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自筆短編 「私の最後の言葉」



「私の最後の言葉」

学徒出陣の予備学生はこう語った。
「学徒出陣にて集まった神風特別攻撃隊の我々は軍人精神を体得した者とは言えないが、一般人として戦況を痛感し、特攻が最も有効な攻撃法と信じた。我々が身を捧げる事により、日本の必勝を信じ、後輩がよりよい学問を成し得るようにと考えて志願した」
それは他国の青年には到底理解できないだろう。生還の道を講ずることなく、国家や天皇の為に自殺しようとする考え方は理解を超えているとそうアメリカ軍幹部が後に語るほどの、それは高い精神世界であった。


昭和二十年六月三十日

鹿児島県薩摩市の笠間飛行場
宿舎棟の一室にて
時刻は二十二時を回った頃

簡素な木製の机に一本の蝋燭の灯りがぼんやりと光る。鉛筆を手にした所々茶色く汚れた白いランニングシャツの若者。
首から下げたタオルで日焼けした額の汗を拭っている。
それはとても蒸し暑い夜だった。

彼の人生は明日ここを立ったら、零式戦闘機の操縦席に入ったら、もうそれは死出の飛行となり、終わりを迎えるのだ。

先ほどまでささやかに祝宴をあげてもらっていた。少しだけ飲んだ酒が頭を熱くさせている。

顔を上げると開けてある窓からは闇夜の空に無数に広がる星。その中で今夜はカシオペア座がひときわ輝いてみえていた。

頭を振って、机に向き直る。
彼はこれから人生で最後となる手紙を綴るのだ。


親愛なる人々へ  浅岡晃一

「拝啓 梅雨が去り盛夏の候。皆様におかれましては御健勝の事と願うばかりでございます。さて、故郷を離れて今日で五十二日目でございます。母様、お元気に過ごしてございましょうか。可愛い妹君は学問を続けられておりますでしょうか。ここ最近は手紙が来ておりませんので、とても心配しております。こちらの同志達からの話しなどを照らし合わせて考えておりますと、もう貴女方も集団疎開にて慌ただしくしておられるのかと推察しておりました。この手紙が無事母様へ届くと良いのですが。とても大切な知らせにございます。本日早朝に指令室へ呼ばれまして竹田大佐より出撃を命じられました。私は明日いよいよ御国の為に仕事を果たす事が出来ます。今夜は母様や皆の顔が頭の中にたくさん浮かんで参ります。あれはいつの事でしたでしょうか、お父様もまだいらした頃、みっちゃんがまだ赤ん坊さんで、家族四人で西伊豆の海に行った時の事にございます。向かう列車で食べた母様のお弁当の美味しかった事、殊に甘い卵焼きが美味しゅうございました。車窓から見た伊豆の海の美しさにも驚いてしまいました。砂浜で目一杯遊ばせて下さいましたね。綺麗な貝殻があまりに嬉しくて、巾着袋にたくさん入れてお宿に持ち帰った私を父様が微笑ましくみて下さっておりました。あんなにも幸福を絵に描いた様な時間が他にあるものでしょうか。皆で丘の上から見た夕陽もとても美しかったですね。母様も覚えていらっしゃいますでしょうか。これからもあんな時間を皆様が過ごせる国にならなくてはいけませんね。私は明日見事に国の礎を作る為のひとつとなれる様に務めるつもりでおります。この素晴らしい日本という国の、日本の人々の、慈しみ合う美しさを後世に伝え継ぐ為に、私は、明日私の命の全てを捧げて参ります。誇りを持ち、優しい、そして強く逞しい素晴らしき我が故郷とその人々、道端に咲いた小さな花や名も知らぬ草までもが大切に感ずるほどに、全てを私は愛しております。どうか武運をお祈りになっていて下さいませ。ここからはみっちゃんへ。みっちゃん、お兄様はお仕事に行かなくてはいけなくなりました。お兄様が今も心配なのはみっちゃんは時々こほんと咳をする事です。冬の寒い日はうんと厚着をしなくてはいけませんよ。それとたくさん体を動かして、健康に気を付けて下さいね。将来はとっても美人さんになるのだろうから、たくさん幸せになって下さいね。鼻先をすりすりと撫でられる感触があったならば、それはお兄様がみっちゃんを見守っている証拠です。お兄様はこれからもずっとずっとみっちゃんを見守っています。お勉強もしっかりと続けて、うんと賢くなって下さいね。そして大きくなったら、母様をお頼み申し上げます。それでは母様。みっちゃん。さらばです。皆々様、末長くお元気で」

翌朝
その朝は眼に映るもの全てが心地良く感じ、
私は幸福に満ちていた。
瞼を開くといつもの天井の木目の板、ちょうど真上の木材の斑な部分が貝殻の様に見える。それを見つけたのはここに来て四日目だった。それからは身体を起こす前にしばらくその貝殻を見つめるのが朝の日課になっていた。今日は少しだけそれを長く見つめていた。
あてがわれて五十二日間頭を預けた薄い枕や、布団の感触も、そしてこの質素な部屋の景色も、
あらゆる日常が愛おしく思えた。

立ち上がると木床の軋みを感じる。一歩一歩それを確認しながら廊下に出て、洗い場の蛇口を捻ると水が勢いよく流れる、その透明な水流を私はしばらく眺めてから両手で手の平一杯に溜め込んで、それを一気に口元へ注いだ。人生で最も甘い水が口の中から喉を通っていく。
そのまま顔を洗いタオルで拭き取ると窓からみえる木々の緑が朝焼けに照らされてとても眩しく感じた。
それから起きてきた仲間達が一人また一人と私にあたたく声をかけてきてくれて、気がつけば私の周りに輪が出来る程同志達が集まっていた。
肩を叩かれる感触が、皆の純粋な眼差しと激励の言葉が私を強く優しい気持ちにさせた。

その日。
昭和二十年七月一日
出陣式の時刻には曇り空となっていた。

いよいよ出撃の時。
「第四十九神舞隊前へ。貴様達へ改めて言う事はもう何もない。いいか、敵空母を最後まで眼を見開いてみるんだ。そして突っ込め。いいな。諸氏の成功を祈る」
全体回れ右。脱帽。敬礼。
「私達は御国の為にこの一命を賭して攻撃を遂行致します。それではこれより第四十九神舞隊は出撃を致します」

見送りに集まった大勢の人々は一様に手にした小さな日本旗をはためかせている。その列の眼前を悠然と歩いていく。

こちらに来てからお世話になった食堂のトキさんや、世話係の女学生達の姿もあった。
みんなともここでお別れだ。

私は灰緑色に塗装された戦闘機の操縦席に乗り込んだ。機体には250キロの爆弾が積まれている。

ゴーグルの固定を確認する。
錦の御旗が靡いてみえる。
プロペラの回る音がいつもよりも大きく聞こえる気がした。

そして私の零戦は轟音を上げて大空へと飛び立った。

全身の震えが止まらない。
大声を張り上げて叫んだ。
震えは収まった。

先に逝った者達、
約束の地靖国の桜の木の下で待っていてくれ。
私を見送ってくれた者達、先に行って待っているぞ。

演習で飛行していた空域を過ぎて、さらに南下していく頃に雨が降りだしてきた。

しばらく飛んでいると嵐の中に入った。
ひどい乱気流で機体が揺れ豪雨で視界も悪いが高度を下げる訳にはいかない、必死に何度も翼を立て直して向かう方角だけを失わない様に南へと進んでいった。
どのくらいの時間が経ったのかも分からない。
共に飛び立った仲間達の機体も見えなくなってしまっていた。
私には使命感しかなかった。
必死に前に前に飛んでいく。

突然眼前の視界が開けて景色が広がった。
暗くてとても長いトンネルを抜け出る瞬間の様な別の世界。
それは眼も覚める程の美しい青い空だった。
私は青い空に唯一人浮かんでいた。

ここまでの轟音によって聴覚が麻痺していて、
何も聞こえない。
音の無い、少しの白い雲の浮かぶ青い世界。

母、妹、そして先に逝った父さん。
幸吉おじさん。
隣の茂さん。
大浜さん。
親友のたっちゃん。
清水先生。
高岡先生。

私が人生で出会った人々が空の中を回想してゆく。
私はひたむきにそんな美しい青い世界をさらに先へと翔び続けていくのだった。

途方もなく長い時間が過ぎた気がした。

そして遠く眼下に蟻の様に敵の戦艦が見え始めた。
その瞬間に全身が総毛立ち、心臓の鼓動を強く感じ、
眼の奥が熱くなった。
辿り着いた。
いよいよこの時が来た。
酩酊と興奮との狭間の中で小さく見える幾つかの密集した敵艦を必死に凝視した。

操縦桿を両手で握り締めて目一杯の力を込めた。
「さよなら。みんな幸せに。幸せにね」
高度を落としていった。

明確に死が眼前に、そこにあった。
また手元が震えだしてきて、
脚も痙攣していた。

眼を瞑る事は許されない、
そう訓練されてきたのだ。
汗で滲む視界の中で、
加速をつけて斜めに降下していく。
敵の銃弾が無数に放たれてきた。
それらが光の線になって機体を掠めていく。

敵艦がはっきりと大きくなってきた。

もう目の前だ。

こちらも射撃するが何の意味も持たない。
戦艦から放たれた銃弾が機体に当たっていく。
身体にも強い衝撃が走った。全身が熱く冷たい。 
それは繰り返されてもう身体のどこを撃たれているのかも分からなかった。

そして最後の瞬間が訪れた。

言葉にもならない呻きを深紅の血液とともに吐露し続けながら、私は海に落ちていったのだった。

血とともに吐き出した言葉。
私は何度も「死にたくない」と言っていた。

前夜
「今までの事が帳消しになり、母様とみっちゃんの待つ家に、友人のいる故郷に、明日帰れたら。
あの平穏な時に戻れたら。どうしてもそんな事ばかり考えてしまう私がいるのです」

涙ながらにそう綴った紙を、
彼は静かに握り締めた。



小さな幸せを感じて
小さな幸せを集めて
生きていきたいと思った

私の最後の言葉      完

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