デビルマンみきちゃん問題

 アニメ版の進撃の巨人を見まくっている。現在、シーズン2の31話「戦士」の途中まで見た。喋るゴリラ型の巨人の登場は最悪だ。それまで、人間以外の動物を殺さない性質があったはずなのに。それが俺の中での巨人に対する期待を保っていたのだが。これでは、「巨人」の名の通りである。俺の中での兵士不在の馬が外の世界をのびのびと生きる想像が失われつつある。もっと言えば、それまでの巨人は全員がフラットに見えて幸せそうだったのに。なのでゴリラ型の巨人が、この先三話以内に完膚なきまでに倒されることを望んでいる。
 ミカサという存在が俺の性的欲求を刺激し続けるのは、少し置く。
 進撃の巨人を見ることになったきっかけは3つほどあった。

 端緒は、2015年頃、大学生の時に池袋の人妻・熟女系の風俗店に行った時だ。待合室で、おっさん達と並んでいた当時の俺は、薄いユニクロの服を来ていた。場違いな感じがあるから、「何らかの代表」としてのマインドセットに近いものを用意して望んでいたと思う。なかなか女性を決定しない俺に、黒服が困りながら、写真を指差しながら「この方はスレンダーです」、「この方はグラマラスな方です」と説明してくれたのは強く記憶にある。グラマラスという言葉を肉声で聴いたのは初めてだったと思う。そして、木にくっついている灰色の可愛い動物の名前のホテルをいつも選んでいた。
  三度目に行った時だった。既に前回指名していた、まいこさんと言う女性を再指名した。初回の彼女との行為中になぜだか神聖なものを感じたからだ。目が特に記憶に残っていて、本当に美しかった。二回目のときも同じ印象を受けた。一発で切り上げるという掟をその時は持っていたので(単純に持たなかっただけかもしれない)、発射すると雑談をした。その時に進撃の巨人の話になった。
 俺が、面白いんですかと問うと、「面白いけど、最近はちょっと難しい。でも社会学部とかやってる君が読めばすぐわかると思う。」と返した。そうなんだと俺は余裕そうにいたと思う。
 読んで、色々教えてやろうかなどと考えていたと思うが、結局読まなかった。ちなみに、その次の指名時にもまいこさんの写真があったが、別の女性を選んだ。その人は全く美しくなかった。帰りの高田馬場のゴミ捨て場に会員証を破り捨てた。その時にまいこさんを選ばなかったのは、少し後悔しているが、これは進撃の巨人の「何故、外の世界に出たいのか」という原初的欲求の理解を深めるのに重要な個人史の一つだ。彼女が幸せに暮らしていることを願う。

 二番目は、子供に関わる仕事をやっていた時のことだ。2017年の時だろう。ある子どもとボードゲームか何かをして遊んでいたときのことだ。突然首に痛みが走った。振り返り「巨人だ!」とはしゃぐ子供を見て、状況を理解した。子供に手刀で首を切られたらしい。その後は魂の指導をした。
 ある時は一番問題あるとされていた子供にリヴァイ兵長の回転斬りを喰らった。その子と俺は相性が良かった。回転斬りがなかなか様になっていて感心した。子供から喰らう痛みの内でも「高度な痛み」だった。もちろん魂の指導はした。「リヴァイ兵長ってやつがカッコいいんだな。どういうやつなんだろう」と気になってはいたが、結局見なかった。
 お世話になった先輩が、アニメが凄いよと言っていたのを覚えている。みんな元気であることを願う。

 三番目は最近、DOMMUNE RADIOPEDIAで宮台真司とダースレイダーが進撃の巨人について語っていたのを聴いたからだ。彼らが使う「閉ざされ」と「開かれ」の概念は面白く、「クローズドコミュニティのみで表現することを」戦略的にやっていたことに限界を感じていた俺は、そこで語られる進撃の巨人の話に強く惹かれていった。これが決定的だった。ラストのネタバレはそこで受けたが、そこに至るまでにどう話が展開されていくのかを強く観たいと思った。

 これらが、進撃の巨人を見るに至った経緯だ。本当に面白い。ここに出てくる誰もが、「なんのために闘うのか」という理由、そしてそれにより立ち上がる行動の問題を常に抱えている。これはデビルマンで、主人公の不動明が、彼が愛したみきちゃん不在の世でなんのために闘うのかを思考する問題と同じである。それが題名に付けた、「デビルマンみきちゃん問題」と俺が呼ぶものだ。

 俺は、思えばこの問題にずっと向き合っている。年齢を重ねて、大事なものが不在になっていくのに比例して問題は大きくなる。池袋の風俗に行ってた時も、子供に回転斬りを喰らった時も、これを書いている今も。
 鬼滅の刃といい、こういう作品があることや、それに心が動かされている人がいることが心強い。

 最後に、ミカサに好かれているエレンが本当に羨ましい。

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