Piano Man - Billy Joel(好きなものがたり3)
この曲を最初に好きになったのはいつのことだかもうわからない。中学か高校時代のどこかの時期に、市立図書館で名作CDアルバムを借りるのにハマっていた。たしかCDは一度に三枚しか借りれなくて、静かな図書館で時間をかけて借りるべき三枚を厳選した時間のことをよく覚えている。それである日Billy Joelのベストアルバムをセトリに加えたんだっけか。いやニコニコ動画で歌詞付きの動画を見ていて記憶もある。まあいずれにしても、Piano Manといえば言わずと知れたBilly Joelの大名曲である。ピアノとハーモニカ、そして歌声。なんて美しいストーリー、輝かしいメロディなんだろう。今でも聞くたびに感動があるし、長く生きるほどにこの曲に覚える感情の複雑さが増していく。生きるのって悪くないなと思えるくらいいい曲だ。
アルバムについてるブックレットをめくる時間が好きだった。サブスク時代になって失われつつあるよき文化である。特に洋楽CDの場合、歌詞を理解するどころか聞き取ることもままならない自分にとって、日本版CDのブックレットの対訳だけが何が歌われているかの手がかりだった。しかしほとんどの場合この対訳のクオリティはひどいもので、特にPiano Manの冒頭は腹立たしいほどだった。
There's an old man sitting next to me
making love to his tonic and gin
これが「ジントニックを愛撫する」と訳されていたのだ!Billy Joelという超大物の歌詞の対訳という大役を担っておいてこんな仕事が許されるのか!?英語のできない学生ながら憤慨したものだった。愛おしそうに撫でる、ならまあわかる。愛撫といっちゃあそれはもう前戯なのよ。誠に遺憾です。残念です。
数年前に北千住の居酒屋でおっさんがキンミヤの瓶をえびす顔で恭しく抱えながら水割りを作るのを見たことがある。注いだ後に丁寧に瓶の先をぬぐっていた。ありゃまさしくmaking love to his キンミヤだ、そう思った。見知った表現に血肉が通った瞬間である。この前後では味わいがまるで違ってくるから、あのおっさん見れて嬉しかったな。
レッチリの対訳なんかも酷かった気がする。国田ジンジャー氏によるものだったか、ブチ切れて検索してみたらやっぱりみんな怒ってて安心した夜があった。ネットに転がってる和訳も大概ろくなものではない。上に載せたYouTube動画の訳では「酔いしれる」という言葉を使っていて、悪くない訳だと思う。
He says, "son, can you play me a memory?
I'm not really sure how it goes,
but it's sad and it's sweet and I knew it complete
when I wore a younger man's clothes"
上記の動画を見ていて、続くこの部分に自分自身まだ誤解していたところを見つけた。"I knew it complete"を「俺はその曲が完璧だってわかっているんだ」という意味にとっていた(この場合はI knew it to be perfectと言うべき?)のだが、「完全に覚えてた」、つまりcompleteにknowしてたという意味にとるのが正しいらしい。たしかにそのほうがwhen I wore a younger man's clothesとの自然につながるな。sadでsweetなあの曲、若い頃は完璧に歌えたんだけどな、みたいな感じか。まだまだ発見があったとは。
しかし他の部分にはやはり誤訳とも思える箇所があったりで、状況はあまり変わっていないのかもしれない。たとえば、Johnのくだりの"I'm sure that I could be a movie star, if I could get out of this place"のところが「俺は映画スターになるんだ、自信はあるさ、いつかきっとこの生活から抜け出してやるぜ」となっているが、仮定法であることと文脈を踏まえれば「そういう人生もあり得たのにな」というような諦めや後悔をともなう願望だと思える。どこかにもっと似合う場所があったんじゃないか。そういう思いを、陽気で気が利く友達がいつになく真剣にバーで語っているからこそこの曲の輝きがあるんじゃあないかと思っているので、この訳はちょっと見過ごせない。
好きなもの語りのはずが対訳にキレ散らかし続けててすみません。好きな曲が実際のところ何を歌っているのかを知りたいというのはかなり切実な感情で、当時は英語学習のモチベにもなっていたと思う。歌詞カードや歌詞情報サイトを頼りにiPodに入ってる曲に歌詞も入れて洋楽を全力で味わおうとしていたことがとても懐かしい。Hey Judeのnananaが全部丁寧に書き出されている歌詞情報には笑ったな。仕事で日常的に英語の読み書きをするようになった今でも洋楽の歌詞のメッセージをすぐに掴み取ることはできないが、そこに至ろうとする時間の豊かさがまだ愛おしい。
歌は言葉と音楽という本来異なるふたつの素材からなる混ぜものだ。そこにさらに言語の違いという溝までもが刻まれている。それが日本語のみを第一言語とする者にとっての洋楽というものだ。まず音楽に心を掴まれ、それにずっと遅れて歌詞が本来意味するところを知る時が来る。自分が好きなものたちが、変わらないまま時をこえて違う喜びをくれるのはとても嬉しいことだ。ほかでもない自分がまた変わったことの証拠でもある。
Yes, they're sharing a drink they call loneliness, but it's better than drinking alone
孤独という名の酒を分かち合うのは、独りで飲むよりずっといい。ともかく、この曲のおかげで夜のあたたかなバーカウンターでジントニックをやることに未成年の頃からずっと憧れていた。初対面でこの話で盛り上がった大学からの友人とは今でも旅行に行く仲で、博士課程中には特に大きな影響を受けたものだ(奴と博士論文中間報告締切前日にピロウズ30周年記念ライブに行った日のことはいずれ必ず書く)。みなさんもね、いろいろ大変だと思いますけど、ちょっと人生のこと忘れてピアノ聴きながら飲むような時間をどうか持てるようにいましょうね。と、唐突に終わろうと思います。you got us feeling alright!