やさしさの正体
この1年間は、自分の不甲斐なさをずっと見せつけられていた気がする。30代になると色んな経験が増え、仕事で関わる人の輪が膨らみ、仕事量も増えていく。
そしてスマホを開けてSNSを見れば、誰かの輝いている瞬間が止まることなく流れている。それを見て私も! と思うのだけど…
当たり前のこと。
人生にはうまくいくときも、凪のように何も変化がないときも、大嵐が来て難破することも、悲しみに暮れることもある。ただ、自分の良い瞬間を切り取り、世間に見せることが当たり前のSNS社会の中で、「輝いている瞬間」がデフォルトになってしまっていた。ような気がする。
だからこそ、輝きたいという思いで選び続けたこと、輝くためには必要ないという思いから捨ててしまったもの。が結果的に自分を苦しめてしまっていた。
あぁ、私はダメだなぁ。まだまだ、だなぁ。
こんな風に毎日チクリチクリと自分を責めて。
ただ自分の不甲斐なさ、物足りなさ、弱さを感じて落ち込んで、自分を責める日々の中で、私は少しずつ確かに変わっていった。
私は、人にやさしくなった。
できないということ。なれないということ。人生山あり谷ありだということ。スーパーマンではないこと。誰にも頼れないこと。時間がうまく使えないこと。
自分が欲しくてしょうがないけど、手に入れられなかったものたち。
きっと私だけじゃない。隣のあの子も、行き場のない憤りと悲しみを、抱えきれないほど持っているんじゃないだろうか。私と同じ社会を生き、輝き続けたいと願っている私と似た誰か。
こんな仮説が、常に頭に思い浮かぶようになった。
キラキラと輝くことは楽しい。
でも人生それだけでは済まない、と私は知った。だからこそ身近な人の輝いていない瞬間にも、寄り添いたいと思えるようになった。無理やり完璧を目指そうとしている人に、肩の力を抜いてね、ぼちぼち行こうね。なんて、声をかけることができるようにもなった。
きっと、
やさしさの正体って、自分の不甲斐なさを受け入れたあかし。誰にでも優しい人は、自分のいたらなさを謙虚に認めて歩いている人。
今、私は輝きたいと思うよりも、やさしい人になりたいと思う。
まぁね。
他人にはやさしくなっても、それが自分に向けられるかとなるとそれはまた別の話で…。目下、自分にやさしくなる練習を日々重ねています。隣にいる大好きな人に注いでいるやさしさを、自分にもたっぷりあげられますように。