聞かれたことに答えないのはどうしてなんですか?
こんにちは。迷走管理職のよくたろうです。
先日、部長についに聞いてみました(って読んでいただいている方には突然の話でついに、って言われてもなんのこと?って感じでしょうが)
「私が聞いたことに答えていただけないのはなぜですか?」
(実際はここまでストレートには聞いてませんけれど)
部長からの答えは
「聞かれたことは(俺にとって)当たり前のことだから、わざわざ答える必要がない」
この、(俺にとって)という隠れた前提がいろんな認識齟齬を生み、無駄な業務を生み、生産性を下げる原因ではないかと思っています。
例えば、この件詳しい人にアクセスしたいが、私にとってはまだこの部署に来て間もないので聞くべき相手を部長に確認したかったのですが、20年近くこの組織にいる部長にとっては、常識がない!となり、答えたくない!となったのです。
とすると、わからないなりにほかのルートから探り当てる、というタスクが私に発生し、無駄な時間を使うことになります。
他にも、聞かれたことにストレートに答えないケース、そもそも話が長くて何を聞いたか聞いた方が忘れてしまうケースもあります。
昔はこんなことがあったら「何か隠しているのか?」とか「頭悪いんか!」とか思っていましたが、最近人を観察していて気づきました。
他人に興味ない
他人=部下、同僚、上司、家族、友人など自分以外の人です
相手に興味があれば、「こんな言い方してどう思うかな」とかいろいろと考えますが、興味がないと「言いたいことをいう」の神経になってしまいます。
これは、会社におけるマネージメントすべてにおいてそうだと思います。
■報告、相談
■会議のファシリテーション
■質疑応答
■提案・プレゼン
何においても、相手の関心に対し、応えることで、合意を得たり契約を得たりするものであり、自分主体では応えられず得たい結果が得られません
とすると、「他人に興味ない」のは結果的に自分が得たいものも得られる可能性が高くない、ということになり、「他人に興味ない」=「自分に優しくない」とも言えるのかと思います。
情けは人の為ならず、にも似てますね
こういった事象はあらゆる現場に見て取れます。
少しの気遣いや努力で改善できるものが日本にはまだまだあると思っています。
皆さん聞かれたことにはストレートに答えてあげてください。それがしいては皆さんの幸せな労働につながるのです