詩と俳句の共通点。谷川俊太郎『minimal』と、『中上哲夫 詩集』のこと。
▶短歌の参考に、谷川俊太郎『minimal』
タイトルは詩・俳句なのに、短歌のことから書き出して、混乱させてすみません(笑)。
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当よこやま書店にて『京大短歌29号』を取り扱わせていただいたことをきっかけに、最近、短歌に興味が出てきた私。師匠・寳玉義彦さんに勧められて、谷川俊太郎詩集『minimal』を読みました。この詩集には3行を1連とした短い詩が30篇収録されており、一つの作品は短歌よりは長いものの、参考になるのではないか、ということでした。
収録の詩はこんな感じ。
…やっぱり谷川俊太郎さんの詩はすごいですね。短くても、このド迫力です。
それは一旦いいとして、「あとがき(2002年初版)」に、「故辻征夫の誘いにのって「余白句会」に遊びに行くようになった」とあるのが目に留まりました。
▶中上哲夫さんに「余白句会」についてお聞きしました。
「余白句会」についての記載は以下。
故・辻征夫さんといえば、中上哲夫さんの親しいご友人です。中上さんの詩集『川の名前、その他の詩篇 2011~2021』中の作品「メランコリック」(2020年)に「せっせとリモート句会に出席し」という一行があるように、中上さんも俳句をお作りになります。そこで、「もしかしたら余白句会というのは、中上さんが出席していらっしゃる句会かも?」と気になり、「御詩集売れてます」のご報告かたがた、中上さんにメールでお聞きしてみました。
結論から言えば、中上さんが出席されていたのは別の句会でした(その句会にも最近は出席されていないとか)。ただ、「余白句会」は今も続いているそうで、調べたらホームページがありました。中上さんのご友人で詩人の井川博年さん、八木幹夫さん、八木忠栄さんらがご出席のご様子。なんと豪華な句会! 詩人の中には俳句をお作りになる方がたくさんいらっしゃるようですね。詩と俳句は、意外と相性が良いのかもしれません。
▶なぜ詩人が俳句に魅力を感じるのか
なぜ詩人が俳句も作ろうと思うのか。それに関して「なるほど!」と思う内容が、中上さんのエッセイ「カフカ/ロバート・ブライ/俳句」(「俳句界」2003年9月号。思潮社の現代詩文庫214『中上哲夫 詩集』に再録)にありました。
この一文で始まる本エッセイは、カフカの作品の断片性や、俳句に影響を受けたアメリカの詩人ロバート・ブライの詩の断片性に宿る魅力に言及しながら、なぜ中上さんご自身が「俳句のような詩を書きたい」と思うのかを解き明かしています。
経田佑介さんによる中上哲夫論「十二の断片の贈り物」にその要点がまとめられていますので、以下に引用します。
…あぁ、そういうことか~!と、読んで嬉しくなりました。
谷川俊太郎さんも『minimal』の「あとがき」に
とお書きになったように、ほんの一言・一単語の断片性の中に、「言いおほせ」ない非完成のひろがりが宿るところに、詩人も俳人も魅力を感じるのでしょうかね。歌人の皆さんはどうなのでしょう(笑)? そのへんをもうちょっと深掘りしたい気持ちがあります(笑)。
▶詩人にも俳人にもおすすめ『中上哲夫 詩集』(思潮社 現代詩文庫214)
思潮社の現代詩文庫214『中上哲夫 詩集』には、上記でご紹介したエッセイの他に、中上さんの俳句が64句収められています。いつもの中上さんのおしゃれで軽快な詩に慣れ親しんだ身には、「○○や」といった和風の切れ字とジャズっぽさの組み合わせが新鮮で、とても素敵でした。
そのほかに、詩と俳句に関するものとしては、以下の2つのエッセイが収められています。
・「正岡子規という生き方―俳句の力」(未発表)
・「歩きまわる木たち――サンフランシスコ・ポエトリー・ルネッサンス覚え書き」(「現代詩手帖」2001年2月号)
この『中上哲夫 詩集』は、その他のエッセイも詩もたいへん面白いので、別の記事で後日、目次をご紹介しようと思います(Amazonの商品ページには記載がありませんので)。→こちら(2024.4.3追記)
経田佑介さんが中上さんのエッセイ「カフカ/ロバート・ブライ/俳句」の実証版詩集として紹介された『ジャズ・エイジ』はこちら↓。