タクシードライバー日記【横浜】

神谷浩。横浜でタクシードライバー歴・約20年。鹿児島市出身。いいこともあれば、辛いこともあり。現在62歳。現役ドライバーのリアルな日々を綴っています。

タクシードライバー日記【横浜】

神谷浩。横浜でタクシードライバー歴・約20年。鹿児島市出身。いいこともあれば、辛いこともあり。現在62歳。現役ドライバーのリアルな日々を綴っています。

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自己紹介です。62歳のタクシードライバー。🚕

はじめまして。神谷浩といいます。 横浜市在住の62歳。タクシー歴は約20年です。 妻と長男がいます。長男は、すでに結婚しているので、今は、妻と二人暮らし。 結婚したのは、1988年で、今年36年目。 去年は、孫(男)も生まれ、近くで暮らしています。 月に一度ほど、孫の顔を見に行くのが夫婦の楽しみになりました。 時間が経つのは、本当にあっという間です。 前職は、不動産の営業マン。一戸建てを中心に販売してました。 しかし、けっして腕の良いセールスマンではありませんでした。 41

    • めっきり寒くなりまして。

      11月に入って、急に寒くなった。 高血圧の人間にとって冬場は油断禁物だ。 暖かい屋内から寒い外に急に出ると、血管がキュッと縮まり、心筋梗塞や脳梗塞を起こす危険性がある。 いわゆる「ヒートショック」という症状だが、今まで先輩や同僚で倒れた人が何人もいる。 他人事ではない。気をつけねば。 私はいつも冬用のジャンパーを1枚持ち歩いている。 深夜の洗車場では、必ずそれを着る。 鹿児島出身のせいかどうかは分からないが、とにかく寒いのが苦手だ。 いつも着膨れているので、人から変だと言わ

      • 久しぶりの映画館。「侍タイムスリッパー」が、面白い!!

        一週間前の休みに、妻に誘われて川崎チネチッタまで映画を見に行った。 タクシーの夜勤を午前3時に終えて、いつものように仮眠室で睡眠をとり、朝10時に起きて家に帰った。 準備をして横浜から電車に乗り、川崎へ到着。 少し時間があったので、チネチッタ近くの回転寿司で腹ごしらえをして、いざ映画館へ。 映画のタイトルは「侍タイムスリッパー」。今、超・話題の映画だ。(以下、ネタバレを含みます) 実は、妻はその数日前に、この映画を見ており、どうしても、もう一度見たいと言って私を誘ったのだ

        • タクシーに転職するまで⑤【禁断のフルコミ営業】

          私は、37歳の時に不動産仲介の会社に転職した。 会社は大手で、横浜駅の近くにあり、テレビCMでも有名な会社だった。 私がその会社を選んだのは、とにかく稼げるという理由からだった。就職情報誌を見て選んだのだが、派手な募集ページには年収800万、1000万円を超える営業社員がいると書いてあった。 私はそれが本当なのかどうか疑問に思ったが、とりあえず面接に行ってみた。すると、会社の部長と課長が出て来て話をしてくれた。 私は実際に稼げるのか? 仕事の内容は? どういう営業スタイル

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        自己紹介です。62歳のタクシードライバー。🚕

          タクシーに転職するまで ④【お墓のセールスマン】

          1992年、31歳の時に、私は墓石営業の仕事を始めた。 前職の中古ビデオ屋の仕事が駄目になったので、何か高収入の仕事はないかと、新聞の募集広告で見つけたのだ。 私は、その頃、妻と生まれたばかりの息子と一緒に横浜の街で暮らすようになっていた。 アパートは、ランドマークタワーが見える西区の高台にあった。 私と妻は、前から横浜に住みたいと思っていたので、念願の生活を手に入れて、毎日楽しく暮らした。 と書きたいところだが、ビデオ屋を辞め、引っ越しもしたので、貯金がなくなり、1日も

          タクシーに転職するまで ④【お墓のセールスマン】

          タクシーに転職するまで ③【中古ビデオで稼ぐ。結婚の頃】

          私は、25歳の時にテレビドラマの世界を辞めた。 せっかく助監督になれたのに、散々世話になった人がいたのに、急に辞めてしまったのだ。 「恩知らずで自分勝手」というのは私のような人間のことだろう。 ギャラの安さから生活が苦しくなったのは確かだが、それにしても手のひらを返したように辞めてしまったのは本当に良くなかったと思う。 もっと粘って助監督を続け、もっと上を目指していれば、状況は、少しは変わったかもしれない。 結局、私の中には仕事に対する粘りと覚悟がなかった。映画の仕事が、憧

          タクシーに転職するまで ③【中古ビデオで稼ぐ。結婚の頃】

          タクシーに転職するまで ➁【2時間ドラマ】

          私がテレビドラマの世界に入ったのは、23歳の時だ。今から39年前である。 随分と年月が経っているが、その頃の記憶は今でも鮮明に残っており、撮影所の門をくぐったのは、つい昨日のような気がする。 当時のテレビドラマ界は、2時間ドラマが全盛期で、月曜日から土曜日まで、殆ど毎日のように新しい作品を放映していた。 月曜ゴールデン。火曜サスペンス。木曜ゴールデンドラマ。金曜女のドラマスペシャル。土曜ワイド劇場。ザ・サスペンス。等々。 テレビ局と作り手は制作に追われ、作っても作っても間に

          タクシーに転職するまで ➁【2時間ドラマ】

          タクシーに転職するまで ①【上京の頃】

          私は41歳でタクシーに転職した。 今から約20年前の話だが、それまでにいろんな仕事を経験した。 私は鹿児島の高校を卒業して、約2年間地元で働いた。 昼は喫茶店のウェイター、夜はサウナ店のホール係。いわゆるバイトのダブルワークだ。 若い時は、多少寝なくても働けた。とにかく元気だった。 仕事は楽しくて、毎日があっという間に過ぎて行った。 私は、高校卒業前から、ずっと東京に行きたいと思っていた。鹿児島という街は好きだったが、一度は生まれ育った場所を離れて都会で生活してみたかった

          タクシーに転職するまで ①【上京の頃】

          腎臓結石の夜。

          数日前の夜11時頃。 夕方からタクシーの仕事に出て、10人目くらいのお客を乗せた後、コンビニに寄った。 飲み物を買って車に戻った途端、右の脇腹が強烈に痛み出した。 痛いなんてもんじゃない。 脇腹の中を魔物の手によってぎゅーっと掴まれているような感覚。 動くことができない。 私はまずいと思った。 経験のある痛み。 それは、10年前、同じくタクシーの仕事中に経験したあの痛みだった。 間違いない。 腎臓結石だ。 10年前の夜、私は仕事中に同じ痛みに襲われ、何とか会社まで辿り着いた

          半・乗り逃げ 深夜の大追跡!!【後編】

          私の中には半年前の記憶が蘇っていた。あの忌々しい高額の乗り逃げ。 その乗り逃げのせいで、私は小遣いがなくなり、3ヶ月ほどカツカツの生活を送る羽目になったのだ。 私は2度と逃すものかと思った。この乗り逃げ男を絶対に逃がしたくない。 私は男との間隔を10m ほどにして追いかけた。 私は、この男は気付いていると思った。私が追いかけていることに。分かっていて逃げているのだ。 おそらく年齢は私と同じ40過ぎぐらいだろう。 サラリーマン風で、ちゃんとした服装。通勤の鞄も持っている。 そ

          半・乗り逃げ 深夜の大追跡!!【後編】

          半・乗り逃げ 深夜の大追跡!!【前編】

          約20年のタクシー人生で、私は3回の大きな乗り逃げに遭っている。 その中でも、1回目の乗り逃げが、一番大きかった。 タクシーを始めたばかりの私は、その乗り逃げによって、精神的にも金銭的にも大きなダメージを受けた訳だが、それについては、こちらの記事に書いてあるので、是非読んで頂きたい。 今回は2回目の乗り逃げについて書きたいと思う。 これは、1回目の乗り逃げから、約半年後の話である。 それは、6月後半のむし暑い夜だった。 私はいつものように、終電間近のJR磯子駅のタクシー

          半・乗り逃げ 深夜の大追跡!!【前編】

          タクシーは、何歳まで出来るのか?

          私がタクシーを始めたのは、 2003年の10月だから約20年になる。 20年というのはそれなりに長い年月だ。 41歳で始めて、 今はもう62歳になっている。 私は、ひとつの仕事を5年以上続けたことがなかった。 飽き性で、こらえ性がない私が、よくこれだけ続いたと思う。 うちの会社の定年は65歳だ。 その後、続けたい場合、健康に問題がなければ嘱託の契約をして一年ごとの更新をすることができる。 大抵の乗務員は契約をして、70歳、75歳まで働いている。 中には80歳を超える乗務員

          タクシーは、何歳まで出来るのか?

          長谷川博己・主演ドラマとコロナ禍の頃。

          私は長谷川博己という役者が大好きである。 すでに終わってしまったが、「アンチヒーロー」という日曜夜の連続ドラマで主演を務めていた。 大ヒットドラマ「VIVANT」と同じTBSの枠で放送され、検察と警察の深い闇、冤罪という重いテーマを扱いながら第一級の法廷エンターテイメントになっていた。 私は毎週ワクワクしながらドラマを見た。 長谷川博己の役どころは、「あなたを無罪にして差し上げます」と言って被告人に近づく、ややダークな雰囲気の弁護士である。 ドラマの脚本も、「VIVANT

          長谷川博己・主演ドラマとコロナ禍の頃。

          【タクシー・ショートショート】失われた理想郷

          これは、私が、タクシーを始めた頃の話。約20年前の事だ。 年で言えば2003年。平成15年になる。 私は、会社の仮眠室に初めて入った時の光景を忘れない。 そこでは、数人の乗務員が、わいわいと賑やかに生活していたのである。 衝撃だった。 タクシー会社の仮眠室って、こんな感じなのか? うちの会社には、社員寮がない。だからと言って、仮眠室に住み込んでいいというわけではないだろう。 私はそう思った。 当時、会社の建物は築30年以上経っており、かなり老朽化していた。 仮眠室は、三階

          【タクシー・ショートショート】失われた理想郷

          【タクシー・ショートショート】雨の女

          その女性客は、雨の桜木町駅から乗って来た。 その日は風も強く、だいぶ濡れていたようだった。 お客は泣いていた。 「町田まで行って」 「はい」 長距離だ。私は少し緊張した。 「高速、使いますか?」 「何でもいいわよ。早く行って」 お客は怒ったように言った。 私は、三ツ沢から乗って、横浜新道、保土ヶ谷バイパスで行く事にした。 夜の10時を過ぎていた。 タクシーは、雨の中を走る。 「横浜なんて大嫌い。二度と来ない」 お客は泣きじゃくりながら、強い口調で言った。 私はバックミラーで

          【タクシー・ショートショート】雨の女

          【タクシー・ショートショート】カブト虫のドライブスルー。

          20年くらい前の話だ。 蒸し暑い夜だった。 私は、そのお客を関内駅の近くから乗せた。 40歳位だっただろうか。酔っていたが、気さくで人柄が良かった。 私と同年代で、小学生の息子がいて、同じだった。 お客は「センター北に行って下さい。都筑インターで降りて後は案内します」と言った。 私は、高速をひた走った。 お客は、後ろの席でずっと話していた。子供のこと。家庭のこと。 そして「最近、子供と全然遊べてないんだよね」と言った。 私は共感して頷いた。 そして、私も息子と一緒にいる時

          【タクシー・ショートショート】カブト虫のドライブスルー。