自筆連載 「令和黒蜥蜴」後編
三幕-誕生-
夜中にリムジンの車内。
女性歌劇団の男役の様な凛々しく精悍なスリーピースのダークスーツの男と、ぼさぼさの髪によれたシャツにメガネの女。
この不釣り合いな二人が、並んで後部座席に座っている。
しかも車内で美岐はマスクを被っている為、一体どこを走っているのか全く検討がつかない。
黒蜥蜴は隣でどこかへ電話をかけている。
「貴方今お電話宜しい?、ええ、今夜は駄目よ、今とっても楽しいデート中。いいわ、近いうちにね。それでね、替え玉のやつをまたお願いしたいの、いいじゃない、お願いよ。今度で最後にするから。ええ、そう今一緒にいるわ。いいわ、前の倍出すわ、それでいい?、はいはい、デートも込みでね。それじゃあ決まり、今回はどこに棄てればいい?わかったわ。ありがとう。済んだらまた連絡するわ」
電話が終わり、黒蜥蜴が運転手に行き先を告げた様だが、美岐はそれを聞き取れなかった。
黒蜥蜴は美岐の頭にそっと手を添えて、自分の胸元に優しくうずめた。
美岐は盲目のままに、甘美な慈愛に包まれた心地で何も言わず、マスクの中で眼を瞑った。
20分程だったろうか。
車が停車すると、マスクが外された。
辺りは完全に暗い中で、おそらくはとても大きな建物の正面入口から脇に向かったところにある非常口の前、非常灯だけが光っている。
「降りるわよ」
運転手は黙ったままトランクから大きな麻袋を取り出し、
黒蜥蜴の指示の元美岐がそれを持つ。
ポケットからキーケースを出して、その一つの鍵で厚い鉄の扉を開ける。
携帯の明かりだけで廊下を進んでいく、
そしてある扉の前で立ち止まり、また鍵を開ける。
そこは広い空間におびただしい程の小窓の様な物が取り付けられた、無機質な部屋だった。
壁に掛けてあるファイルに明かりを近づけて見ながら、貴女、身長は?、体重は?、そう聞きながらページを捲る。これがいいわ「右から七番目ね」
そこを慣れた手つきでロックを解除して開ける。
携帯の明かりで照らすと、全裸の女がベッドに横たわっている。
まるでカプセルホテルの様な作りの中、うっすら白みがかっているが寝ている様でもある。
美岐が震え出し、
「これ、これって、死んでるの?、死体のなんかなの?」
黒蜥蜴は冷静に答える。
「大学病院よ、解剖用の死体安置室。細かくは言えないけど、ツテがあるの。さあその袋を広げなさい」
二人は袋に死体を詰めて、黒蜥蜴が頭の方を、美岐が足を持って、元来た出口へと引き返していく。
外に出ると運転手にトランクを開けさせて袋を入れて、また後部座席へと乗り込む。
その後は、死体の入った麻袋をあるビルディングの屋上へ運び、袋から死体を取り出し、美岐の着ていた洋服や下着、かけていたメガネまでもそっくり全て着せてから放り投げた。
そして車に戻り、走り出した。
黒蜥蜴は携帯を操作している。
しばらくして携帯を閉じる。
「お疲れさま、これで全て済んだわ」
黒蜥蜴の持っていたドレスに着替えた美岐は本来の美貌と相まって驚くほど美しくなっていたが、しかし、この時間の出来事の恐れと、憔悴と、意味の掴めない疑問で、もう言葉が出なくなっていた。
「もうマスクもいらないわね」
美岐は顔をひきつらせて何も答えられずにいる。
すると突然、黒蜥蜴が横に座る美岐の顔を両手で掴み、身体をくねらせて覗きこむ。
その形相は今までに見た事のない、眼を見開いた悪鬼の顔で、車内の闇を切り裂く程の声でこう叫んだ。
「お前、さっきの約束、忘れたとは言わせないぞ!!裏切ったら俺がお前を即座に殺すからな。これからは俺の奴隷として働いてもうからな!!」
美岐は顔を痙攣させながら、そして悟った。
震える声で、絞り出す様にこう答えた。
「はい。一生貴方にお仕えします」
黒蜥蜴はそれを聞いて、手の力を弱め、優しく頬を撫でながら美岐と、深く長い口づけをした。
一見すると、スーツの男とドレスの女が車の中で愛し合っている姿に見えるが、決してそんな甘ったるいどこにでもある男と女のそれではないはずなのに、しかし不思議な事だが美岐は人生で味わった事のない程の幸福に満たされていった。
それは舌触りを通じて人生における走馬灯を感じ見ているとも、又今までの人生が柔らかなぬくもりの中溶けていくとも、そして死というものを生きたまま体感する様な、さらにはこの先の生きる時間を明確に託す事への安堵も含まれ、昇天と斜陽が同時に訪れる、そんな純真且つ卑猥な快楽に包まれた、そんな時間であった。
長い口づけの後に、耳元で優しくこう囁いた。
「貴女は今日死にました。新しい人生の始まりね。殺さずに側に置く女は貴女が初めてよ。本当に期待してるわ、私と一緒に地獄の果てまで行きましょう」
そして運転手へ、いつもの穏やかな口調でこう命じた。
「久しぶりに肉体労働をしたら疲れちゃったわ。今日はN県の別荘に帰りましょう」
すると運転手が後ろを振り向き、美岐が乗り込んで来てから初めて、はっきりと言葉を発した。
「畏まりました。黒蜥蜴様」
夜明け刻になっていたが窓外の空は曇り澱んでいる。東の地平線から一寸の薄明りが照っている。
それはまるで小さな灯が大きな暗雲に押し潰されている様にもみえた。
終章-幻の跡-
それからも黒蜥蜴一味は引き続き表のビジネスを行いつつも、本来の生業である悪事も共により一層精力的に動き廻った。
至高の宝石を盗みに海外へ渡る事もここ数年で何度もあった。
他にも現金を強奪したり、詐欺を働いたりと種々様々な悪事を行ってゆく中で、
美岐はとても良く働いた。
時には黒蜥蜴の代わりを務めるほどの役割を与えられてもそれを純然とやり遂げる姿は、主である黒蜥蜴も舌を巻く程であった。
そして何より彼女は美しかった。
例の狂乱のナイトショー。
それに二人で出演したのは美岐の替玉自殺を実行してから三年の歳月を経た頃だった。
そしてある日。
N県邸宅にて
マスクの蜘蛛がドアをノックする。
「どうぞ」
「美岐様。黒蜥蜴様がお呼びでございます」
「わかったわ。すぐに行きます」
日本中に幾つかある隠れ家には全て美岐には専用の部屋が整われていて、今はこの邸宅に黒蜥蜴と共に滞在していたのである。
美岐は身支度を済ませて黒蜥蜴の部屋へと向かう。
部屋へ入ると、老人が応接ソファーに座っていて、向かい合わせに黒蜥蜴がいる。
「貴女もこちらに座りなさい」
黒蜥蜴の隣に美岐も座り老人と向かい合う。
「紹介するわ。こちら春雪(しゅんせつ)さん。私の親類で彫師をしている方よ。これから貴女に刺青を入れてもらうつもりで呼んだの」
春雪は齢70歳程だろうか。顔にはしわが広がっているが、しかし強い眼光と長く束ねた白髪とでいわゆる重厚さと粋な空気を醸し出す男であった。
その力強い顔立ちから表情を崩して微笑んだ。
「貴女か。うんうん。いい顔を、いい空気を持っておるな」
美岐も丁寧に挨拶を済ませたところで、黒蜥蜴はこう言った。
「貴女にね、左肩へ黒蜥蜴の刺青を入れてもらうわ」
美岐はあれ以来黒蜥蜴の下僕として手となり足となり、従順に従ってきた。
感情を露にする事も滅多になかった。
しかしこれには驚きを隠せずにいた。
「黒蜥蜴様。いくらなんでもそれは恐れ多いと思うのですが」
黒蜥蜴はそう言う美岐の顔をじっと見つめている。
「いいの。入れて頂戴」
それから数週間が経ったある某日
美岐は新たな役目をひとつ終わらせた後にS県の黒蜥蜴別宅へと帰ってきた。
応接間のテーブルに黒蜥蜴からの書き置き、
「週末のショーには貴女が一人で出なさい。演出も基本的には私がやっているままでいいわ、細かな部分は貴女に任せる。皆にもそう伝えてあるわ。宜しくね」
そして当日のショーは美岐の美しい姿に観客達は魅了されて、熱狂の中無事に終演した。
終演の後。
携帯を開くと黒蜥蜴からメッセージが入っていた。
「ステージお疲れさま。今日は私の運転手をそちらにやります。今日もS県のおうちにお帰りなさい」
美岐は身支度を済ませて、黒蜥蜴同様に様々な誘いを断り、出口の階段を上がった。
普段は黒蜥蜴の乗っているリムジンが停まっている。
後部座席へと乗り込む。
美岐はS県へ帰るように告げると、
運転手がこう言った。
「畏まりました。黒蜥蜴様」
その翌日の朝刊にはこんな記事が出ていた。
「N県山中の屋敷が全焼。詳細は不明」
S県邸宅へ小包が届く。
そこには黒蜥蜴の使っていた携帯電話が入っていて、短い手紙も同封されていた。
私の愛する美岐へ
「ある程度の貴重品や、こちらにあった貴女の荷物もそちらへ届く手筈になっています。諸事は別紙に纏めてありますから携帯と一緒にご査収下さいな。こちらの手紙では簡単に話しますが、全てを貴女に譲ります。好きになさい。最後に貴女に会えて、共に過ごせてとても楽しかったわ。今私はバルコニーのテーブルで筆を走らせています。
暁の空にあと一時間ばかりで陽が昇ってくるでしょうね。だけどもう私は朝日をみないで済みそうだわ。
とても退屈な人間の人生というものを、それを今こうして振り返ると、私の場合は随分と長い間暇を潰せたと思うわ。私は幻のために生き、幻をめがけて行動してきた。そして私は、私のしてきた悪業諸とも焼かれて消える。最後は幻によって罰せられる道を選びます。長い陶酔の中での私なりの闘争に今幕を閉じる事に致しました。随分と酔っ払い散らかして時の中を泳ぎ這ってこれたわね。いい美岐、いいえ黒蜥蜴さん。これからも時代は廻るわ、貴女は貴女のやり方で歩んでゆきなさい。迷惑だったら、名前を棄てても構わないわ。いずれにせよ、自由に生きてゆきなさい。押し付けてごめんなさいね。さようなら」
黒蜥蜴という名の幻より
美岐改め、黒蜥蜴はその手紙を読み終わると、テーブルに置いてあったウイスキーロックを一息に煽った。
少しの甘味と苦味が喉から全身へと巡ってゆく。
それは動脈を伝い黒蜥蜴の帯びていた熱が身体中に憑依していく様であった。
長い睫に彩られた大きな瞳は、その眼球は、
熱く、怪しいほどに光輝いている。
ドレスの薄い生地から透けて見える左肩には黒い蜥蜴の刺青がみえる。
奇妙だが、その黒い蜥蜴は、
黒蜥蜴と呼ばれている女の腕の中を、
上下左右に微かに、這う様に動いていた。
「文豪」三島由紀夫と江戸川乱歩に敬意を込めて
「令和黒蜥蜴」 完