私と書道のはなし ①
ばらかもん、というドラマを見た。マンガやアニメが先にあって書道っぽい内容らしいということはなんとなく知っていたのだが、これまで見る機会がなかった。
ドラマの方はたまたま録画されていたものを見たのだが、仕事がら響くものがあって興味深く感じた。
「まだ若いのにずいぶん型にはまった字を書くね」
「手本のような字、というべきか……賞のために書いたもの、というべきか……実につまらん字だ」
「君は平凡という壁を乗りこえようとしたか」
これは主人公が某展覧会でそこの館長から言われた言葉である。思わずブチ切れて館長の胸ぐらをつかんで……となるのだが、あ〜これは確かに一番言われたくない言葉だろうなと思った。人間は図星をさされるとキレる、の典型的な展開であった。
しかもどうやら主人公は高名な書家の息子というなんともキツい設定でもある。お父さんという壁はそれはもう大変なプレッシャーだよね。
で、
舞台は突然五島列島へと移った。その経緯は描かれていなかったが、心機一転?気分転換?まぁ、行き詰った時は環境を変えろ、と誰かが言ってました。(by遺留捜査糸村さん)
そして、その島でも小さな女の子に、「先生の字みたいにキレイだな」と言われ大人気なく憤慨してしまうという……
そう、書家にとって「綺麗な字」「手本のような字」というのは褒め言葉にはならないのである。それは習字であって書道ではないから。
『習字と書道の違い』で検索するとトップに以下のような文章が表示された。
実にわかりやすい。
ちなみに私は自分のことを書家、書道家と思ったことはたぶん一度もない。プロフィールにも書いたが「お習字の先生」である。
ザ·お手本!である。可もなく不可もなく、だが、あの女の子ならきっと褒めてくれるであろう。清舟クンは怒って半紙を丸めて投げたけれど、「ありがとう!じゃ一緒に書いてみる?」って言うよ。だって私は習字の先生だからね。
……
しかし
そんな私にも「習字の壁」にぶつかる日がきたのである。そしてその時に縁があって出会ったのが、書道家武田双雲氏であり、その後彼の教室に14年通うことになるのだが、その話しはまたあらためて。
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