ノルマンディーの現在の家に私が暮らし始めた頃、パリのインテリア本を作っていて、パリジャン宅を取材していた時期があった。ある日、訪れたアパルトマンで取材相手とひとしきり話してから、インテリアの撮影に取り掛かることに。すると、その彼女は電動ドライバーを手にして現れ、「子供のベッドを組み立てなくてはいけないから、後は自由に家の中を撮っていいわよ」と子供部屋に消えて行ったのだ。 まるで「今から料理をするから」と、包丁を手にしているようにドライバーを持った彼女の姿は、慣れているためか
※インスタ掲載済みですが、noteにも残しておきます。 うちの猫たちは、中庭の納屋で生まれてから、⠀ 10年以上、外で暮らしています。⠀ ⠀ その間に兄猫と母猫を失ってきたし、⠀ 私は1日でも猫の姿が見えないと、⠀ もう帰って来ないんじゃないかと不安になります。⠀ その度に、こんなに辛い思いをするのならば、⠀ 猫を家の中に閉じ込めてしまった方がどんなに楽かと思ったことか。⠀ ⠀ うちには犬猫以外にも多くの家畜がいて、⠀ 日常茶飯事のように「死」が身近にあります。⠀ そんな多
最初は矛盾していると思った。 最終的に食べることになる動物を、手間暇かけてわざわざ育てるなんて、時間的にも労力的にも無駄なことではないのかと。 典型的なサラリーマンの父を持ち、転勤家庭で育った私は、動物を飼った経験といえば小学校の時に十姉妹の小鳥くらい。ノルマンディーに来てから、生まれて初めて犬猫が飼える環境で暮らすことになったわけだけれど、愛情を注いで一緒に暮らすペットならば、動物を飼うという意味は分かる。時間をかけて信頼関係を築き、目を合わせるだけで相手の気持ちが分か
我が家の牧草地は春真っ盛りである。1カ月ほど前までところどころで土が見えていたのに、青々とした牧草がぐいぐい伸び始め、辺り一面に緑色の絨毯が敷き詰められた。そこにタンポポがポツポツと黄色い水玉をつけたかと思うと、一気に黄色い絨毯となり、心地よいふかふかの大地へと変身させたのだ。さらに今年は、牧草地の隣には菜の花畑が広がり、鮮やかなことこの上ない。 我が家の家畜たちは、羊も、牛も、馬も、干し草になんてもう目もくれず、次々と生まれてくる柔らかい草を食みつつ、暖かな日差しの中、牧
まず最初に、声を大にして言っておこう。 卵は殻の色が違うからといって、栄養価に違いはありません! 上記の記事のように与えるエサによって特殊な卵を作る場合もあるらしいけれど、最初の写真の卵はすべて我が家で採れたもの。したがって、我が家にいるニワトリたちは同じエサを食べているわけなので、産んだ卵に色の違いがあるのは、ニワトリの種類が異なるだけ。日中は外を自由に歩き回り、夜になったら勝手に鶏小屋に入って寝るという、飼育環境もまったく同じ。だから、卵の栄養価にも違いがあるわけがな
去年の3月中旬にフランスで始まった、新型コロナ感染対策のための外出規制。その時は約2カ月間で解除となったものの、この未曽有の出来事の始まりにあたり、私が考えたことは、いかに家の中に食料を確保するかだった。 もちろん、大型スーパーは開いていて、買い物のために家の外に出ることは、外出証明書を持参していれば可能だったけれど、日本同様フランスでも、食料品の棚は空っぽになるばかり。とはいえ、我が家は日頃から買いだめをしている家なので、その時もその後1カ月はスーパーに行かなくても済む状
鳥によって運ばれた樹木の上で生きる、半寄生植物のヤドリギは「他力本願な生き方」なんて先日の記事に書きながら、実はとても後ろめたい気持ちになった。ヤドリギにそんなことが言えるほど、私自身は強固な意志を持って今まで生きて来たのだろうかと。 これまでの人生の中でもっとも意志を貫いたのは、大学卒業後にフランスに留学すると親に宣言をして、卒業後の半年間、バイトに明け暮れた末に、勝手に日本を飛び出した時のこと。とはいえ、フランスに行くことを決めたのも、ある人の助言があったからだ。 当
付き合い始めの頃、 毎週、ファンファンは花束を持って私の家に来た。 ほとんどがバラで、時々スイトピーもあった気がするけれど、 ノルマンディーの庭から自分で切ってきたもの。 切り口にアルミホイルをぐるりと巻いただけの小さな手作りブーケ。 当時、私はヴェルサイユのアパルトマンに住んでいたから、 無味乾燥とした部屋の中に、 ナチュラルな香りと色合いをもたらしてくれる 小さなブーケに大喜びした。 それは田舎のピュアな空気とともに、 生気をも運んで来てくれるような、
正直に言って彼が苦手だった。 現在、週3日、お昼ごはんを一緒に食べているフランソワのことである。以前、お父さんの使用人が住んでいてその後何年か空き家となっていた、かの一軒家を貸別荘とするために、改装工事を手伝いに来てくれている人だ。 彼は電力会社を退職後、電気配線関係の工事を主にさまざまな大工仕事を受け持つ、いわば便利屋さんの仕事をしている。生涯独身で、両親が亡き後に引き取った、知的障害者の弟と2人で暮らしているのだけれど、日中は弟も外に働きに出ているため、独りで家にいて
その週は大寒波がやってきて、数日間の朝の気温はー1,2度。相変わらず雪は積もらなかったけれど、さすがに地面はカッチコチ。そうなると牧草地にいる馬たちの飲み水が凍ってしまうため、氷を割って回るのが私の仕事のひとつとなる。ぬかるみよりは断然に歩きやすい、硬い大地を踏みしめて牧草地へ向かうと、白いカモメの集団が舞っているのが目に入った。 我が家は海辺にあるから、カモメが来ることは何も不思議ではないのだけれど、今まで牧草地にカモメがいるところを見たことがなかった。どこもかしこも凍っ
夏の青々とした草の匂いをちょっと香ばしくして、 干してふかふかになった布団から立ち上る 太陽の匂いを足した感じが、干し草の香りだ。 それもそのはず、夏にめいっぱい伸びた牧草を刈り取り、 照りつける日差しの下で干して乾燥させ、 味わいも香りも凝縮させて、干し草は作られるのだから。 このほんのり甘くて心地よい干し草の香りがふわりと漂い、 思いっきり深呼吸して、匂いを嗅いでしまう。 牧草地にはほとんど草が生えなくなる、 冬季の家畜の飼料が干し草である。 他にも小
羊たちにエサをあげると、みんな我先にと突進してくるのだけれど、その日は1頭だけ隅にいて食事に参加しない雌羊がいた。気になって観察をしていると、脚を曲げて腹ばいになったかと思うと、にゅっとお尻から小さな頭が出て来た。初めて見る分娩の瞬間だ! 家畜は夜中に出産することが多いので、分娩の瞬間を見る機会はなかなかないのだけれど、まさか羊の出産に立ち会うことになるとは。しかし、カメラを構えてしばらく待ってみても、頭から次がなかなか出て来ない。もしかしたら、子羊が引っかかって出て来れな
フランス料理でスープは前菜である。 著書「フランス人と気の長い夜ごはん」にも書いたけれど、 フランスの家庭ではレストランと同じように、 「前菜」,「メイン」、「デザート」と順番に食べるのが基本。 でも、我が家ではガッツリ肉料理をメインに食べるし、 その後にはサラダとチーズを必ず出すから、 日常の食卓に私は前菜を作らない。 しかし、現在改装工事を手伝いに来ている知人が、 我が家で週3日も昼ごはんを食べるので、 まんまと前菜を作らなくてはいけない羽目に陥っている
その日の朝、羊小屋を覗くと、子羊が2頭生まれていた。 早い子は去年末から生まれているから、すでに大きさの異なる子羊が4頭、母羊たちの間をチョロチョロしているのだけれど、誕生した子を見るのは何頭目であっても、にっこりしてしまう。うきうきしながら小屋の中に入り、飲み水を足すために蛇口のところまで来ると、ふと、水槽の後ろに隠れている子羊が、もう1頭いるのを見つけた。 最初の2頭は母羊の傍にいて、ひと目で親子だと分かるのだけれど、もう1頭の母羊が見当たらない。大きさから見て、みん
朝起きたら、外は真っ白な世界だった。 朝ごはんを食べるやいなや、文字通り、 カメラを持って外に飛び出した。 私が住んでいるフランス北西部にあたるノルマンディー地方の、 イギリス海峡側の海辺では雪は滅多に降らない。 降っても1年に1、2度で、その日のうちに消えてしまうほどの降雪量。 この日も外が真っ白な理由は、雪ではなくて霜である。 雪になるほど気温は下がらないのだけれど、 その代わりほぼ毎日のように雨が降るノルマンディーの冬。 1日中降り続くわけではないのだ
これまでの人生の中で引っ越しをした回数を数えてみた。 16回。 平均的な回数は知らないし、 上には上がいるだろうけれど、 それなりに多い回数ではないだろうか。 前の家から新しい家に移る間の、家なし状態だったことも多々あり、 その度にいろんな知人のところに居候したことも加えると、 20回以上にはなる。 子供の頃は親が転勤族だったからだけれど、 自立してからも引っ越しを繰り返したのは、 引っ越しが好きだからだ。 とは言え、引っ越し自体がしたくて引っ越しをして