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挿話「黒蜥蜴の休日」


黒蜥蜴 葉隠れ書房に行く

黒蜥蜴行きつけの洋服の仕立屋が横浜にあり、その店の帰り道の車内。
いつもの様にリムジンの後部座席に座る黒蜥蜴。そこからN県の邸宅へ帰る道中であった。
運転手が珍しくこんな事を言ってきた。
「黒蜥蜴様。ここから10分程行ったところに葉隠れ書房という最近開業した古書店がございます」
黒蜥蜴はこう返事をした。
「新しい古書店?最近は閉店の記事ばかりの中珍しいわね」
「はい。なんでも三島由紀夫に特化した古書店だそうでして、様々な媒体で記事が出ております」
黒蜥蜴は眼を見開いた。
「三島!!すぐに向かいなさい」
運転手は、
「畏まりました。黒蜥蜴様」
そう言って車を走らせた。

リムジンを脇に停めて、黒蜥蜴は降り立った。
今日の黒蜥蜴の出で立ちはグリーンの夜会服で、宝石が指のあちこちに光っている。

ビブリアの部屋 葉隠れ書房

洒落た看板が置かれた入口から店内へと入っていく。

「こんにちわ。ごゆっくりみていって下さい」
そう優しい声が聞こえた。
カウンターの中の椅子に腰かけている店主は、黒蜥蜴の出で立ちに負けず劣らず、紫のスーツを着こなした、黒蜥蜴よりもさらに長身の無精髭を蓄えた男であった。
椅子から立った店主。
そして店内に脚を踏み入れた黒蜥蜴。
二人はお互いに眼を合わせたままに、時が止まってしまった。
お互いにこう思った。

「なんだこいつは?」

すると黒蜥蜴は視界の脇目に映った一面の三島由紀夫の初版本のガラスケースへと歩を進めた。
「まあ、これは素晴らしい。花ざかりの森から全て揃っているのね。これ全部初版なのかしら?」
それを聞いた店主は一変し満面の笑みを浮かべた。
「はい。全て初版です。もしかして、三島お好きなのですか?」
黒蜥蜴はまじまじと展示された本を眺めながら、「ええ、多分全部読んでいると思うわ」
店主は隣に立ち、
「それはすごい。うちにいらっしゃった方で全部読了されたという方は初めてです」
黒蜥蜴もまんざらでもなく顔を綻ばせて、
「あらそう。意外と皆読んでないものなのね。貴方はここの店主さんでしょ。これ全部読まれたの?」
「はい。三島作品は全て読みました。最高です。お客様は特にどの辺りの三島文学がお好きですか?」
黒蜥蜴は口元に手を当てて、真剣な眼差しで展示された書籍を見ながら、
「まずは花ざかりの森。これ抽象的だけれども素晴らしかったわ(店主分かりますと強く共感している)あとこれ盗賊。旅先で死体を見るのよね。そこから方向性が変わっていく流れが秀逸で、高原の場面だけが浮いていて幸福なのよね。良かったわ。(店主その通りと強く共感する)あっこれは特に私は大好きね、午後の曳航。最後の大団円は堪らないわ。(店主私も大好きな作品です)あっでもやっぱり三島といえばこれよね、春の雪。全てがラストの死の為にあった様な長い筋書きと描写。私はこれを初めてみた時はたくさん涙を流したわ(店主分かります。私も最後の数頁は涙で文字がかすみました)」

それから、椅子に二人は座り、紅茶を飲みながら、さらに三島文学について熱く語り合った。
潮騒は。。
幸福号出帆は。。
岬にての物語は。。
話題は果てなく続いていった。

そして意気投合しすぎた結果。
黒蜥蜴はこんな超企業秘密をぽろりと漏らしてしまう。
「私ね、家業を継いでいるのだけど、初代が三島由紀夫ととても懇意にしていたそうなの」
店主驚きのあまり発狂する。
「ええーーー!!」
身をよじらせて興奮するが、
なんとスッと冷静さを取り戻してから、
「あ、いろいろ質問したいところですが、だけどこれは、これ以上は何も聞かないのが身の為、そういう事ですね?」
それを聞いた黒蜥蜴は眼を見開いた。
心の中で、
「やるわ。この男。下僕にしたい。だけど彼を下僕にしたらここが無くなってしまうわ。我慢よ。私、我慢なさい」

外のリムジン。
運転手は待てど暮らせど戻ってこない主を想い。
しかし、案内をした者としては誇らしく、口元には僅かに笑みを浮かべていた。

それからは湘南方面へ来た時には、
いつもこの葉隠れ書房へ立ち寄る様になった。


「文豪」三島由紀夫と江戸川乱歩に敬意を込めて

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