ダブリン そぞろ歩き
2009年3月11日~21日 アイルランド紀行28
3月19日 曇り
Dublin②
世界的遺産に圧倒されてトリニティカレッジを後に、首都をてくてくと歩く。目的はコングの十字架を収蔵した博物館だったが、移転されたのか見つからない。
くたびれ果てた末に、チーフタンズや名だたるアーティストを排出した老舗のパブ「オドナ・ヒューズ」でひと休みすることになった。
壁に張られたポスターや写真はセピア色にあせ、時が沈殿しているような妙に居心地のよいスペースだった。
一見とっつきにくそうなオーナーは他の客の相手をしながらも、さりげなく我々に話しかけてくれ、プロフェッショナルな接客態度を感じた。
ダブリンにうまい店はないかと問うたら、老眼でガイドブックを必死でのぞきこみ、ここだ、ここだと所在地に○印をつけてくれた。
その後、オドナ・ヒューズから直進したところのセント・スティーブンス・グリーン公園から衝動的に観光馬車に飛び乗り、いささか訛りのきつい御者の男性に、いままさに歩いてきた道を案内された。
馬車代15分40ユーロといささか高かったが、 御者の男性の話はおもしろかったし、最後に馬に触らせてくれ、御者台に夫を上らせて写真を撮らせてくれた。
セント・スティーブンス・グリーン公園はさまざまな花が咲き、春爛漫だった。その中に佇むアイルランド紛争で処刑された有志の、どこか悲しげな銅像が印象的だった。
公園を抜けた先のグラフトン通りは華やかなショーウィンドー、人だかり、路上には美しい色とりどりの花が売られ、まるで銀座のような高級感にあふれていた。ダブリンはまごうかたなく都会で、確かに首都の顔を持っていた。
初日にリフィル北河岸に宿泊しテンプル・バーを訪れたときは、「これが首都なのか?」とひそかにいぶかしんだが、それはダブリンの鼻先に過ぎないことが今日散歩してよくわかった。
グラフトン通りを右に曲がった奥の建物の垂れ幕に、「博物館」という文字が見えた。
もしやコングの十字架が収蔵されている博物館では!と閃き、オドナ・ヒューズのおやじさんが紹介してくれたお店の一つ「デイビー・バーンズ」を足早に通り過ぎ、閉館30分前に飛び込んだ。
すみやかに目的にたどり着きたかったので、「コングの十字架がここにはあるか?」と銀髪の端正な顔立ちの係員に聞いたら、にっこりとほほ笑んで入り組んだ通路を迷わずにいざなってくれた。ヤッタ~!!
「これだよ。」
いくつかの展示室を通り抜けて、紹介された十字架は息をのむほど美しかった。ミリ単位のケルトの渦巻きが十字架上にほどこされている。このケルト文様はどのように造られるのだろうか?銀糸の上に銀糸が来て、それがまた下をくぐり、渦巻きが連続していく。
人が極めた技術とは、かくも感動とときめきを与えるものかと、目がくぎ付けになって離れられなかった。これは見る価値がある。来れて本当によかった。
博物館を出たあと、アイルランドの民族楽器バウロンという打楽器求めて、ダブリンの街を歩き回った。旅行先では、いつもあてずっぽうに歩いてその街の全体像を把握するのだが、ダブリンはひたすら広かった。
風邪がぶり返し気味の夫はホテルに先に帰り、私はさらにほっつき歩いて、ダブリンを体感しようとしているうちに、どんどん日が暮れいった。
ダブリン城近くまで来た時、通りの先に夕闇に浮かび上がるようなクライスト・チャーチ大聖堂が見えた。薄墨色の空に溶けるような街灯の紫色が美しく、思わず歩を止めた。アイルランド最後の夕陽が落ちていく……。
その光景が自分の中で「ダブリン」として腑に落ちたらしい。かなり歩いて疲れたこともあり、それ以上の散策をやめてホテルに帰ることにした。
養生のためホテルに帰ったはずの夫は、ザ・クラレンス前のリフィー河に落ちる夕日に魅入られ、写真を何百枚も撮っていたことが後から知れた。
お互いにそれぞれの場所で最後の夕陽を堪能したのであった。
※この旅行記は以前に閉じたブログの記事に加筆して、2023年春にnoteに書き写してます。