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今さらながら、スープの作り方に開眼した

フランス料理でスープは前菜である。

著書「フランス人と気の長い夜ごはん」にも書いたけれど、

フランスの家庭ではレストランと同じように、

「前菜」,「メイン」、「デザート」と順番に食べるのが基本。

でも、我が家ではガッツリ肉料理をメインに食べるし、

その後にはサラダとチーズを必ず出すから、

日常の食卓に私は前菜を作らない。

しかし、現在改装工事を手伝いに来ている知人が、

我が家で週3日も昼ごはんを食べるので、

まんまと前菜を作らなくてはいけない羽目に陥っている。

たまに人を招いた時ならともかく、

こうも日常的に前菜を作らなくてはいけないとなると、

作り慣れていない私としては、ハタと困る。

一体、何を作ろう。


「前菜」なんて言うと、

いかにも手の込んだすごいものを想像するかもしれないけれど、

フランスの家庭料理は至ってシンプルなものばかり。

定番のところで、ニンジンを卸しただけの「キャロット・ラぺ」、

太いポロネギをゆでてドレッシングで食べる

「ポワロー・ア・ラ・ヴィネグレット」、

半分に切ったゆで卵にマヨネーズをのせただけの「ウフ・マヨ」なんて、

まさに料理名も作り方もそのままである。


さらに冬の大定番といえばスープ。

スープといっても、

フランスではどろっとしたポタージュを指すことが多いのだけれど、

野菜を何でも圧力鍋に入れて火を通し、

ブレンダ―で攪拌して味を整えるだけの超簡単一品。

野菜の味だけで美味しいから、

鶏ガラスープの素もブイヨンも入れない。


前菜を作らない私でも、

カボチャがあると作るのだけれど、

カボチャの種類によって味はさまざまに仕上がる。

フランスで一般的なオレンジ色の皮のポティマロンは、

日本のカボチャほどホックリしておらず水気が多いので、

もうひとつ足りない味になるし、

白地に緑の縦縞が入ったパティドゥというミニカボチャは、

濃厚なのだけれどちょっと甘みが強すぎる。


その日、ちょうど家にあったのは、

日本のカボチャに似た緑色の皮の栗カボチャ1/4個とパティドゥ2個。

前菜を一度に2日分作ってしまいたい私は、

これでは少ないと、ジャガイモ小3個を加えて増量することに。

さらにパースニップという見た目は白いニンジンのような、

心地よい香りがあり、甘みが強い根菜が1/2本あったので、

加えてしまえ!と全部圧力鍋に放り込む。

そしていつものようにブレンダ―で攪拌し、

牛乳でのばして仕上げに生クリームを加え、

塩、こしょうで味を整えれば、

はい、出来上がり。


しかし、この日のカボチャのスープは、

ほのかに甘いパースニップの香りが漂い、

カボチャの甘みをジャガイモの淡泊な味で若干押さえ、

すべての野菜の味が絶妙に調和した、

完璧な仕上がりだったのである!


私は料理を作る時にレシピを見ない。

基本的な調理の手順は決まっているし、

調理法や素材の組み合わせ、味付けに変化をつけるだけで、

バリエーションは何通りもできるからだ。

さらに我が家では家にあるもので料理を作るのが大前提だから、

時別な時でもなければ、わざわざ特殊な食材を買いに行って、

凝ったものを作ろうとも思わない。

だから、料理をする前に家にある食材を頭に浮かべ、

味、食感、色などの組み合わせを考え、適当に作ることが多い。


しかし、今回の相手はスープ(ポタージュ)である。

素材そのものの味とか、肉の味が浸み込んだ野菜とかではなく、

さまざまな味を混ぜて、ひとつの味となるように仕上げたものである。

とはいえ、野菜を何でもかんでも混ぜて、

結局、何の味なのか分からなくなるようではイマイチだろう。

この場合ならば、

カボチャだけでは甘みが強くなりすぎる(+)ところを、

ジャガイモで味を和らげ(-)、

とりわけパースニップでほのかな香りを付け加えた(+)のが決め手。

異なる味の組み合わせで足し算、引き算をし、

まさに美味しい方程式を見つけるようなもの。

簡単なスープであれど、なんと料理として奥深いのだろう!

感動である(笑)。


だからこそ、定番料理には基本のレシピがあるし、

料理研究家やシェフはさらにオリジナルなレシピを探すのだろうけれど、

家庭料理で普通に炒めたり、煮たりするくらいなら、

ある野菜を追加したり、野菜の分量を増減したところで、

仕上がりの味が気になることはない。

一度だけ、クスクス用のスープにポロネギを加えたところ、

全体が甘い味わいになってしまったため、

それ以降はポロネギを入れるのをやめた、それくらいである。

そして食べる側は、料理を作る側とは異なり、

些細な違いは分からない。

現に昼ごはんに“特製”カボチャのスープを食べた男2人は、

美味しいと言ってお代わりをしつつも、

いつものカボチャスープとの味の違いになんて気付いていない。


その夜ごはんに、

「今日のカボチャのスープは違うのだ。パースニップが絶妙なのだ」

と、世紀の発見を披露したのだけれど、

家人のファンファンは「ふうん」の一言で終わった。

そんなものである。

イマイチな仕上がりになった時に細かく指摘されるのも嫌だから、

何でも美味しく食べてくれる相手で決して文句はないのだけれど。


料理は身近にある創作の場だと思う。

そもそも、毎日作らなくてはいけない料理だからこそ、

楽しまなくてはやっていられない。

それには凝ったものを作る必要はない。

素材と対話して、その持ち味を引き出せばいいだけだ。


だから、今日も私はせっせと料理を作る。

自分の美味しい創造力を膨らませるために、

そして食べてくれる人を喜ばせるために。

で、時々、偶然のヒット作ができるから、

こんな風に私もいい気になるのである。










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