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してもよい、しなくてもよいという考え方が大事
世の中には、必要のないルールやマナーが多い。
例えば、学校である。
身だしなみに関しては、謎ルールが多い。
私の高校では、カーディガン登校が禁止されていた。
実にくだらない。
カーディガンで登校している生徒のことを、こいつはダメな奴だと感じるのだろうか?
前髪の長さやスカートの丈の長さを規制するのも特に意味がない謎ルールであると思う。
このようなこれじゃなきゃダメといったルールは、学校に多いと感じる。
マナーという分野にも多いというように感じる。
上座下座の関係もその例である。
上座の起源として、武士の時代という説がある。
いつどこで刺客から襲われるか分からない時代には、1番襲われにくい位置に偉い人物を置く必要があった。
しかし、時代は変わり、刺客によって暗殺されることは稀になった。
それにも関わらず、上座下座というルールだけが定着してしまい、ルールの形骸化が起こった。
こういう謎ルールは、生活を窮屈にするだけであると感じる。
上の記事にも書かれているが、しろ、するなというルールよりも、してもい、しなくてもよいというルールの方が大事だと感じる。
カーディガン登校だって、ブレザーでは暑いと感じる人にとっては、丁度良い登校スタイルである。
私の感覚ではあるが、カーディガンで登校しているからといって、反社会的な生徒だと感じることは絶対に無い。
あの高校の生徒はカーディガン登校しているというクレームが、地元の方から入るケースもまずないだろう。
他人に何一つ迷惑をかけていないのだから。
上座下座の例もそうである。
上司がすぐトイレに行けるように手前に座りたいと言ったら、手前に座らせれば良い。
上座下座のルールがあるのでなどと言ったら、返って上司の機嫌を損ねかねない。
みんなが望む席にすれば良い話だ。
こういったくだらないルールに縛られているのは、多様性を妨げていると思う。
これからの世の中は、全員が同じ行動をするのが正しい時代ではないと思う。
新しい発想をする人を積極的に容認し、より良い世の中にしていくことが大事だと思う。