見出し画像

教会の鐘を鳴らす者




この土地に越して来て、半年が経とうとしている。


夫(だった人)との離婚には、想像以上に時間がかかった。


離婚には、精神も肉体も、かなりのエネルギーがいる。
k子もその点は覚悟しておいた方がいい。

離婚の先輩というのは、変な表現だが、友達からそう訊いていた。


だから私は覚悟して臨んだ。

そのつもりだった。
けれど現実は、予想を超えていた。


体重は15キロ以上減って、
元から痩せていた私の体は、
とても人前では晒せない、衰弱し切った裸体となってしまった。

暫くは、温泉には行けそうもない。
もっとも行く気分など持ち合わせていないが。


明らかに、過疎化した村を、
自ら選び、ここを住処すみかにしようと決めた。

村社会と呼べないくらい、住んでる人は少なかったのも、この場所を選んだ理由の、一つである。


よそ者には、かなり厳しいと訊く村での暮らし。

私は餌食になりたくはない。


この住まいは、取り壊す予定だったものだ。
それくらい、朽ちている。

おかげで、月々1万もかからず、借りることが出来た。


私自身が、半分朽ちているようなものだ。
お似合いの住居だ。


やっと離婚できた。
その気持ちは当然あるが、自分の性格が、かなり自虐的に
なったと思う。


別れた相手に、かなりの暴言を吐かれ続けている内に、自己価値なんて、私にあるのだろうか。
そうとさえ思うようになっていた。


パワハラ、モラハラ。

その表現より私には【罵倒】の方がしっくり来る。
私は別れた相手の、サンドバックだった。


(お前が死ねばよかった)


(のうのうと、よく生きていられるな)


その意味では、ようやく血の通う人間に戻れた。
約16年ぶりに……。

先のことは、今は考えてはいない。
蓄えで、行けるだけのとこまでいく。
それだけだ。
今の自分は、それだけ。

考えるという行為から、なるべく遠ざかりたかった。




 カーン  カーン  カーン


この土地に越して来てから、時折、教会の鐘の音が聴こえる日があった。

真夜中に、その音は聴こえて来る。

風の影響か、はっきりと聴こえる時と、耳を澄ませて、ようやく「あゝ、今夜もだ」と
分かることもある。


今いる土地と、教会の鐘が、私に、あることを思い出させる。


イングランドの女流作家のことだ。

エミリー・ブロンテという。

[嵐が丘]を書き、30歳の若さで結核で亡くなった彼女。


私は若い頃、映画音楽にハマった時代ときがあった。

特別、映画好きではなかったが、たぶんFMラジオから、よく流れて来たからだろう。


私は[嵐が丘]を読んではいない。

読めないのだ。
何度もページを開いた。
けれど数行読むと、本を閉じるの繰り返しで終わった。


[嵐が丘]は映画にもなっていた。
映画音楽ばかりを集めたCDを買い、初めて知った。

解説を読んだ。
その影響かもしれない。


エミリー・ブロンテの父は牧師だった。
家族は、牧師館で暮らしていたそうだ。

そこで彼女は、弔いの鐘を聴いて育った。


その場所を写真で観た私は、
「なんて寂しい景色」
それしか感想は浮かばなかった。


どこまでも続く荒野。
風の音だけが聴こえて来そうだ。

ほとんどこの土地から出ることはなかったエミリー。

仕事には就くが、長くは続かず、この土地に戻って来る。
私には耐えられないであろう生活でも、エミリーには安心出来る場所だったのかも、知れない。


何故、ここまで気持ちに残ってしまったのだろう。

たぶんそれは、私の中にも荒野が広がっているからかもしれない。




1週間ぶりに、街まで食糧を調達しに出かけた。

日に6本しかない電車に揺られ、2時間かかる。
たくさんの人を観て、安堵する自分を見つけた。


自ら、過疎の村に住むと決めたのに。


複雑な想いで、食糧を抱え、
人の姿を滅多に見ない村へ帰って来た。


駅から出た時、1人の少年が
目の前を歩いて行くのを観て、私は驚いてしまった。

この村で人を見かけたのは、
数回しか無かったからだ。


私の視線に気付いたのか、少年は私を見た。

明るい栗色の髪をした10歳くらいのハーフの子供。

少しの間、私を見ていた少年は、また歩き出した。


「なんて哀しい目をしているんだろう」


吸い込まれそうな、淡いグレーの瞳は、彼がどれほどの、抱え切れない感情を、持っているのかを、表しているようだ。



    カーン
         カーン


今夜の鐘は遠くに聴こえる。
風に、阻まれているみたいだ。

その時、ひょっとしたら、教会の鐘を鳴らしているのは、
あの少年ではないのだろうか。

そんな想いが心をよぎった。


私はベットから出ると、服に着替えて、外に出た。

足は、真っ直ぐに教会に向かっていた。


あの少年に会いたい。
逢わなければならない。
そんな想いが、私に強く湧き上がって来る。


  カーン   カーン


急がなければ、少年が行ってしまう。


     カーン


早く。
早く。

もっともっと。


          カーン


鳴り終えない内に。

もう少しだ。急げ。


音が
聴こえない。


長い坂道を登る。

そしてようやく教会が見えて来た。


あの子は。
   あの子はどこ。


居た!

教会の壁に寄りかかるように、立っていた。


「やっと来てくれたんだね」 


「私が来るのを、待っていたの?」


少年は頷き、そして微笑んだ。

「姿は違うけど、僕だよ。
赤ん坊では来れないから」


    ママ


「私の可愛い坊や」

私はそういって、少年を抱きしめた。


生まれて1ヶ月後に、天に召された我が子。

医師は3日もつかどうか。
そう云っていた。


「ママがパパに酷いことを云われているのを、僕は知ってる」


「それで会いに来てくれたの?」


少年は云った。


「ごめんなさい。僕が死んじゃったから。本当にごめんなさい」


私は息子の背中から、手を離すと、彼の涙を拭った。


「いつか必ずママは来てくれるって僕は信じてたよ。
そしてこれからは、僕はママとずっと一緒だよ」


「あゝ神さま」



数日後、ベットの上で、息絶えてる私が発見された。


安らかな笑顔を浮かべて。
発見した村人は、そう感じた。



      了
























いいなと思ったら応援しよう!