「ままごと」と「仕事ごっこ」?
娘たちが、Eテレ「キッチン戦隊クックルン」を見ていた。
この番組、基本的には、スタジオでメンバーが料理をしている。
が、たまにスタジオを飛び出して、畑を訪問したり、外で料理をしたり。
そして、チラッと見た今回のテーマは
「食品サンプル作り」
レタスや海老の天ぷらのサンプルを、蝋を垂らして作っていた。
薄い蝋を重ね、緑の着色をし、本物のレタスのようになったそれは、大人の私でも
「やってみたいなぁ」と思うようなものだった。
…
そんな工程を見ていて、ふと思ったこと。
決して「子どもだましだな」と思ったわけではなく、
単純に何かの「真似ごとをする」って楽しいんだよなぁと。
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ままごと。
子どもの頃は、ままごとが好きだった。
でも大人になっていざ本番をやると、どうも楽しくない…という感覚。
これは、多くの人が感じたことがあるのではないだろうか。
たとえば家事。
ままごとの料理、楽しい。
でも実際のそれは、片付けや準備もあり面倒。
ままごとの「掃除機」、楽しい。
発泡スチロールのゴミを吸うおもちゃ、ありますよね?こんなのとか↓
でも実際は、そんな単純なゴミだけではなく、「掃除機の掃除」という謎の作業も付随することを知る。
ままごとが楽しくて、実際のそれは楽しくない理由。
それは、ままごとが「楽しい要素」だけを抽出しているのに対して、「そうでない部分」も知るから。
そして、どうしても「真面目に」取り組んでしまうからではないだろうか。
「そりゃそうでしょ」という声が聞こえてきそう。
書いている本人も、そう思っている。
だとしたら。
極論すぎるのを承知で言うと、
家事も仕事も
「ままごと」だと思ってやれば、楽しいんじゃないだろうか?
なぜこんなことを言っているのか。
自分自身、仕事中に
「これ、”ままごと”みたいだな」
と思うことが、しばしばあるから。
その思考は、総じて「つまらない作業中」によく現れる。
つまらない作業を真面目に取り組むことほど、つまらないことはない。
私の仕事は主に事務処理なのだが、そんな時に
「数字をひたすら入力する、という茶番」
「会社員、という盛大な演技」
などと、キートン山田風に脳内で読み上げている。
なんてやる気のない人なんだろう、と思われたかもしれない。事実なので、否定はしない。
でも、このキートン山田的なナレーションを入れることで、つまらない作業が、ほんの少し面白くなるのである。
「会社員を演じている自分、乙」
と自らを俯瞰することで、そんな演技も悪くないかな…という気持ちが少なからずわいてくる。
あくまでも私は、という話だけど。
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ということで(?)
仕事も家事も、「ままごと」だと思って取り組むと、力が抜けて意外と面白いかも?という話でした。
ふう。
午後も「会社員」を演じるとするか。