#【楽しい田舎暮らし】 1
わたし杉田晴美は、柳明美と社食でカレーを食べていた。
明美がナプキンで口元を拭きながら、
「加山さんとは進展してるの?」と、訊いてきたので、
「ううん、特別には何も」と答えた。
「ふ〜ん。でも加山さんと晴美が付き合うようになってから1年くらい経つよね?」
「うん、それで、1年経ったし、ということで、先日二人で西新宿の高層ビルのレストランで食事をしたの」
「素敵ね。その時なにか云われなかった?」
「なにかって?」
「鈍いなぁ。プ・ロ・ポ・ーズ」
「なかったよ。夜景がキレイだね、って話しはしたけど」
「えっ?それだけ?」
「うん、それだけ。それに、私、本当に加山さんと付き合ってていいのかなぁと思って」
「どうして?付き合って欲しいって云ってきたのは加山さんの方でしょう?」
「だけど不釣り合いな感じがする。加山さんは話題になった南青山のマンション住まいだし、お父様は事業で成功を収めた人だし……」
「晴美、それって自慢だから」
「違うのよ。そんな人が、東京の隅っこで、普通に生活しているだけの私に興味を持つこと自体、信じられなくて」
「考えすぎだよ。加山さんは真面目な人だし、真剣だと思うよ。あ、時間だ。早く食べて仕事に戻らないと」
私たちは急いでカレーを食べて、社食を後にした。
私と晴美は、この春に総務部に移動になってから友達になった。
名前が似てるし、姓も植物系だし、なんだか親しみが持てた。
話題に出た加山さんは、人事部にいる。
私たちが交際を始めたことは、かなりのスピードで会社中に広まった。
私は女性陣から、羨望の眼差しと、妬み、時には憎悪すら感じる。
加山さんは、それくらい女子社員たちの憧れの存在だ。
何で私なのか?という自信の無さが常に自分の中にはある。
「晴美、ボーとしてないで、書庫からファイルを持ってくるのを手伝って」
明美に云われて私たちは、たくさんのファイルを抱えて、廊下を歩いていた。
「二人共、力持ちだね」
加山さんがそう話しかけてきた時、
明美はファイルの山をバサバサと床に落としてしまった。
「ごめん、僕が急に話しかけたから」
加山さんはそう云って、明美と二人でファイルを拾い出した。
見ると、明美は真っ赤な顔をしている。
《明美、あなたもしかして加山さんのこと》
私には、そう見えた。
「はい、ラスト」と、加山さんが最後の一冊を拾い終わり、「仕事、頑張ってね」
と云って、エレベーターに消えていった。
翌日、久しぶりに昼食は外で食べることにした。
ポーチに財布を入れて会社を出て、明美と目的の店に入った。
この店は、雑誌などでも紹介されたパン屋さんで、ランチは800円で飲み物がつく上、パンは食べ放題だ。
この辺りではリーズナブルな価格なので、人気がある。
私は昨日のことが頭から離れず、明美との会話も弾まなかった。
もうすぐ、お盆休みだ。
外国旅行に行く女子たちは、もうソワソワしている。
会社の音楽サークルに入っている私は、同じくサークルに入っている加山さんや、サークル仲間達と明美の実家にお邪魔することになっている。
母屋の修繕時に、その間暮らすために建てた家を、そのまま残してあるのだ。
音楽サークルは、去年に続き、今年もその家で合宿する。
まぁ、練習という名の宴会だけど。
私は正直、気乗りがしない。
東京の近県にある明美の家は、かなりの田舎だ。
民家の数も少なく、明美は『集落』と、呼んでいる。
都内の会社から、1時間くらいのところに、こういった村があるのが信じられない。
でも、私が気乗りしない理由は別にある。
去年、初めてこの村を訪れた時、こじんまりとした神社の前で、大根を干している、お婆ちゃんが居た。
「こんにちは」と、挨拶をした時、そのお婆ちゃんは黙って私たちを見ているだけで、何も云わない。
その目が忘れられないのだ。
明らかに私たちを拒絶している眼差しだった。
《よそ者は、来るな!出て行け!》
そう言っていた。
その村をまた訪れるのは、気が重い。
そして休みに入った。
サークル仲間の車で、私たちは出発した。
明美もサークルに入っているので、村で待っているだろう。
木々が生い茂り、民家などない山道を、ひたすら登っていく。
村の入り口付近に、小さな商店がある。
そこしか店はない。
みんなで車を降りて食べ物や飲み物を買い込んで、また出発した。
夕方には明美の実家に着いた。
ご両親に挨拶をして、さっそく数日間、お世話になる家に行った。
私は、チラッと神社を見たが、あのお婆ちゃんは居なかった。
私はトイレに行きたくなったが、使用中だったので、実家のトイレを借りることにした。
明美のご両親は、快く貸してくれた。
家の奥にあるトイレを使用させてもらい、みんなのところへ戻るため、廊下を歩いていた時に、襖が開いてる部屋があった。
見るともなく部屋の中を見て、私は驚いた!
部屋の壁一面に、紙が貼ってある。
[命名 貴史] [命名 順一] [命名 誠]
確か、命名紙といった紙が部屋の壁を覆い尽くしいる。
全て男の子だけの名前。
中には、そうとう古いのか、黄ばんだ物もある。
私は、薄気味悪くなって急いでみんなのところへ戻った。
その夜も宴会と麻雀で盛り上がっていた。
あれだけ仕入れた飲み物は、ほとんど残っていない。
あの商店まで行くのは、億劫だったので、自販機で買うことにした。
小銭を入れて、オレンジジュースを買っていたら、「あの〜」と、声をかけられた。
50代らしい女性が、おずおずと私を見ていた。
「はい、なんでしょう」そう云うと、
「いきなり話しかてすみません。この村の人ではないみたいなので、少しだけ話を聞いて欲しくて」
女性は何かに怯えているように見えた。
「私でよかったら、お訊きしますよ」
女性は、ホッとした表情になった。
「私たち夫婦は、三年前にここへ引っ越してきました。
夫が定年退職をしたら、のんびりと田舎で暮らしたいと以前から考えてましたので。
海よりも山の方がいいと思い、あちこち探してこの土地にしたのです。
夫も私もゴルフが趣味で、あの神社の裏手はゴルフ場だと聞いて余計にここへ住もうということになりました。ところが……」
女性はため息をついて、また話し始めた。
「村の人たちは、他所から来た人を、決して受け入れてはくれませんでした。
ゴミも家のだけ持って行ってもらえないのです」
「ゴミを……ですか?」
「はい。収集場所に出しても、必ず家の玄関の前に戻ってくるんです」
「そんな。酷い」
「困り果てて、村の会長さんのところへ相談に行きました。けれど改善されません。
役場にも行きましたが効果はありませんでした」
「ゴミはどうしてるのでしょうか」
「仕方ないので個人で業者さんに頼んでいます」
「引っ越すことを考えたりは?」
「私は今すぐにでも、ここから出たいのですが、夫がゴルフ場に未練がありまして」
「そんな……奥様が苦しんでるのに」
「ありがとうございます。話しを訊いて貰えて、少し楽にアッ!」
「どうかなさいましたか?」
「すいません、失礼します」
女性は慌てて、その場を後にした。
「どうしたんだろう」そう思い、振り返ると、あの大根を干していた、お婆ちゃんが歩いてくる。
私は急いで家に戻った。
やはりあの人は苦手だ。
この村を覆っている空気はなんなのだろう。
そういえば、同じような感じを明美のご両親にも感じたことがあった。
以前、私が一人で遊びに来た時、明美のご両親に、「早く結婚したほうがいい」
「男の子を産まなきゃね」と、云われたことがある。
私は嫌な気持ちになった。
女の子だっていいじゃないの、と少しだけ頭にきた。
明美を見ると、寂しそうに笑っている。
そういえば明美は8人か9人兄妹で、女の子明美だけだと訊いたことがある。
明美は寂しかっただろうと思う。
ただ……このごろ、明美は何だか変な感じになっている。
会社の帰りに二人で銀座を歩いていたとき、明美の足がピタっと止まった。
見るとショウウインドウのマネキンたちが、ウエディングドレスを着ていた。
「晴美、試着させてもらいなよ」としつく勧められた。
ジュエリーショップでは、明美はブライダルコーナーに行き、
「はめてみたら?これ可愛いし」
と、またしつこく云われる。
私が断ると、悲しそうな顔になる。
でも私は両方とも、加山さんと来たかった。
実を云うと、この少し前にから私は明美を心から信頼していない。
それは会社の人達と河に泳ぎに行った時だ。
あまりの暑さに、私も河に入った。
けれど見た目以上に河の流れには力があって、私は泳ぐことが出来ずに、溺れてしまったのだ。
たくさんの水を飲み込み、私はこのまま死ぬのではないか、という恐怖にかられた。
その時、人の姿が見えた。
私は必死に助けを求めた。
声にはならなかったけれど、その人に私が溺れているということを、伝えた。
けれど、その人は、笑っていた。
私が溺れているフリをして見えたのか、笑っているのだ。
そして、その人は明美だった。
水圧に足を取られ、何度も水中に引っ張られた。
水の中で見た明美の笑い顔は、歪んでいた。
なんとか自力で河原に上がり助かったが、あの明美の笑い顔がトラウマになるくらい、恐ろしかった。
最後の日、私はあの小さな商店に買い出しに行った。
向こうから人が歩いてくる。
よく見たら私に話しかけてきた女性だった。
向こうも私に気づいたようで、会釈をしてきた。
「先日はありがとうございました。話しを訊いて貰えて嬉しかったです」
「少しは、お役に立てて、よかったです。
あの……一つ、うかがってもいいですか?」
「はい、なんでしょうか」
「あのお年寄りの女性は、どなたですか?」
「あの方は村の会長さんの奥様です」
「ああ、そうなんですね」
「わたしは苦手なんです」と女性は云った。
「私もです」と話すと女性は笑った。
「もう帰るのですか?」と訊かれたので
「はい、明日帰ります」と答えると、 女性は本当に羨ましいそうな顔をした。
私は買い物を済ませ、景色を見ながら歩いていた。
本当に山に囲まれていると思った。その時、「晴美ーー」と、私を呼ぶ声がした。
見ると斜面にある畑の中に明美がいた。
「こっちこっち」と手招きをされて、私も畑に入った。
「この畑は父がやってるの」
「結構な急斜面にあるのね、お父さんは健脚なのね」
「色々な野菜があるのよ。晴美も見て欲しい。そうだ、長ネギを数本、抜いてきて」
「かなり先端にあるのね、高いところは苦手だから怖いな」
「ゆっくり行けば大丈夫」
そう云われて私はゆっくりと長ネギの場所まで移動した。
後ろから、明美が近づいているのも知らず。
私はやっと長ネギの場所に着いた。
私の背後にいる明美は、両方の腕を上げ、晴美を突き落としにかかった。
第1話 終
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