自筆短編 「恋の疾走」
恋の疾走
あれは眩しい陽射しのもと、
駆け抜けた若い日の、輝きに満ちた一日だった。
全寮制の高校、隔離された生活。
毎日ひたむきに日々を生きていた。
そして、僕は恋をした。
その恋は苦しかった。
数日二人で過ごした後は、数えきれない程の手紙を送り合った。
ある日あの子への手紙に、
「会いにゆくよ」
そう書いた。
僕は夜中、全てが寝静まった後に、
窓から飛び降りて、山の中をひた走った。
あの子の姿を追いかけて山の中を走り、
舗装された道に出てからもひたすら走り続けた。
暗闇の中をがむしゃらに走った。
夜中に学校を出てから、走り続けて気がつくと美しい海に朝日が昇ってきた。
全身に汗をかき、そして踵と爪先に痛みを感じる事さえも生きている実感だと思えて胸の鼓動は高鳴っていた。
あとどれくらい走ればあの子のもとに辿り着けるのだろうか。
永遠に続く様に思える程遠いこの道の先に、あの美しい微笑みが待ってくれている。
何も疑いは無かった。それはさながら生まれたての赤子の様な心で、僕はひたすら走り続けた。
次第に空腹感がわき上がってきたが、それさえも与えられた試練であり、脚を止める事はあの子への背徳に他ならないと決めて、耐えて止める事は決してしない。
かすかな記憶を辿り海沿いから交差点を左へ曲がり、さらに走り続けると、見たことのある景色に少し安堵した途端に膝がすくみ出した。
疲労が下半身を麻痺させる。
しかし、もう一本道のこの先にあの子が待っている。
急がなければ、それは生き急ぐ事の様で、それでいて時間を止める様でもあり、人生の最高の瞬間の様な、儚くもある夢の瞬間、それらの感情を全身に血の流れとともに巡らせながら、光の世界をさらに走り続けた。
その衝動は希望に満ちていた。
もうひとつ今度ははっきりと見覚えがある田んぼ道が脇に見えた、先に小さく立っている納屋、初めて会ったあの日に突然降りだした雨から逃れる為に二人で雨やどりをしたのはあの小さな納屋だ。
あの子と過ごした時間が、輝いた景色が、
幾度となく頭の中で繰り返される。
初めて会った瞬間から世界は一変したんだ。
それからは奇跡が二人を導いていった。
もう近くまで来ている。
家々の建物の後ろに見える山の緑が、
昨夜の雨の跡の水溜まりが、
風のにおいが、
それらの色彩が濃くなって感じられてきた。
色を取り戻していく様に。
僕は走り続けた。
焦点が定まらなくなってきた視界の先に目印にしていた大きい、少しくすんだ白い建物が見えた。
やっと辿り着いた。
あの建物の角を曲がればもうすぐそこにあの子が待っている。
角を曲がり、最後の細い道に入った。
曲がった時に体を少しひねってしまい前に転んでしまった。
アスファルトに脚をすり、血が滲む。
しかし、不思議と痛みは感じなかった。
立ち上がり、前を向いた。
そこに小さな人影が映った。
あの子は家の前でしゃがみ込んで、膝を抱えていた。
こちらに気づいて立ち上がり、
僕にこう言った。
「本当に会いにきてくれた、夢じゃないんだよね、これ」
僕は最後の力を振り絞って、微笑んだ。
「ああ、これは夢じゃない、だって僕のこの汗、夢ならもっと綺麗なはずでしょ、ほら、血も出てるし」
彼女は心配そうに、涙を流しながら微笑んで、
そして強く僕を抱きしめてくれた。
安堵した瞬間に眠気が込み上げてきて、身体の感覚が失われていった。
あの子は僕の胸にすがりながら、
何度も、何度も僕の名を呼び、泣き続けた。
その頬を伝う涙の美しさは、
僕にとっては世界の全てだった。
「ここまで走ってきて良かった」
そう思ったその気持ちは、
「ここまで生きてきて良かった」
17歳の僕にとっては、
そういった意味と、全く同じ様に感じた。
あの日の世界の輝きを、
決して忘れることはないと、
私は今でも、そう思っている。