タクシーに転職するまで ③【中古ビデオで稼ぐ。結婚の頃】
私は、25歳の時にテレビドラマの世界を辞めた。
せっかく助監督になれたのに、散々世話になった人がいたのに、急に辞めてしまったのだ。
「恩知らずで自分勝手」というのは私のような人間のことだろう。
ギャラの安さから生活が苦しくなったのは確かだが、それにしても手のひらを返したように辞めてしまったのは本当に良くなかったと思う。
もっと粘って助監督を続け、もっと上を目指していれば、状況は、少しは変わったかもしれない。
結局、私の中には仕事に対する粘りと覚悟がなかった。映画の仕事が、憧れの域を出ていなかったのだ。
私は生活の安定を求めて、目の前にあった収入のいい仕事を選んでしまった。
しかし。
ビデオ屋の仕事が、その後の人生の礎を作ったのは確かだと思う。
私が勤め始めたレンタルビデオ屋は新宿にあり、店は10坪程でそれほど広くはなかったが、洋画、邦画の名作を集めた珍しい店だった。
ヴィスコンティ、フェリーニ、パゾリーニ、ルイ・マル、ベルイマン、エイゼンシュタイン、黒澤明、溝口健二、成瀬巳喜男。木下恵介。
いろんな作家の作品が置いてあった。
私は、助監督になる前も同じ新宿の映画館でバイトしていたので、またまた映画の近くに戻って来たことになる。
当時のビデオは、VHSテープがほとんどで、Betaは少なくなっていた。
私は新入りながら、中古ビデオを取り扱う部門だけでなく、レンタル部門も含めた責任者になった。要するに店長だ。他のアルバイトよりも年齢が上で、多少映画タイトルに詳しかったので、それを買われたのかもしれない。
中古ビデオ部門の初仕事は、店じまいをするレンタル店のビデオ買取だった。場所は、大宮駅の近くだった。
私は、経営者と同行し、ビデオの査定と買取を行った。洋画、邦画を中心に、三千本位あったと思う。
実を言うと、私は中古ビデオの相場について詳しくなかった。だから、ビデオの査定と言っても、いくらで買い取ればいいのか全くわからなかった。
しかし、経営者は同業者仲間から、中古ビデオは定価の半額で売れると聞いていて、強気で行こうと言った。
私達は、レンタルされていたビデオを1本500円で買い取った。合計で約150万円。大きな買い物だった
経営者は現金で代金を支払った。
私は、初めての大きな取引に興奮した。
ビデオテープは大きな段ボール箱で30は超えていたと思う。
私は、その後運送店に依頼して、新宿の店舗に送ってもらった。
店の奥がVHSのテープで埋め尽くされた。私はビデオテープの山を前に、本当に売れるのだろうかと心配になった。
その中には、前年にビデオ化された、バック・トゥ・ザ・フューチャー、ロッキー4 炎の友情、グーニーズ、コーラスライン、エイリアン2、ポリス・ストーリー 香港国際警察、コマンドー等のタイトルがあった。
驚いたことに、三千本あったビデオは、2か月で殆ど売れてしまった。
これには、私が一番驚いた。右から左へという世界である。
レンタルビデオ店をやっている人、これから始めようとする人、一般の人たちがどんどん買っていく。
500円で買い取ったビデオが3,000円、4,000円で売れていくのだ。
私は、中古ビデオ買い取りの広告を雑誌に掲載し、全国から集まった中古ビデオをどんどん売っていった。
今思えば、中古ビデオ界において一番いい時期だったと思う。
私はビデオ屋の仕事を始めてから、生活が安定した。
2万円のアパートを出て家賃6万円のアパートに引っ越しした。バストイレ付きで、場所は渋谷駅の近くにあった。
私は東京に出て来てからずっと貧乏だったので、まとまった収入を得る事が出来て気持ちが満たされた。
店の売り上げは順調に増えていった。狭い店ながらも、売上が月に1,000万円を超える時もあった。
私は仕事で知り合った広告デザインの会社の女性と付き合うようになっていた。私の一目惚れだった。
半年ぐらい交際して、私は結婚を申し込んだ。彼女はOKしてくれた。
しばらくして私たちは結婚式を挙げ、その後ヨーロッパに1か月間新婚旅行に行った。イギリス、フランス、ドイツ、スペイン、イタリア、オーストリア、スイス、ベルギー。主要な国は、ほとんど回った。
今だったら1か月も仕事を休むなんて考えられないが、その時はそんな我がままも許されたのだ。
私は人生の波に乗っていた。思えば夢のような日々だった。
加えて、世の中はバブル真っ只中だった。それほど苦労しなくても金を稼げた時代だった。
私は自動車免許を取り、スポーツタイプの車を買った。家具や電化製品も増えた。
私は、生きていくのも稼ぐのも簡単だと思った。自分には金を稼ぐ才能があると思った。
自分の才覚のおかげで新宿の中古ビデオの店を繁盛させていると。
しかし、それは大きな間違いだった。私は仕事がうまくいくと全て自分の手柄だと思う癖がある。悪い癖だ。思い上がりも甚だしい。奢った人間の考え方だ。
人生は、そんなに甘くない。いい時は長く続かないものだ。
レンタルビデオ業界は、次第に飽和状態になり、開店はほとんどなくなった。
それに伴って中古ビデオも売れなくなっていき、店の売り上げはどんどん落ちていった。
結局、中古ビデオを始めてから5年ほどで店を閉めることになった。
ビデオテープは、その後、DVDに変わって行くが、それは、少し後の話だ。
その頃、私達には子供が生まれていた。
私は仕事を失ってしまったので、急遽探す必要があった。
そこで、心機一転、私は前から住みたいと思っていた横浜に引っ越して、新しい仕事を見つけた。
新しい仕事とは、今までやった事のない仕事だった。
それは、お墓のセールスマンだった。
(中古ビデオで稼ぐ 終わり)