勝手にチャレンジ1000 0076 ペンネームは千野遼子か?今年もよろしくお願いします。と、備忘録、池のこと。
福田定一さんは、司馬遷に遼(はる)かに及ばず、という意味で司馬遼太郎という筆名にしたという。ならば私はチャレンジ1000には遠く及ばず、さしずめ千野遼子?
何かを毎日やって1000回で約3年。
始めてから2年と5ヶ月たつのに76回。まだ100回にもなってないとは、驚きだ。1000回目はいつになることやら。
まあ、千里の道も一歩から。76里は来たのだからこれからも進んでいこうと思うし、何より継続は力な!
(なり、でないのはなぜかについてはまたの機会に。でもこの言い方が好きなのだ)
今年もよろしくお願いします。
思えば、昨年後半も、書きたいこと、書いたらいいなってことがそこそこあった。下書き保存してあるものもいくつかあった。でもアップすることなく時は過ぎ行き、なにしろ庭が主題なので、季節が過ぎると話題として合わなくなる。過ぎたことよ、もう帰らぬ。しかしながら、また還ってくるのも庭である。また、新しく生まれるものでもあるし。そしてそれは同じとも言えるし、同じものはひとつもない、とも言える。
日に照らされ月に照らされ、雨を喜び、雨を恐れながら、変わっていくけど変わらない、とも言える。
そうこうしているうちにわたしも老いて行くのだろうが、まだもう少し、なんとか1000回までは関わっていけたらな、と思う。
というわけで、昨年末に書かなくてはと思たことをひとつ。
池を囲んでいろんな木や草が生えているので、落ち葉や水の中の草の枯れたのとかが朽ちてたまっているのだが、泥になってる上にガマや他の植物が根を張り出して陸化が始まっていると、数年振りに池をさらってくれた息子に言われた。
昔は、睡蓮の絡まった根の下が空洞でフナとかが隠れていたが、根っこに引っ掛かっていたものがさして深くない池の底に落ち、ヘドロのようになっている。もうフナもほとんどいなくなってるようだ。
水底から泥を掬い上げてはまず生き物を救いだし、それからその泥を先に掘っておいた穴に捨てる。増えすぎた睡蓮やガマの根を切り、取り除き、その絡まった根のなかにいるカエルや水生動物をできるだけ助けながら捨てていく。
息子は、今回、とりあえず半分ほどやったけど、1度水を抜いてそれをやらないとこの池はすぐに陸になるよ、もう陸化が始まってるから陸になるのは早いよ、という。
要するにいわゆる掻い掘りをやれと言うことだ。
お堀だったらテレビ番組の人に来てもらうのに、庭の池じゃあね。
寒さの中、冷たい水から泥を掬い上げては何かいないか手で泥を当たり、捨てていくのを見て、これは大変なことになった、と思った。
やるのはもちろん大変だけと、やらないと、今度は池が大変なことになるのだ、と思ったのだ。
自然に任せるのがいいって訳じゃないよ、手入れも必要。お父さんとお母さんの庭なんだから、と息子に言われる。
これをやるのは冬、寒いときでないといけないということで、今やるか、11ヶ月くらい先の次の秋冬か。
今年の課題である。
ほかにもあれこれ。
またボチボチかいていこうと思う。書くことが行動に繋がりますように。
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