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【小説】 母はしばらく帰りません 35

「やっぱり、俺たち友達に戻った方がいいと思うんだ……」

「へ?」

変な声が出た。

口いっぱいに頬張ったバニラアイスのせいもあった。

「俺はもう、ここのところ夜も寝ないでずっと、

 このことばかりを考えているんだ」

「何言ってんだか。寝てたよ。

 昨日もさ、グーグー気持ち良さそうに」

臨月になって膨れ上がったお腹に押しつぶされ、

夜中に何度も目を覚まし、上手く寝付けない上に、

寝返りさえ打てない、そんな自分の隣で、

ガーガー、高いびきで眠っているじゃないか!

「俺はね、テルが望むような夫にも父親にもなれない。

 それが辛いんだ」

「私が望む夫って、何だそりゃ?」

「俺たちは、一度前のような友達同士に

 戻った方がいいと思う。きっと上手くいくよ」

 と、どうも話が噛み合わない。

 全くちんぷんかんぷんだった。

「いやー、全然意味がわからないんだけどさ。

私らが友達になって、この子はどうしたらいいのかな? 

あとちょっとでこの世界に出て来るわけだから、

なかったことにはしてやれないよ」

「もちろん、俺がその子の父親であることは変わらないよ。

 生涯、責任は果たす……!」

「ええっと、それはどう言う形で? 

 どうやって?」

「分からない。ごめん、本当に俺は今混乱しているんだ。

 少し時間が欲しいんだよ。一人になって考える時間が」

と、こんな風にどこかとんちんかんな短い会話があって、

マティアスは出て行った。

まるで近所にお使いにでも行くような、

身軽な恰好で行ってしまったが、後で調べてみると、

身の回りの品や彼の貴重品は、綺麗に消えていた。

突発的な家出のように取り繕ってはいたが、

どうやら何日も前から計画的に、

少しづつ荷物を運び出していたらしい。

臨月の妻を置いて、ろくな理由もなく、

行き先さえ告げずに家出するとは見下げ果てたやつだ、

と最早悲しいとか、怒るとかそういった感情を通り越してしまい、

輝子はただただ呆れたのだった。

しかしこれからどうすればいいものか、

と軽く途方に暮れた輝子は、

取り敢えず冷凍庫に残ったアイスクリームを、

「ちょっとだけ」

と、言いつつ全てガラスの器に盛り付けた。

そこに電話が鳴った。

「あ、もしもしテルちゃん? 今、家?」

弟の光太郎だった。

「うん。家にいるよー」

「俺さ、今近くにいるんだけど、

遊びに行っていい? 今、何してた?」

輝子が妊娠してから、光太郎はちょこちょこ

顔を出しに来るようになった。

末っ子で人に甘えてばっかりだった弟でさえ、

身重の姉を気遣うまでになったと言うのに、

と輝子は家出したばかりの夫を思った。

「アイス食べていた。それでマティが出て行った」

「仕事に行ったの?」

「いや、荷物も無くなっているから、

帰って来る気は無いんだろうな」

「は? テルちゃん、何言ってんの? 

アイス食べたからマティアスが出て行った? 

意味が分からないんだけど」

「正直、私もよく分かっていないけど、

アイスは関係ないと思う。多分」

「ちょっと待って。今からそっち行くからさ。

変なことしないでよ?」

「アイスは食べていい?」

「適度にね!」

と、電話が切れて、

輝子がアイスクリームを平らげるより早くやって来た。

後から遅れてやって来たタマールを加えて話し合った結果、

取り敢えず光太郎とタマールが、

一時的に輝子の家に住み込むことになったのだった。

 それから数日経って、マティアスの居場所が分かった。

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