勝手にチャレンジ1000 0050一粒の芋もし死なずば
夏、芽が出た里芋三個、芽をとって料理をするには芋本体も傷んでいるように見える。捨てようかとと思ったが、庭にぽかっと一ヶ所凹んだところが目にはいった。
どうせ捨てるなら植えてみるか。
やがて小さな芽はすらりとした茎になり、大きな葉を広げた。
どれだけのものになるかはわからなかったし、特に期待もしていなかったが、大きな葉になったことだけで何だか満足だった。
酷暑も気にならないかのように、美しく伸びていく里芋の茎に、この茎料理して食べちゃおうかな?と思ったりしたが、今葉をなくすと小芋も育たないし、と、期待しないといいながらも小芋に期待したりもした。
あれこれ思っている間に寒くなり、ある日、大きかった葉が破れ傘のようになっているのが目にはいった。
小芋も収穫の時期のようだ。
どれ、ひとつ掘ってみましょうか、と、見ると、根本に小さな小芋がついている。
一粒の麦もし死なずば、ということばがあるが、一粒の芋もし死なずば、この収穫はなかったわけで、いや、ただ死ぬのではなく、次世代を残して死ぬ、ということが肝心なわけだけど、あの日、芽が出た里芋を無理に食べずに、またはただ捨てたりせずに土に埋めたことで、こうして伸びていく間も、小芋も楽しませてくれた。
しかも、里芋は植えられた最初の芋も親芋として死なずに育つのだ。
親指の爪くらいの小さなものから、卵くらいのものまでコロコロとした小芋となかなか立派な親芋が三個できた。
キッチンペットというのか、ネギのねっこのついたとことか、レタスの芯とか、芽の出たジャガイモとかレモンの種とかを、捨てずにそのまま大きくし、野菜を再生したりすることご流行っているらしい。流行るもなにも、うちはそんなものでキッチンの調理台とかごちゃごちゃである。
でも、大抵は収穫どころか大きく育てるのにも行き着かなくてサヨナラする。思い付きで植えて、ちゃんと次世代まで行き着くのは珍しい。
葉ものの水栽培でなく、芋を土に埋めたのが良かったのかも。
植物もすごいけど土もすごい。
来年もなにかを適当にに植えてみるか。
適当に植えるのがいいんだな。
庭仕事、に、チャレンジしてるはずなのに、いきるものはいき、絶えるものは絶え、無くなったかと思ったらときを経てまた思わぬとこで再開する。うちの庭の楽しさはそんなところにあるのかもしれない。
小さな池のある空き地、的庭。
また来年もよろしく。
さて、小芋は何にしようかな。
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