自転車で盛大にコケて入院・手術した経験から学んだこと
いきなりどうした?って感じのタイトルですが、なぜこの話をしようと思ったかというとですね・・・実は相互フォローさせていただいているaosagiさんがいま大変な状況になっているらしく。
これとまったく同じような経験をようくんも数年前にしておりまして、記事に書かれている内容があまりにも共感できたのです。
もちろん、人の不幸をネタにするつもりはまったくないのですが、皆さまにもぜひ知っておいてほしいと思うこともあり、この記事を書くことにしました。(aosagiさんお大事に・・・)
事故が起きた瞬間
今はもうほとんど乗らないのですが、当時、ロードバイクを趣味にしておりまして。休日になると50~100kmくらいの距離を走るわけですが、その日はちょうど結婚記念日でもあったので、帰宅後に予約していたレストランに妻と行く予定でした。
ところが、昼過ぎあたりからだんだんと雲行きが怪しくなってきまして、ついに雨が降り出してきました。自宅までまだ20kmほどの距離がありましたが、予約の時間も迫っていたので帰り道を急いだわけです。
自転車は一応車両ですし、ロードバイクはスピードも出るので基本的には車道を走るのですが、どうしても歩道を通らなければいけない状況があり、一時的に歩道を走らせてもらうことにしました。
地面も濡れていたので、車道から歩道に乗り上げる際の段差には十分注意していたのですが、濡れた点字ブロックに滑ってハンドルを取られてしまい落車してしまったわけです。これが事故を起こした瞬間となります。
助けを呼ぶも、誰にも応じてもらえない
幸いだったのは他人を巻き込まずに済んだことでした。なので、あとは立ち上がって再びロードバイクに乗って帰ればいいだけでしたが・・・脚が痛くて立ち上がれない。
そのときは「転んだ直後だから痛いんだろうな、もう少し休んでからいこう」と思い、その場に座って痛みが引くのを待つことにしたのです。
近くを通る人々も訝し気な目でこちら見てきます。おそらく「この人、なんでこんなところに座ってるんだろう」って思ったことでしょう。
そして、5~10分後に再度立ち上がろうとしましたが・・・立ち上がれない。この時点で自力で立ち上がるのは不可能と判断したので、誰かの力を借りることにしました。
近くを通り過ぎる人に「すみません」と声をかけるも、誰にも聞く耳をもってもらえません。声に反応して振り向いてくれる方もいましたが、そのまま通り過ぎてしまうのです。
でも、これは仕方ないと思います。だって、歩道の脇に座っている人から「すみません」って声をかけられたら面倒に巻き込まれなくないとか思うじゃないですか。自分だってティッシュ配りの人ですらスルーするのに、こんな人相手にするわけありませんからね。
そして妻を頼ることに
ですので、周りを頼るのは諦めて、妻に電話し事情を説明して事故の場所まで迎えにきてもらうことにしました。この時点で夜のレストランはキャンセルしました。また、立ち上がることさえできれば、家までは帰れるとこの時点では思っていました。
妻が到着するまでの間、1時間くらいでしょうか。雨で体も濡れていたこともあり体温が徐々に下がっていくのが自分でも分かりました。夏前なのにとても寒い思いをしたのを今でも覚えています。
そして、ついに妻到着。救世主に見えました。「ごめんちょっと肩貸してくれる?」と頼んで立ち上がろうとするも・・・立ち上がれない。するとこの様子をみた妻からの一言。
「救急車を呼ぼう」
救急車到着~診察
そして救急車到着。救急隊の方から「声は聞こえますかー?」「指は何本に見えますかー?」と聞かれました。これにどういう意味があるのかは分かりませんが、だいぶ衰弱していましたし、おそらく意識の有無を確認したのでしょう。
その後、救急隊2名の方々が「いっせーのーせ!」で担架に乗せてくれたのですが、その瞬間も脚に激痛が走ります。この時点で、もうただ事じゃないんだなと察しました。
救急車の中では、どの辺が痛いのか、どう動かすと痛いのか等いろいろ質問を受けましたが、詳しいことはあまり覚えていません。病院に着くや否やレントゲンを撮ることに。担架からレントゲン台に移動させられた瞬間も当然激痛でした。
しばらくして診察。そしてお医者さんからの一言。
「大腿骨が骨折しています。おそらく手術が必要になるでしょう」
この言葉を聞いた瞬間、これまでの日常はしばくら過ごせなくなるんだなと察しました。それと同時に、早く手術を受けて楽になりたいとも思いました。
入院・手術
ちょうど病院のベッドが空いていたこともあり即日から入院することに。また手術室もちょうど翌日に空きがあったので手術の手配も行われました。自分は身動きがとれないので、入院や手術に関する書類手続きはすべて妻が代行してくれました。
その後、病棟に移動するときの移動用ベッドや、自分のベッドに乗り移るときなど、移動するたびに激痛が走ります。
ベッドに着いた頃にはすでに夜になっていたので妻は帰宅しました。自分は次の日に手術を控えていたのでいろんなことを考えましたが、初めての手術の割には冷静だった気がします。というよりまな板の上の鯛でしたので、ジタバタしたところで(そのジタバタすらできないのですがw)どうにもならないと思ってたのが正しいですね。
そして手術日当日。
手術室に入ると酸素マスクを装着され麻酔を入れられます。看護師の方から「眠くなりますからねー」と言われるとだんだん頭がぼーっとしてきます。おそらくそのあとはすぐ寝てしまったのでしょう。そして、次に言われた言葉。
「〇〇さーん、終わりましたよー」
え????
手術中の記憶など一切ございませぬ。
ただ手術した部分にでっかいばんそうこうがバシッて張られており、点滴、カテーテル、酸素マスク等、いろいろと繋がれていたのは結構不快でした。術後はまだ麻酔が残っているせいか意識がもうろうとしていたので、すぐにまた寝ることにしました。
入院生活(リハビリ)~退院
さて、手術後は骨は繋がっている(正確には金属製のボルトで補強されている)ので、立ち上がることはできます。ただ、歩くことができないのでしばらくは車椅子生活となります。
初めての車椅子。使い方は難しくないのですが、ベッドから車椅子への移動、車椅子からトイレへの移動が本当に大変でした。とくにトイレ。みなさん、多目的トイレって使ったことありますか?
多目的トイレには便座のすぐ近くに手すりが設けられているのですが、これが非常に重要でして・・・脚が不自由な人は、便座に座るときに脚に力が入らないので自分の体重を脚で支えられないのです。必然と腕で支えることになるので、そのときに手すりが必要となります。
また、階を移動するときも基本的にはエレベータになります。階段は頑張ればいけますが大変ですからね。慣れないうちは1階上がるのに2~3分はかかります。
そしてリハビリ。基本的には歩く練習とストレッチが中心となります。痛みに耐えながらもひたすら杖を使って歩く練習をするのです。そんなこんなで1カ月程度入院しておりまして、なんとか無事に退院することができたのですが、良くも悪くもいろんなことを経験した1カ月となりました。
退院後
入院中は基本的にベッドの上で過ごすことが多かったので、筋肉はかなり落ちました。ちょっと歩くだけで息切れを起こします。なので、退院後は杖を突きながらもとにかく歩くようにして筋肉量を戻し、最低限の生活は送れるようにすることを意識しました。
また、電車に乗ってみたり、いろんなところに行ったりして、生活する上で何が不自由に感じるのかを実際に体験してみたりもしました。
退院後は定期的に診察を受けに病院に行きました。そして、1年半以内に脚の骨に埋めたボルトを抜く手術するかどうかを決めてほしい、と言われました。
そして、再び手術を受ける
ようくんは抜く選択をしました。あまりにも長い間入れておくと骨とボルトが癒着してしまい一生とれなくなるそうです。
一方、ボルトを取ることによってしばらく(2~3年)の間、骨に空洞ができてしまうので、また同じ場所を骨折したときはもとに戻らない可能性があることの説明も事前に受けました。要は注意して生活しなさい、ということですね。
そのうえで自分で決めてボルトを抜く手術を受けました。自分の脚で手術室に向かう以外は1回目の手術のときと同じです。ボルトを抜いたあとはすぐに歩けるようになりますので、次の日には退院できました。
抜いたボルトは記念?勲章?ということで今でも保管してあります。
それがこちら。
すごくないですか?
約20cmの金属棒が1本、約10cmの金属棒が1本が足に埋まってたわけです。これを見た瞬間「マジか・・・」と思いました。
これらの経験から感じたこと、変わった自分
救急車、入院、手術、リハビリ、退院後の不自由など、一通り経験した上で感じたことを並べていきます。どうか皆さん、足が不自由な方を見かけた折には、ぜひ親切にしてあげてください(ペコリ
バリアフリーのありがたみを感じる
年を取るとまたお世話になる日がくるでしょう。多目的トイレのありがたみを感じる
特別な事情がない限りは通常のトイレを使用しましょう!階段の手すりにありがたみを感じる
手すりを汚さないであげて~~~!ガムがくっついてたときはショックだった・・・。電車・バスではなかなか席を譲ってもらえない
現代人は何かと辛いですからね・・・会社が終わったあと座って帰りたい気持ちも分かりますが、杖を突いている人は想像以上につらい思いをしています。もし可能であれば席をゆずってあげましょう!逆に、譲ってくれた人には心から感謝できるようになる
もうほんと神。降りるときにも心から「ありがとうございました」と言えるようになります。完治したあとは、駅のエレベーターを使わなくなった
自分の脚で階段を登れない人はエレベータを必要としていますので、見かけたら優先的に乗せてあげましょう。完治したあとは、積極的に席を譲れるようになった
脚が不自由なのが大変なのは重々承知していますから、進んで譲れるようになります。道端でつらそうな人に声をかけられるようになる
今夏、熱中症だと思うのですが、フラついてて倒れそうになっている老人がいたので声をかけました。入院する前の自分にはたぶんできなかった。
さいごに
とまぁ、いろいろ書きましたが、健康って当たり前じゃないんだなと本当に感じます。皆さまもぜひご自愛くださいませ。
そして、aosagiさん、読んでくれているか分かりませんが、退院まで頑張ってくださいね!
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