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子どもが教えてくれた「信じられるかどうかではなく、信じると決めてしまう」こと

某有名YouTuberさんが言っていた言葉で、「本当にそのとーーーりだ!」と思っている言葉。


「信じられるかどうかではなく、信じると決めてしまう。」


・・・どう思いますか?このフレーズ、良くないですか??

だいぶ前から私の教育観の根っこになって、今でもグングン伸び続けています!

オルタナティブスクールを開いても、この思いはまず変わらないと断言できます!そのほうが子どもも大人もハッピーになれると、信じています!


これを強烈に自分の中に落とし込んでくれたのが、かつて担任していた男の子の

「先生だけは、俺を信じてくれた。ありがとう。」

という言葉でした。

まだ教員生活が始まって間もない頃、その子は、何か悪さをしたと言う疑いをかけられて、何人かの教師に囲まれ問い詰められていて・・・

T1「〇〇(男の子の名前)さん、あなたがやったんでしょう?」

T2「証拠があるんだからね。正直に言いなさい。」

男の子「俺じゃない。」「やってない。」

長いことやり取りをしていたようで、遅れて担任の私が教室に入ってきたのですが、

T3「かずきち先生。〇〇、いつまでも認めないのよ。」

T4「ごまかしてもいいことないのに。」

だいぶ前の記憶なので、この言葉が正しかったかはわからないけど、周りの先生方の思いとしては、だいたいこんな感じ。

かずきち「そうですか。わかりました。ちょっと、僕が話を聞いてみます。」

こうして、男の子と2人で話をすることになりました。

か「(悪いこと)やったの?」

男の子「やってない。」

そう言っている彼の目が真っ直ぐだったこともあって、

か「わかった!〇〇さんがやっていないというのなら、誰がなんと言おうと、先生は信じるよ!」

今でもこの時、そう彼に伝えられてよかった!と思っています。


時が流れ、その子が小学校を卒業する時、私に贈ってくれた言葉の中に「先生だけは、俺を信じてくれた。ありがとう。」がありました。1年以上前の出来事でしたが、その言葉で記憶が鮮明に蘇り、「ああ、そんなふうに思ってくれていたんだ。」と、手紙を読みながら涙が止まりませんでした。

その言葉をもらったときに、心の底から「信じてよかった」と思ったし、「これから出会うすべての子どもたちのことを信じると決めよう」と心に誓った瞬間でした。

実際に彼がその当時、悪いことをしたのかどうか、真実はわかりません。(まあ、やってないと言うのだからやってないと思うが)

そもそも、その事が重要ではなく、大切なのは、あの時、彼を信じられたかどうか。それだけです。

後に、彼が高校生になっても私からの言葉を覚えていてくれたことを知ったことで、その誓いはますます自分の心に強く刻まれることになりました。


教育に携わるものとしての根っこを作ってくれたその子は、私にとっては「師」です。かつての出来事にも、その子の存在にも、感謝してもしきれません。

子どもたち一人ひとりにレッテルの貼るのは簡単です。子どもは(大人も)自分を守るために、ウソやごまかしを言うこともわかっています。それでも、とことん話をしたうえで子どもが言った言葉であれば、やっぱり信じます。

仮に、信じた結果、裏切られて馬鹿を見ても構わない。

でも、疑った結果、その子の心に傷を残すのは、絶対に嫌だ。

そう腹を括れたおかげで、100%子どもを信じることができています。


そんな私の師である彼も、(計算が正しければ)成人を迎えました。

今は連絡を取り合えないですが、いつかどこかで再会できたら、改めてお礼を言って、その流れで居酒屋へ行って、お酒をおごって笑 これまでのこと、これからのことをたくさん語り合いたいな~。(コロナよ、それまでに収束しろ!頼む!)

本当にありがとう!!

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