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名言とは何か?
お疲れ様です。今回はいわゆる「名言」について考えたことを述べようと思います。
私は、世の中にはたくさんのすばらしい名言があるとよく感じます。例えば、
人間は考える葦である
は、パスカルの残した言葉としてよく知られています。この言葉は大変有名で多くの本や記事でも引用されており、原文も『パンセ』という彼の著作の中で見出すことができます。この例は、ある名言を誰が言ったのか、明確にわかっています。
次に、
はじまりはいつも小さい
という言葉は、キケロのものとして広まっているようです。少なくともネットで調べると、おおかた、キケロの名言として紹介されています。ですが、果たしてこの言葉はキケロなのか、明確な出典はないようです。おそらく、この言葉はキケロのものではないでしょう。その理由はまず、キケロの文体はもっと修辞的で複雑であり、また、この名言の内容の普遍性からして、とりわけこの人物が言った、と断定するのは困難であり、さらに、歴史的に多くの名言は有名な哲学者や作家のものと誤まって認識されていることがあげられます。この「はじまりはいつも小さい」はキケロの言葉にしたかった誰かが、キケロが言ったことにいつかしたのでしょう。
ここからは、より抽象的に、名言一般について考えたいと思います。これまで、明確に出典があるパスカルの名言と、果たして出典が不明なキケロとされている名言を見てきました。これまでの内容で気づいたかもしれませんが、名言の出典がああだこうだと、明確さを求める議論は、本質的ではないと思うのです。つまり、名言について考えるとき、その本質は内容の普遍性とその言葉を誰に言ってほしかったかといった、社会的な背景や、有名な偉人に帰属させることで、心理的な安心感を得ることにあると思うのです。ですから、キケロの言葉であっても、キケロでなかったとしても、「始まりはいつも小さい」という言葉の普遍性は変わらないですし、キケロが言ったことにしてしまえばなおさら、その言葉の力は心理的に上に補正されるでしょう。
ここまで、名言の具体例を取り上げて、その出典の明確さと誤帰属について述べ、名言とは何か、その本質について考えを述べてみました。どうだったでしょうか?
補足:
キケロの本当に言った名言
Dum spiro spero:While I breathe, I hope:生きている限り私は希望を抱く