【読書】権威と権力 / なだいなだ
姉妹作3部作の前編読了。先に中編を読んでいたけど、最後の方に2作目との繋がりが見えてきて非常に面白かった。例の如く、一筆書きで感想を。
この3部作の発行時期は、それぞれ1974年、1992年、2002年と30年を跨いでるんですが(なださんの他の作品もありますが)、話している内容が不変の「原理」について書かれているので、時代の差を感じずに読むことができるし、対話形式で進んでいくので非常に興味深く、終始読み通すことができます。
「物事をそのまま見ること。」つまり、偏見や思い込みを極力少なく、認知の歪みを極力小さく、目の前の物事を捉えることが非常に重要だと言うことをぼくはよく言っています。その、現実と自分との間に入り込んでくるものとして、権威、あるいは権力の存在があることを、改めて理解することができました。
多くの人は未来に対して不安を感じると思うんですが、一般的に、自分の選択の正当性を自分で判断できない人は、誰か専門的な人や、信頼できる存在にその責任を委ねる形で、その人の言葉を信じ、選択をします。もちろん何をどう判断するのも自由だし、調べてもわからないことは専門的な権威に頼らざるを得ない場合もありますが、
例えば「東京都がそうだと言ってるから」とか、「あの賞を受賞した人が言ってるから」とか、そういう権威に基づく信憑性を、理的な思考を通さず、当たり前に受け入れて判断をすることは、ある意味「権威主義的」であると言えます。
そうした権威主義的な判断は、例えばテレビCMや著名人の発言、あるいは多数派の意見からも大きな影響を受けるので、そこに何らかの扇動的な意図が含まれていたとしても、それに気付かないまま思惑通りの選択をしてしまう結果を招いてしまうとぼくは考えているし、「衆愚」と呼ばれる根幹の要因になっていると考えています。
そこに自我がない、という表現が作中では使われていた気がしますが、自我のある人とない人との間では、多くの場合、潤滑なコミュニケーションが成り立ちません。自我がない人には、理的な説得が通用しないのだとも作中で書かれていました。
ぼくの個人的な思いとしては、理想を言えば、国民全員が自我を持って生きる社会になればもっと良くなっていくのにな、と考えたりもします。でもこれは現実的ではないし、ぼくのような個人にはどうしようもない課題だとも思っています。
でも、ぼくの周りにくらいそういう人が増えた方が絶対いいなと思っていて、それは、自分の感覚や思想を表現したり、人生を自らビルドしていける人たちの集積は、きっとグルーヴィで、感動体験の多い時間を生み出していくのだろうと確信しているからです。
あくまで等身大の規模で、身の回りの人たちと一緒に、脱権威主義的な、「非暴力の抵抗」を体現していけたらいいなと、読後に思いました。
続く第2作「民族という名の宗教」では、この権威と権力を生かしたイデオロギーがどのように世界・社会を動かしてきたかを説いています。権威と権力がそれぞれどのようなものであるかを本作でしっかり認識した上で読むと、さらに深みが出て非常におもしろいと思いました。第3作「神、その人間的なもの」を続けて読む予定ですが非常に楽しみ。