真っ黒に見えるのに「自分は白だ」というひとへ
クレヨンで言えば、白や赤にあたる人と、黒や茶色、黄土色みたいな色にあたる人。
その色を決めているのは自分だから、あの人が黄色だと思っても、隣の人が同じ意見とは限らない。
ところが、たまに、私も隣もそのお隣も口をそろえて、あの人は黒と茶色と黄土色を混ぜたような色をしていると、同じ意見になることがある。
そういったときには、もう大変。
私は、ただ茶色かな、と思っていても、そこに環境というグレーと黄土色を混ぜ込んで、だけど決して白やピンクや黄色は入り込まない、そんな色が出来上がってしまう。
クレヨンって消せないからどんどん濃くなる一方で、いっそクーピーだったらいいのになって思うのだけど、そんな、どす黒いぐるぐるは、もうその人の素顔からは、かけ離れてしまっているのかもしれない。
そうすると、その人自身も結局はその黒と茶色と黄土色とグレーのぐるぐるに飲まれないように、大声を出して自分は白だと主張する。
この人は本当は白かったのかもしれないなんて、誰が思えるんだろうっていうくらい真っ黒のぐるぐるになった球体は、みんなからあいつは真っ黒だと指さされながら、「俺は白だ!」と息を荒げる。
塗り固めたのは誰なのか。
身から出た錆、言葉の刃。
あなたは、悪くないよ。とは、決して言えないけれど、私はあなたの黒いぐるぐるのなかに、白や黄色や赤やピンクが垣間見えるけれど、ごめん、もうこの関係性では手遅れで、その真っ黒なぐるぐるを取りに除く作業は、私の役目じゃない。
そう決別することにした。
私がやらなきゃ誰がやるの?
残された人たちはどうなるの?
そう思って毎日挑むのだけれど「自分がどうにかしなきゃ」だと、やっぱりどうしたって疲れちゃう。
辛いときは自分ひとりになりがちだけど、同じように自分にだけ真っ黒の中の彩りが見えていると思っている人が、少なからずいることに気がついた。
自分だけ、ってことは案外ないのかもしれない。
周りを信じてみようかな。
信じて、信じて、前を見て。
きっとみんな真っ黒の中に、少しのカラフルを見つけられる人たちだ。
クレヨンのケースに並んだ白・黄色・黄緑・緑・青・紫・赤・桃色。
私の黄色が土気色になる前に。
私の緑が枯葉色になる前に。
きっとあなたは白だったんだろう。
だけど、鏡を見てほしい。
どうか、私の愛情が無になる前に、私の言葉を受け取ってほしい。
悲しいなぁ。
本当に悲しいなぁ。
私は、そのときそのときの、私の最善を尽くしたよ。
どうにもならないことばかりだけれど、私は私の幸せに責任を持って、意見を言うし、外に出るし、そして離れる。
どうか、あなたも「白い心」を大切にできますように。
行動と言葉が「白い心」に伴いますように。
穏やかに過ごせますように。
幸せでありますように。