暗い冬を乗りきるための、自然からの贈り物
朝起きたら、外は真っ白な世界だった。
朝ごはんを食べるやいなや、文字通り、
カメラを持って外に飛び出した。
私が住んでいるフランス北西部にあたるノルマンディー地方の、
イギリス海峡側の海辺では雪は滅多に降らない。
降っても1年に1、2度で、その日のうちに消えてしまうほどの降雪量。
この日も外が真っ白な理由は、雪ではなくて霜である。
雪になるほど気温は下がらないのだけれど、
その代わりほぼ毎日のように雨が降るノルマンディーの冬。
1日中降り続くわけではないのだけれど、降ったりやんだり、
時々強風にあおられて、嵐のようにもなる。
週に2、3日太陽が顔を出すのはいい方で、
雨が降らなかったとしてもどんより曇りの日も多い。
冬時間の現在、1月17日(日)の日の出は8時48分、日没は17時35分。
ただでさえ、日が短いというのに、曇りまたは雨の天気では、
外はほとんどグレーの世界。
人々は日が昇る前の暗い朝に家を出て、
日が沈んだ後の暗い夕方に帰宅する日々を送っている。
だからこそ、フランスではどんなに小さな村でも、
11月~1月まで、陰鬱な世界を明るく照らすために、
クリスマスイルミネーションで飾られる。
暗くて長い冬を乗りきるには、
クリスマスのような華やかなイベントが必要でもあるのだ。
我が家の牧草地も色のない世界に変わる。
休ませている区画はまだ緑色の牧草が残っているけれど、
多くの区画では土色がところどころ見える禿げた状態。
葉をすっかり落としたリンゴやサクランボの果樹は、
裸の枝を空中に広げ、手持無沙汰なようすで佇んでいる。
そこに雨でも降ろうものならば、
大地はぬかるんで足を捕らえ、厄介な泥となって服にこびりつく。
果樹園はまるで葬式へと向かうような黒々とした列を成し、
グレーの世界をより一層憂鬱に演出してくれる。
だからこの時期、カメラを持って牧草地に行くことは稀なのだ。
でも、霜が降りた日はまったく違う。
霜が降りるのは、目が覚めるほど快晴のキンキンに冷えた朝のこと。
凍りついた大地と、霜が張りついてシャーベット状になった牧草は、
踏みつけるとシャリシャリと心地よい音を奏でる。
裸だった果樹の枝たちは白い結晶を身にまとい、
パーティーへと赴くような煌びやかな衣装で列を成している。
そして、徐々に昇っていく朝日に照らされると、
真っ白な世界はさらにキラキラと輝きだす。
太陽という自然の光で灯された氷の電球は、
さながらクリスマスのイルミネーションのように華やかだ。
でも、この天然のイルミネーションは、
日の光で暖められると、瞬く間に姿を消してしまう。
しかし、一瞬でも心をときめかせてくれる結晶の輝きは、
冬ならではの自然からの贈り物。
そんな煌びやかで儚い景色を見ると、
暗い日々にふさぎ込みがちな心が一気に晴れ、
ただ単純に、この美しい世界に生きていてよかったと思う。
よく見ると、裸だと思っていた枝には堅固そうな蕾が、
ひょっこり顔を出している。
冬至を過ぎた現在では、1日に数分ずつながら、
少しずつ日が延びているのが実感できる頃でもある。
この冬真っ只中であっても、自然は人知れず春に向かっているのだ。
静寂の中でエネルギーを温存する冬があるからこそ、
賑やかな生命みなぎる春が訪れることができる。
そして暗くて寒い冬があるからこそ、
明るくて柔らかな春のありがたみが一層身に染みるというもの。
そう、春はやって来る。
その時まで静かに待とう。
めいっぱい両手を広げて元気に春を迎えるためにも、
自然のように体を休ませ、養生する時期が私たちにも必要だ。