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自分のご機嫌、誰がとる?

『ナミビアの砂漠』の山中監督のインタビューを読んでいるが、私が内面化してきたであろうことをズバズバと指摘してくれるようで、最初はそれを申し訳なく思っていたけれど、だんだん清々しい気持ちにすらなってきた。

「日々成長」とか言われると、“それってどういうこと?ただ毎日が経過しているだけでもよくない?”なんて思っちゃうんですけど。(略)カナみたいに混沌として怠惰でいることは別におかしくない。そういう気持ちがあります。

(出典:ginza)

たとえば誰かにひどいことを言われ、イライラしたとする。こういう時、“なぜ自分で自分の機嫌をとらなきゃいけないんだ?いや、とらなくていいだろう”って、すごい思うんですよね。それより「あなたのこういう言動で、今すごく嫌な気持ちになった。キー!」みたいに、もっと感情を出していいんじゃないかって。

(出典:ginza)

『生活をないがしろにしてでも映画のことを考えるのが、映画監督として真っ当である』みたいな思い込みから抜け出せて本当によかった。そういう考え方が、映画のためなら他人を踏んでいいということにつながりかねないと気づきました。あまり映画のことを信じすぎないようになったというか。映画だけのためには絶対に生きたくないし、生きている過程、その延長に映画を作れたらいい。

(出典:Bunkamura)

『ナミビア』のなかでカナという人間が過ごすある一定の時間はもしかしたらすごく無意味に見えるかもしれないけど、別にそういう時期があってもいいし、一生それでも別にいい。混沌としていたっていいし。それを自分にも言いたくて。

諦め前提で、守りに入って正しい選択をしていく、みたいなことより、もうちょっと実存を生きようというような気持ちがあります。

(出典:CINRA)

「自分で自分のご機嫌をとろう」と、私はメディアで多く発信し続けてきた自覚もあるが、やはりそれ(ざっくり言うならば、我慢)によって、その場はうまく回れども(いや、その気になっているだけかもしれない)、同時にまわりに、とりわけ下の世代に多くの負荷をかけ続けてしまうことなのだな、と。

ことあるごとに思い出したいインタビュー群だった。

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インタビュー読んで読み返したくなった本。


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