6歳息子、ネイルケアを楽しむ
先日、唐突にそう伝えてくれた今年小学1年生になった6歳の息子。
普段私は2〜3週間に1回程度ジェルネイルをしている。ネイルデザインを変える度に、「今回はこんなのにしたよー」と息子に見せている。(自己満)
デザインはシンプルなワンカラーが多いものの、人からは派手と言われる色ものが多い。蛍光黄緑!とか、真紫!とか。ちょっとぎょっとされる色も好んで選ぶ。
そんな私を日々見てなのか、自分も爪をかわいくしたいと思ったそうだ。
子供用の剥がせるネイルがあると聞いたことがあったので、さっそくネットで調べてポチった。
除光液を使わなくても、ぺりっと剥がせる、爪に優しい?タイプのやつ。
数日後、さっそく品物が届いた。
12色のカラフルなネイルセット。とってもかわいい!
週末、ネイルがやってみたいというので、爪を切り整え、彼が選ぶ好きな色を塗ってあげた。カラフルな爪になった。
などと感心しながら、とても楽しそうだった。
塗り終えたら大満足。
ネイルがはげないよう、自分の手を大切に扱っていたのが印象的だった。
セルフケアの一歩
彼の様子を端で見ていて、なんとこれは立派なセルフケアなのだろう、と思った。
私が子育てをしている中で常々気になっていることの1つに、心身のセルフケアがある。
・自分の身体を大切に扱うこと、扱ってよいのだと知ること
・他者の身体も大切に扱うこと
・そのための具体的なセルフケアを知ること
こういったことを、大人になる過程で少しずつ学びながら育ってほしいと思っている。
なぜかというと、テレビに出てくる男性タレントの身体の扱われ方や、私自身の子供時代のまわりにいた男の子たちの、お互いの身体の扱い方をみていると、胸がズキッとすることが多いからだ。
例えば、
などがそれにあたる。
そういうコミュニケーションを目にする度に、痛そうだなぁ、大変だなあと思う。
もし本人が痛くて嫌だなあと感じていたとしても、その痛みや感情は「面白くて、男らしい」という価値観の中で見えなくなってしまうのだろうか。
そしていつしか、「当たり前の痛み」になるのだろうか…
などと、考えてしまう。
自分に対しても、そして他者に対しても、「有害な男らしさ」を振りかざすことがありませんように…
と願わずにいられない。
有害な男らしさとは
ここで、男性学研究者である伊藤公雄先生のコラムを紹介したい。
英語でToxic Masculinityといわれるこの概念、記事を読めばわかると思う。
こういった行動は、伝統的男性性イデオロギーを構成する要素だそうだ。
自分の豊かな感情、身体の感覚といった、生きるうえで大切な要素に蓋をしながら生きるのはどうにも辛いと思う。
もちろん、生き方を選ぶのは本人。私が無理に誘導したり、型にはめ込むつもりはない。
ただ、男性学の知識は持っていて損ではないし、有害な男らしさについて知っておくことは大切なことだと思っている。
私は大学生の時に男性学に出会って、それまで言語化できなかったモヤモヤがすべて晴れた気がして、嬉しかった。
社会にある「名もなき当たり前」の事象に名前がつくだけで、その姿かたちが露わになる。
言葉や概念を知ることの大切さを実感した体験だった。
とはいえ、学術的なことを学ぶのは10代からで十分。とにかく小学1年生の今は、まず自分の感情に蓋をしないことを大切にしてあげたい。
たとえば、気持ちや考えを言葉で表現したり、アートで表現したり、ファッションや音楽を楽しむのも面白そうだ。
取り組むスタイルは何でも良くて、とにかく気分や好きなスタイルをなにかしらで伝えたり表現できる、自由な自分でいること。
それがいまできている彼を、私がわざわざ遮らないでおきたいと思う。
これから学校などで、女みたいだと馬鹿にされたり、誰かに身体を雑に扱われたりすることがあるかもしれない。そして、それを当たり前だと思わされたり、自分も有害な男らしさを身に着けようと苦しむ時期が、彼にもくるのかもしれない。
そのときに、ジェンダー論や男性学で学べることを伝えたいと思うし、自分らしくあってよいのだ、そういう在り方も選べるのだと、知っておいてほしい。
ネイルケアも、自分の身体をケアしたり、感情を探るサポートになる1つの行為だと私は思っている。
甘皮を処理したり、長さや形を整えると、爪の調子が分かる。爪が丈夫になったなとか、欠けやすくなったなとか、伸びるのが早くなったなとか。
そして色やデザインの選択は、そのときの自分の気分や感情を感じることに繋がる。
これからの人生の中で、辛い!痛い!と感じたときに、それを隠すために無理に強がったり、男性性の体現に執着することで、自分も含め誰かを傷つけたりしなくてすむように。
息子のとても楽しそうなネイルケアを見ていて、そんなことを思ったのだった。
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