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文系と理系で分ける必要はない
多くの高校では、2、3年生の時に、文理選択を行う。
英語は共通科目として、文系なら国語と社会、理系なら数学と理科を勉強する。
これは、受験科目に特化するというためでもある。
国公立大学を受験しない限り、基本的には3科目で大学受験に望む。
受験科目に必要ない科目を勉強するくらいなら、受験科目をもっと勉強したいという考えである。
今の大学受験の制度上、致し方ない事情である。
しかし、これは学びという観点では、良くないと思う。
私は、国語、数学、理科、社会、英語の全ての科目は、何かしらの共通点を持っていると考える。
例を少し挙げてみる。
国語の現代文でいえば、扱われるテーマは科学、歴史、言語、経済など多岐に渡る。
科学ならば理科の知識があった方が理解しやすいし、歴史ならば社会の知識が合った方が理解しやすい。
数学でいえば、日本語が分からないと問題文を理解することができない。
物理で学んだ公式などを、数学で活かすことができるかもしれない。
英語でいえば、国語と似ているが、長文読解のテーマによって様々な分野の知識があると、内容を理解しやすい。
このように、受験に沿って考えてみても、文理問わず様々なところで結びつきがある。
5科目の基礎が固まっているだけで、各科目の問題を解く上でヒントになるかもしれない。
もっと言えば、受験に関係ない学問においては、より多くの結びつきがあると思う。
日本の研究開発の予算が少ないことに疑問を持ったら、行政学や政治学などに繋がる。
政治学から、選挙という観点に着目すれば、法学や心理学などにも繋がる。
このように、色々な学問を学ぶことで、現代社会に役立てることができると思う。
その上では、1つの学問のみに固執するのではなく、その学問に関係する他の学問にも目を向け、学ぶ必要がある。
以前、落合陽一さんが「文系と理系は対義語ではない」と言っていた。
私もそう思う。
文系に行ったら理系は学べない、理系に行ったら文系は学べないということはない。
私自身、大学時代には受験科目で使わなかった世界史を勉強したし、現在は物理と化学を少しずつ勉強している。
世界史を勉強したら、日本からみた日本や世界のみならず、世界からみた日本や世界という新たな視点を持つことができた。
このように、視野が広がり、新たな考えや発想も生まれてくるかもしれない。
これからは、文理問わず自分が学びたいことを学べる教育機関が必要になって来るだろう。
そういった意味では、慶應義塾大学の総合政策学部や環境情報学部は、自分の学びたい学問を文理問わず学ぶことができるので、良いと思う。