という余計な探究心により案内標識もバス停もない路地にばかり入り込んでいたため、ほとんどの時間は勘のみで歩くことになった。
はじめは方南通りを歩いていたが、西新宿五丁目の駅を越えたあたりでちいさめの路地に入りたくなって右に折れた。その先で見つけたのが以下の光景である。
暗い住宅街の五差路の角に突如提灯の明かりに照らされたお地蔵さんが現れ、かなりテンションが上がった。そのせいか異様に明るく感じられた。よく人の手が入っている気配がある。ありがたそうな割に小屋の脇がゴミ捨て場になっているようだ。新宿という大都会からほど近くにこのような径があるというだけで楽しくなってきた。さらに進んでゆくと、家々のこぼれるような椿にこちらもほころばされたり、突き当たって右手を見た瞬間目に入った「ゆ」の文字に心揺さぶられたりした。深夜1時でも開いていることに驚いて、よっぽどひと浴びしていこうかと思った。
そして行けども行けども見つかる神社、神社。お稲荷さんは狛犬じゃなくて狐なのねえ。新橋通りを少し北に向かい、中野新橋の駅を越えてまた西へ折れ、本郷氷川神社を横目に西へ西へ。中野区弥生町の十貫坂という坂を下る。
大部分の史跡等にはこのような案内が付随していることに感心する。上の写真は十貫坂地蔵堂にあった案内板(たぶん)。ありがとう杉並区教育委員会。庚申塔に彫られることもある猿田彦命のことは、数年前まではバリスタの神じゃないんですかと思っていたくらいだが、庚申待ちや月待ちなどの闇に親しむ文化のことを知って(これも中野純さんのおかげである)、いろいろ理由をつけて深夜に集まってはしゃぐ文化について興味を持ち始めたのだった。……おや?いつの間にか杉並区に入っている! 新宿区、中野区はわりとあっという間に通り過ぎていた。そしてここからが長い長い杉並区のはじまりだ。
杉並区に入ってからはおもに住宅街を歩き続けていた。
しばらく歩いているこの通りは和田帝釈天通りというらしい。ほどなくして和田帝釈天そのものが現れた。
さきほどからこういったものが地域社会の中心的役割を果たしていることが見えておもしろい。この和田帝釈天の角で北に折れたような気がするが詳細な道順は覚えていない。とにかく環七に出て、下の写真の通りに入ったことは覚えている。
和田帝釈天通りが終わり、新たに参道入口おかいものみちへ。どこへの参道かというと、おそらくこのあと横切る妙法寺である。電信柱や街区表示板(←塀などに貼ってある、所在地の住所が書かれた細長いプレート)によると、住所で市区町村の次にくるクラスである町名が和田から堀之内に変わっていた。この町名の変化は進んでいる実感を得るのにかなり重要で、疲れてくると歩けど歩けど町名や丁目が変わらないことに苛ついてくる。ひとつの町名が占める範囲の大きさを、歩くことではじめて実感できた。
妙法寺を越え歩き続ける。小腹が空いたような気がして一度ファミマに入り食べ物を眺めるも、何一つ食べる気が起きず何も買わず出た。深夜に来て何も買わずに帰る客というのはどのくらいいるのだろうか。店を出た一瞬どちらから来たかわからなくなった。疲労が溜まってきていた。
幹線道路を離れた深夜の住宅街はとても静かだった。幹線道路も線路もそう遠くないはずなのに、家々に遮られて音が届かない。時期柄か虫の声もしない。冬の夜の低山では遠くの幹線道路や沢からの音が届き、枯れ葉がたてるからからという音や動物たちの声が響き、ここよりよっぽどにぎやかだ。どこもかしこも懐中電灯の必要性は全く感じないほど明るいのに、夜の街が夜の山より静かとは思いもしなかった。
上に示したざっくり再現ルート図の「東京立正短期大学」の右上あたり、少し北に折れるところを越えたあたりで方向感覚に異常を来したのだろうか、図の左端あたりで気づかず南に折れてしまっていた。電信柱の広告の電話番号の市内局番(市外局番以下の数字、東京では03以下の4桁)はうちの周辺のお店と近いし、そろそろゴールも近いのではなどと想像したが、これは実はあまり有効な手がかりにはならないらしい。「松ノ木」という町名も聞き覚えがないし、進んでいる方向にどんどん自信が持てなくなってきた。そこへ野良の地図という救世主が現れる。
現在位置が真ん中ということは自分は左側から進んできたことになる。いつのまにか南下していたのか!危ない危ない。西へ北へ行きたいので、成田東に入って適当に右折していけばよいわけだな。と、方向だけ確認してあとはろくに調べずにまた歩き始める。
不安な住宅地を歩き続け、また大きな通りにたどり着く。五日市街道だった。大通りはあまり通らないようにしようと決めていたものの、方向に関するヒントが無尽蔵にあってとてもありがたかった。バス停を見つけ、進んでいた側に吉祥寺行きがあるということで方向の正しさを確認する。するとようやく善福寺川にぶつかり、橋のそばで光り輝くミニストップにたどり着いた。チキンとお茶を買い、食べながらまた歩く。茶がうますぎる。最悪川沿いを歩けば荻窪に着けるな、と思ったが、再び川にぶつかったときに見つけた地図で見るとやたらと蛇行していたのでそんな策を取らないでよかった。
住宅地の中ではあるが比較的太めの道をゆく。バス停がたまに現れては吉祥寺駅行きの記載があることに安心する。しかしこのときすでに3時をまわっており、俺はなにをやっているんだ、杉並区デカすぎるだろ、早く帰らせてくれ、という思考に乗っ取られはじめる。勝手にスマホなしで歩くと言い出しておいて何を言うのだと思われるかもしれない。この手の考えは登山をしているときにも頭に浮かぶことがある。あとはもう達成感だとか乗りかかった舟のコンコルド効果だとか意地だとか、やりきれば人に話せるからみたいな不純な(?)動機で足を動し続けるのみである。
感動の瞬間がふいに訪れた。こちらの街区表示版を見てほしい。ついに「荻窪」の文字が現れたのである!
やったよ父さん!ラピュタは本当にあったんだ!あとはもうせいぜい中央線ひと駅ふた駅分くらいのはずだ。荻窪駅行きのバス停も現れ始めた。ゴールが見えてくると途端に精神も上向く。さあ足を動かせ。movere crus!
このへんの住宅街で出会うコンビニはファミマが多い気がする。レアな飛び出し小僧を写真におさめたり、余計なことを考える余裕がまた出てきた。そして再びぶつかる大通り。ついに環八である。環七、環八などの有名な大通りの名前と実際に走る位置の対応がはじめてちゃんとついたと感じた。子どものころ、大人たちってやけに道に詳しくてかっこいいなと思ったものだが、その力はカーナビのない時代に地図を見ながらルートを組み立てる経験に裏打ちされていたのだろうな。「南荻窪一丁目南」という南に挟まれた信号名を見ながら、この期に及んで南に下り神明通りという通りに入った。宮前、荻窪南という町名が目に入る。朝日新聞西荻窪店なども登場し、電信柱の広告についにゴールが存在する「西荻南」が現れた。近づくゴールに胸が高鳴る。
実はこの神明通りは、自分の中では「あの通り」でわかるような見知った道だったのだ。環八から2キロ弱進めば西荻窪駅に着く、入った瞬間勝利確定のビクトリーロードである。もしかしてそうなのか?とよぎり始めたのはもう西荻南に入った後だった。いかに普段何も意識せず歩いているかを思い知る。適当なところで北に折れてくねくねいった先の交差点で突如、よく知ってる場所であることを悟った。目の前の景色が唐突に親密に語りはじめた。あまりにも鮮明な場面の切り替わりに驚いた。知ってる信号、知ってる自販機、知ってる超ミニガードレール、知ってる庭の立派な梅。心から安堵した。
結局自宅まではほぼ3時間かかった。まーそんなもんでしょう。後半の終わりの見えない時間はかなりしんどかったが終わってみれば楽しいものである。散歩も登山も懲りずに何度だってやる人間でいたい。
上図がざっくり再現したルート全景である。中央線と大通りをいやがりすぎて若干南に寄りすぎてしまったか。南にふくらんでロスした真ん中すぎの部分にはちょうど「ゆ家和ごころ 吉の湯」という銭湯がある。やはり湯の引力には抗えないのかもしれない。でかいなと思っていた杉並区(赤点線)の面積は34平方キロ。この長辺をだいたい歩ききった形になる。居住している杉並区のスケール感を肌で感じ、街の移り変わりを知るにはとてもよいルートになったと思う。ちなみにゼルダの伝説ブレスオブザワイルドのマップ全体は約75平方キロらしい。杉並二個分。町田市、あきる野市くらい。
金を払えばタクシーが家まで20分くらいで運んでくれるし、スマホで地図を見ていれば不安なく時短もできただろうが、あえて自身のナビゲーションを試してみたい時もある。文明の力で省くことができるようになったプロセスの中に埋もれた、かつてあった楽しみがいくつもある。いや、あらゆるテクノロジーが生活の手間を削減することに注力し、そうして生まれた可処分時間をあらゆる営利企業が奪い合う時代に、歩くだけで不便を楽しんでやろうというのは今でこそ成り立つ最上の贅沢であり、潮流への反抗なのではないか。くらしのアナキズム。そして歩きながらそこにある何気ない存在たちに目を向けるのだ。街並み、植え込み、星の並び、そうした身の回りに透明に存在しているものに通ずるということは、それらを面白がる力を手にすることであり、それらを不透明にすることで自らの人生の文脈に引き込むということである。景色の中に不透明なものが増えると、ちょっとした瞬間のことを思い出す取っ掛かりがずいぶん増える。あの信号待ちのとき香ってきた花の香りとか、あの日の帰り道に見たうっすい三日月とか。大義なきわれわれの人生なんて思い出あつめみたいなものだから、なつかしさの緒は多いほうがいいのだ。だからたかが12キロ歩いただけのことを冗長に書き連ねたこんな記事を最後まで読んだあなたも、胸を張って後悔していいのです。
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