『ゲシュタルトの祈り』から YOKU STUDIO 的ケアを考える
前々回は、ケアやセラピーの専門家の視点で、前回は当事者の視点で既存のケア/セラピーについて解説しました。
今回はこの 2 つに続く形で、YOKU STUDIO におけるカウンセリングの在り方を探っていきます。
今は価値観も多様化し、SNS 等といった情報発信手段も発達したおかげで、以前に比べれば「声」を上げやすくなっています。
かつてはタブーとされていた話題も、当事者が声を上げることで、それまで知らなかった、あるいは知っていたが誤って認識していたその世界を知ることができ、それが相互理解の第一歩になっている。
その世界を知り、「もっと知りたい」「距離を縮めたい」と思い、誰もが平等・公平であるこ とを願うのは自然なことだと思います。
そして今、あらゆる人が平等や公平を享受できるように、制度化が進んでいます。 これは素晴らしいことです。
ここで水を差すようですが、この素晴らしい試みを構築していく上で、並行して頭の片隅に置いておくべき「重要なこと」があると私は思っています。 それは、フレデリック・パールズの『ゲシュタルトの祈り』の詩の中にヒントが隠されてい るような気がするので、ご紹介していきます。
・ゲシュタルトの祈りとは
ゲシュタルトの祈りとは、ドイツ系ユダヤ人の精神科医であり、のちにゲシュタルト療法という「今、ここ」で「何を感じ、何を話しているか」に焦点をあて、気付きを促すという心理療法を確立したフレデリック・パールズ(1893~1970)が、自身のワークショップで披露していたと言 われる詩です。
とても有名な詩なので、多くの方々が訳されており、それぞれ微妙にニュアンスが異なります。その中で今回はゲシュタルト・セラピーのご専門である岡田法悦先生が発表された「『ゲシュタルトの祈り』最後の一行の謎を解く!」から、訳をご紹介します。
この詩は英語版の訳です。こちらの詩の最後の一行は賛否両論あり、「冷たい」印象を与えるせいか、好みが分かれるようです。
岡田先生の追跡調査によるとドイツ語版があったことが判明し、こちらを邦訳したものの方が有名で、好まれる傾向にあるように思います。
まず、英語版とドイツ語版があることについて、どちらの発表が先かと論争があったそうですが、結論から言うと英語版が先のようです。
パールズはナチスからの迫害を恐れて 1933 年にオランダへ逃亡、その後アメリカへ渡ります。第二次世界大戦後はドイツとの関わりを一切絶つかのように、以降の文献はすべて英語だったそうです。ですからゲシュタルトの祈りのドイツ語版は、英語版発表後、できるだけ英語の原文に近づ けようとしてドイツ語に訳されたもので、そのような経緯から、言葉(訳)によって受け手の印象が大きく変わってしまったのでしょう。わずかなニュアンスの違いから、発信者の意図が正しく伝わらないことはままあります。
ただ、この詩の誕生の背景を見ていくと、英語版が決して冷たく突き放した内容ではなく、 むしろ一番核となるエッセンスが集約されていると感じます。
その背景とは、この詩がゲシュタルト・セラピーが開発された 1950~60 年代のアメリカの文化(男性優位社会、家父長制)に、一石投じる為書かれたというものです。
当時の女性は、自分の性分を抑圧して、関係を維持することが「幸せな結婚」と考えていました。
今でこそ、相互依存の大切さが受け入れられるようになりましたが、誰かの期待に沿って生きることが当たり前だった当時の女性にとって、自由は革新的なものでした。 それには自他の区別や自己責任への気付きが、当時の女性たちには必要だったのです。
ありのままの自分を認めた上で相手と誠心誠意向き合い、試行錯誤を重ねてもなお、相容れないものだったと気付いた結果が、「そうならないなら、しかたない」のです。 これはネガティブな「諦め」などではなく、仏教用語の「諦める=つまびらかにする」に近いのだと思います。
・支援の現場とポリフォニー空間
人は皆、生まれた環境や時代が違えば、価値観が異なるのは当然です。
YOKU STUDIO ではどの分野においても一貫して「自分軸」と「他人軸」というような二 項対立の脱構築を提唱してきました。
「自分軸」と「他人軸」の二項対立を脱構築していくことは、「個」を肥大化させることでもなければ、逆に打ち消し、他者に迎合することでもありません。 むしろ「個」を認識する為には「他者」の存在が必要です。
主体性としての自分の領分を有限的に決めておきながら、その中で外部(他者)からの介入によって生じた価値観を、時には受け入れ、訂正していくことが大事であり、これが脱構築の形だと思います。
「すべての人にやさしい社会を」
とても魅力的な言葉です。私もこうありたいと思います。それを実現化する為に上げられた声を集め、あらゆる分野で法整備や制度化が進んでいます。ただ、これだけは忘れてはならない。
人のことは理解できない
全員のことは理解できない
冷たく聞こえるかもしれません。 ですが常にこれを頭の片隅に置いておかなければ、「この理論(療法)が正しい」と思い込んだその瞬間、そこで思考停止となり、人の成長は止まり、「人のため」と言いながら、傲慢になってしまうと思うのです。
過剰な他者への配慮や法整備・制度化は、時に別の誰かの自由を奪い、傷つける可能性がある。
法整備が整うということは、そのすべてにおいて応答責任を負わなければなりませんが、現実問題すべての人たちへ応答責任を負うことは到底不可能です。
だからこそ固定的な正しさではなく、訂正の連続が大切なのです。
完全な平等とは、価値の偏りがなくなる、均等に均されるということは価値がなくなることです。 価値は差分にしか生まれません。もし完全無欠な平等を目指したら、芸術も才能も発展しなくなってしまいます。それこそ没個性になるのではないでしょうか。
過剰に他者を配慮するのではなく、自分がどう欲生きられるか、そういう集団(共同性)の中で、対立というリスクを回避しながら、どのようにして他者とのポリフォニー空間を形成していくか。
自分とはどうしても相容れない価値観に遭遇した時、「それは違う!」と対立するでもなく、 切り捨て排除するでもなく、無理に同意して調和するでもない。 歩み寄る最大限の努力をしてなお、落としどころがないのであれば、縁がなかったと立ち去ればいい。まさに、
そうならないなら、しかたない
のです。
お互い(または場)の関係性に対する執着を手放し、別の新たな場所を選択することで、お互いにとって最高の結末になる可能性もある。
これが「たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいこと」であり、もう一つのポリフォニーの形です。
このくらいの心持で、支援の最低限の基礎(社会福祉六法等)は抑えつつも、お互いが窮屈にならないような支援空間を形成していきたいと思っています。
そして最後に。
岡田先生もおっしゃるように、このゲシュタルトの祈りが、つまらなくなった人間関係を安易にリセットする方便として、便利に利用されないことを願います。
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