惑星ソラリス(1972年・ソ連)
『惑星ソラリス』は、アンドレイ・タルコフスキー監督による、1972年の旧ソ連映画である。ポーランドのSF作家、スタニスワフ・レムの小説『ソラリス』(早川書房版での邦題は、『ソラリスの陽のもとに』)を原作としているが、映画自体はレムの原作にはない概念が持ち込まれており、また構成も大きく異なっている。1972年カンヌ国際映画祭審査員特別賞受賞。1978年、第9回星雲賞映画演劇部門賞受賞。(Wikipediaより)
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眠くなる映画の代表みたいな作品。でも大好きです。
3時間近くありますが、昔買ったDVDを2回観ました。またいつか観るかも知れません。ハリウッドのリメイク作品も観ましたが、正直言って凡作になっていました。やはりこのオリジナルの方が断然良い。とくにキャストと全体の雰囲気。
大昔の旧ソビエト連邦で作られた映画にも関わらず、今の日本の映画よりはるかにSFセンスがあります。日本人は本当にSFとかファンタジーを描くのが下手。予算の問題ではなくセンスの有無。
ただしこの映画『惑星ソラリス』には有名なシーンがあります。
未来都市の風景として当時60~70年代の東京の首都高を車で走っている映像が挿入されています。ソビエト崩壊後の今もロシアは大きいですが、決して豊かな国ではないということが分かります。だから逆に見栄を張って軍備を整えようとするのかも知れません。
アンドレイ・タルコフスキー監督の映画はもう1作持っています。『ストーカー』というSF小説を原作にした映画ですが、SFを感じられるようなシーンは一切出て来ません。だから観る前にある程度は作品の概要を理解してから観るのが良いと思います。
この映画『ストーカー』も動画があり、こちらは日本語字幕がついています。興味があればこの部分のリンクからどうぞ。ただし『惑星ソラリス』より難しい映画です…
『惑星ソラリス』の物語は、そこにいる人間たちにとっては救われない悲劇です。一方で人間の理解が及ばない巨大な謎の知性体にとっては人間たちの精神そのものが遊戯の対象となります。なんとも言えない喪失感を覚えるストーリーと結末に感情を揺さぶられる映画です。
ネタバレを含む『惑星ソラリス』のあらすじ
海と雲に覆われた惑星ソラリスを探索中の宇宙ステーション「プロメテウス」からの通信が途切れ、地球の研究所で会議が開かれている。帰還した乗組員は、ソラリスの海の表面が複雑に変化し、街や赤ん坊のかたちになるのを見たと証言する。
心理学者のクリス・ケルヴィンは豊かな自然に囲まれた一軒家で父母とともに暮らしているが、状況を調査するために呼び出され、ロケットでステーションへと向かう。
ステーションの内部は閑散としており、科学者のスナウトとサルトリウスは自室に籠もっていてケルヴィンに状況を説明しようとはしない。また、ここにいるはずのない少女が通路に姿を現し、スナウトの部屋からは小人が走り出てこようとしてスナウトに引き戻されたりしている。もうひとりの科学者でケルヴィンの友人であったギバリャンはケルヴィンにビデオメッセージを残して自殺しており、その映像にも少女の姿が映っている。
翌朝、ケルヴィンが眠っている部屋に、かつてケルヴィンとの諍いの果てに自殺したはずの妻ハリーが現れる。目覚めたケルヴィンは内心驚くが、ハリーは自然な態度でケルヴィンと会話する。その腕には彼女が自殺した時に使った注射の痕がそのまま残っていた。
ケルヴィンはステーションに搭載された小型ロケットにハリーを乗せて発射させ、ハリーを追い払ってしまうが、翌朝になるとやはりハリーはケルヴィンの部屋にいる。
どうやらこの惑星を覆う海そのものが知性を持つ巨大な有機体であり、その海がステーションにいる人間の心の奥にあるものを読み取って、あたかも本物の人間であるかのような実体をもつものとしてステーションに送り込んでくるらしい。
ハリー自身も自分がここに存在していることに悩み、液体酸素を飲んで自殺をはかるが、凍りついた身体がもとにもどると息を吹き返す。やがてケルヴィンはハリーが本当のハリーではないことを理解しながらも彼女を愛するようになる。しかし、ソラリスの海の正体を調べるための照射実験が行われると、ハリーは姿を消してしまう。
緑豊かな実家でゆったり過ごすケルヴィン。しかし、彼がいるのは彼の記憶にもとづいてソラリスの海がその表面に作った小さな島の上だった。(Wikkipediaより)
<(ↀωↀ)> May the Force be with you.