いつでも、そこに。『原田治 展 かわいいの発見』
高校時代、ミスタードーナツのノベルティだったお重を弁当箱として使っていた。自転車通学だったので、(タッパーのような蓋ではなく)ただ蓋はのせてあるくらいのソレは、ゴムバンドで留めいたものの、なかなかにバッグの中をヤンチャなことにしてくれたことがあった。けれど、めげずに愛用していた。
他にも、カフェオレボウルをノベルティとしてもらったことがある。カフェオレボウルを使ってカフェオレを飲む習慣などない(そもそもコーヒー牛乳としか読んだことがない)家庭に育ったけれど、自称olive少女は踏ん張った。何かと茹でたトウモロコシや枝豆などを盛ろうとする母に、「これはカフェオレを飲むための器だから!」と。
本当はおにぎりが食べたかった
オサムグッズなノベルティ欲しさに、お小遣いをドーナツにつぎ込んだ。厳しめのバスケ部だったから、部活の前には本当は腹持ちの良いおにぎりや焼きそばパンが食べたかったのに。
ふわふわのフレンチクルーラーなど言語道断。お腹にたまるオールドファッション系ドーナツを選んだ。今でもドーナツはインスタ映えなどしないしっかりした素朴系が好みだ。
世田谷文学館で開催中の『原田治 展 かわいいの発見』に足を運んだ(この施設の目の付けどころやキュレーションは、毎回好みがすぎる。ちなみに、次回はSF作家の小松左京展!)
あの頃の甘酸っぱいムードを「思いっきり浴びたい!」と考えていたが、実際に会場を歩いてみると原田さんの仕事の幅に驚いた。
私が中高生の時代に好んで読んでいた小説の装丁は原田さんが施していたものがとても多かった。「あくまで大事なのはテーマや内容にそっていること」と語っていた原田さんは、さまざまな仕事の発注に応えるため、たくさんの描写スタイルを編み出していたのだそうだ。
いつでも、そこに、原田治。
暮らしの中に溶け込みすぎて意識していないところで、私たちは原田作品に触れている。真摯な仕事ぶりはもちろん、その美意識の源泉がよく分かる展示だった。
『地下鉄のザジ』を「世の中に、こんな可愛い映画は、それ以前にも以後にも絶無!」と原田さんは評する。
なるほど、原田さんが言う「かわいい」の空気がよく分かる。
美意識の塊とも言える原田さんが最後に遺した「美しいものたち」を語ったエッセイ集。展示会場で購入した、この『ぼくの美術ノート』の中に、長谷川町子さんの漫画『いじわるばあさん』について書かれた「いじわるばあ讃」の一編がある。
いたずらや意地悪、毒舌といった一歩間違えると反感を買いかねない題材を、どこまでも健康的な笑いに昇華させるヴィジュアライゼーションに唖然とさせられました。
きっと、いじわるばあさんの中にも5%の淋しさや切なさを見ていたのでしょう。そして、その本の中では、もうひとつ日本の漫画が取り上げられている。それは赤塚不二夫さんの『ギャグゲリラ』。
赤塚不二夫が生み出したキャラクターの中でも、ほかに類を見ない特異な目玉の大きさ。一見ブキミでもあるが、しかし真っ黒なその目にはどこか哀愁が漂っていて、それが可愛らしさにもつながっていく。
「我が青春の!」なんて言えるほどには私は原田さんのことを知らなかったのだなぁ、としみじみ。けれど、少しだけ原田さんのとらえていた「かわいい」の尻尾をつかまえられたような気がして嬉しくなった。
【追伸】
原田さんも参加していた幻のサブカル誌『ビックリハウス』。「読者の上に読者を作らず、読者の下に編集者を作る」というコンセプト。とてつもなく“今っぽい”雑誌のあり方のような気がして、まじまじと観察してしまいました。