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詩と俳句の共通点。谷川俊太郎『minimal』と、『中上哲夫 詩集』のこと。


▶短歌の参考に、谷川俊太郎『minimal』

 タイトルは詩・俳句なのに、短歌のことから書き出して、混乱させてすみません(笑)。

* * * * *

 当よこやま書店にて『京大短歌29号』を取り扱わせていただいたことをきっかけに、最近、短歌に興味が出てきた私。師匠・寳玉義彦さんに勧められて、谷川俊太郎詩集『minimal』を読みました。この詩集には3行を1連とした短い詩が30篇収録されており、一つの作品は短歌よりは長いものの、参考になるのではないか、ということでした。

 収録の詩はこんな感じ。

「そして」

夏になれば
また
蝉が鳴く

花火が
記憶の中で
フリーズしている

遠い国は
おぼろだが
宇宙は鼻の先

なんという恩寵
人は
死ねる

そしてという
接続詞だけを
残して

谷川俊太郎「そして」
谷川俊太郎~これまでの詩・これからの詩~45『minimal』(電子書籍版)より

 …やっぱり谷川俊太郎さんの詩はすごいですね。短くても、このド迫力です。

 それは一旦いいとして、「あとがき(2002年初版)」に、「故辻征夫の誘いにのって「余白句会」に遊びに行くようになった」とあるのが目に留まりました。


▶中上哲夫さんに「余白句会」についてお聞きしました。

 「余白句会」についての記載は以下。

 何年か前、しばらく詩から遠ざかりたいと思ったことがあった。詩を書くことに行き詰ったのではなく、反対にあまりにもイージーに詩を書いてしまう自分、現実を詩の視線でしか見られなくなっている自分に嫌気がさしたと言えばいいのだろうか。長く詩を書き続けてきた人間を襲う、職業病のようなのかもしれない。
 それでも注文があればぼちぼち書いていたし、故辻征夫の誘いにのって「余白句会」に遊びに行くようになったのも、それまで反発していた俳句という短い詩形に、いわゆる現代詩とは違う現実への通路を見つけられるのではないかという期待があったからだろう。だが、書いているうちに、この詩形は自分にはいくらなんでも短すぎると思うようになった。
 その間に中国へ行く機会があった。呑気な旅のつれづれから、いくつかの予期しない短詩が生まれた。俳句とそれからもしかするとある種の漢詩のもつ、饒舌とは対極にあるものに、知らず知らずのうちに同調していたのだろうか。

谷川俊太郎『minimal』あとがき(2002年初版)より

 故・辻征夫さんといえば、中上哲夫さんの親しいご友人です。中上さんの詩集『川の名前、その他の詩篇 2011~2021』中の作品「メランコリック」(2020年)に「せっせとリモート句会に出席し」という一行があるように、中上さんも俳句をお作りになります。そこで、「もしかしたら余白句会というのは、中上さんが出席していらっしゃる句会かも?」と気になり、「御詩集売れてます」のご報告かたがた、中上さんにメールでお聞きしてみました。

 結論から言えば、中上さんが出席されていたのは別の句会でした(その句会にも最近は出席されていないとか)。ただ、「余白句会」は今も続いているそうで、調べたらホームページがありました。中上さんのご友人で詩人の井川博年さん、八木幹夫さん、八木忠栄さんらがご出席のご様子。なんと豪華な句会! 詩人の中には俳句をお作りになる方がたくさんいらっしゃるようですね。詩と俳句は、意外と相性が良いのかもしれません。


▶なぜ詩人が俳句に魅力を感じるのか

 なぜ詩人が俳句も作ろうと思うのか。それに関して「なるほど!」と思う内容が、中上さんのエッセイ「カフカ/ロバート・ブライ/俳句」(「俳句界」2003年9月号。思潮社の現代詩文庫214『中上哲夫 詩集』に再録)にありました。

俳句のような詩を書きたい。

中上哲夫エッセイ「カフカ/ロバート・ブライ/俳句」
現代詩文庫214『中上哲夫 詩集』(思潮社)

 この一文で始まる本エッセイは、カフカの作品の断片性や、俳句に影響を受けたアメリカの詩人ロバート・ブライの詩の断片性に宿る魅力に言及しながら、なぜ中上さんご自身が「俳句のような詩を書きたい」と思うのかを解き明かしています。

 経田佑介さんによる中上哲夫論「十二の断片の贈り物」にその要点がまとめられていますので、以下に引用します。

(前略)中上は『ジャズ・エイジ』まで来たのだ。この詩集は「俳句のような詩を書きたい」とはじめるエッセイ「カフカ/ロバート・ブライ/俳句」(文庫所載)の実証版詩集といえよう。スナイダーとブライの短い詩が大好きという中上はその断片性、片言性を愛したのだ。掘り下げれば非完成ということだ。カフカも芭蕉も顔をだし、結論は――「言いおほせ」ない、「「完結」し」ない俳句のような詩を書きたいという意味だったのだ。
 生は断片の集積なのだから、ひとひらひとひらの断片が衝突する機会で生みだされる詩の深みまで読まなくちゃね。そこに生の真実を見つけようってわけさ。プルーストよりカフカなのだ。

経田佑介「十二の断片の贈り物」
現代詩文庫214『中上哲夫 詩集』(思潮社)

 …あぁ、そういうことか~!と、読んで嬉しくなりました。

 谷川俊太郎さんも『minimal』の「あとがき」に

俳句とそれからもしかするとある種の漢詩のもつ、饒舌とは対極にあるもの

谷川俊太郎『minimal』あとがき(2002年初版)より

とお書きになったように、ほんの一言・一単語の断片性の中に、「言いおほせ」ない非完成のひろがりが宿るところに、詩人も俳人も魅力を感じるのでしょうかね。歌人の皆さんはどうなのでしょう(笑)? そのへんをもうちょっと深掘りしたい気持ちがあります(笑)。


▶詩人にも俳人にもおすすめ『中上哲夫 詩集』(思潮社 現代詩文庫214)

 思潮社の現代詩文庫214『中上哲夫 詩集』には、上記でご紹介したエッセイの他に、中上さんの俳句が64句収められています。いつもの中上さんのおしゃれで軽快な詩に慣れ親しんだ身には、「○○や」といった和風の切れ字とジャズっぽさの組み合わせが新鮮で、とても素敵でした。

 そのほかに、詩と俳句に関するものとしては、以下の2つのエッセイが収められています。

・「正岡子規という生き方―俳句の力」(未発表)
・「歩きまわる木たち――サンフランシスコ・ポエトリー・ルネッサンス覚え書き」(「現代詩手帖」2001年2月号)

 この『中上哲夫 詩集』は、その他のエッセイも詩もたいへん面白いので、別の記事で後日、目次をご紹介しようと思います(Amazonの商品ページには記載がありませんので)。→こちら(2024.4.3追記)

 経田佑介さんが中上さんのエッセイ「カフカ/ロバート・ブライ/俳句」の実証版詩集として紹介された『ジャズ・エイジ』はこちら↓。


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