さだ子さん・あれから (後編)
その日は仕込みに行く前に、一度二人で入ったことがあるケーキ屋さんに寄った。
以前、ここで食べたケーキが、かなり美味しかったのでまた食べたくなったのだ。
「今日は絶対にミルフィーユにするんだ」
「私は何にしよう。前回のレモンパイは、さっぱりしてて良かったな。そうだ!チョコレート系のにしよう」
「さだ子さんは決まりましたか?」
「は〜い、ガトーショコラにします」
「お決まりでしたら、伺います」
「ミルフィーユとガトーショコラを。それと飲み物を、さだ子さんは何にします」
「ホットコーヒーを」
「ホットコーヒーを2つ、お願いします」
僕らは前と同じ席に座った。
あの時は、さだ子さんが仕事を解雇されて来た日だったな。
しょんぼりしてて、気の毒だった。
でも、いま僕の前にいるさだ子さんは、イキイキとしている。
「林健太さん、さっきから何で私を見ているのですか?恥ずかしいです」
さだ子さんは顔を赤らめていた。
「あ、失礼しました。以前にこの店で二人でケーキを食べたことを思い出してました」
「あぁ、あの日……。林健太さんにご馳走になりましたね」
「あの頃に比べたら、さだ子さんは随分と子供に接することが出来るようになりましたね」
「そういえば、何となく慣れて来ました」
「いいことですね」
「は〜い。お陰様で、ありがとうございます」
「ケーキとコーヒーをお持ちしました。
ミルフィーユの方は」
「はい、僕です」
「ホットコーヒーです。ごゆっくり」
「美味しそうですね〜」
「さあ、食べましょう」
「いただきます」
さだ子さんはガトーショコラにフォークを入れた。
口に運ぶと顔がトロけそうになった。
「旨いですか?」
さだ子さんは、うんうんと頷いた。
僕もミルフィーユを食べることにする。
パイ生地は好きだけど、食べるのが下手なのだ。
パリパリと、いい音がする。
生クリームと苺と一緒に口に入れた。
う、ま、い!
さだ子さんが、クスクス笑ってる。
恥ずかしい……。
でも、自分は今つくづく幸せだなぁと感じる。
さだ子さんが明るくなってくれたし、子どもたちにも普通に接することが出来るようになったし。
でも何と云っても一番は、一緒に仕事ができることだろう。
売り上げを半分づつにすると、まだ豊かとはいえないが、それほど貧しくもない。
✴️✳️
ケーキ屋を出て車を停めてあるパーキングに向かう途中に、ジュエリーショップがある。
去年の師走に一人で歩いている時に、何気なく覗いた店だ。
「そういえば、さだ子さんはアクセサリーを付けませんね」
「はい〜、別に嫌いなわけじゃなくて、ただ身に付けると失くしてしまうんです。
イヤリングは必ず一つは無くしてますので」
「なるほど」
「でも自分の指輪のサイズは分かってるんです。母の形見の指環がぴったりなので」
「へぇ、因みにサイズは何号なんですか?」
「9号です」
「9号か……」
さだ子さんが、キョトンとした顔で見ている。
「い、いえ別になんでもないです。駐車場に着きましたね。仕込みに向かいましょう」
キッチンカーは『一』を目指して出発した。
三人で仕込みをしたいる時に、大将に、
「健太、悪いが二階にダンボールがあるから持ってきてくれないか。串が入ってる」
「はい、分かりました」
健太は階段を上がり、ダンボールを持って、降り始めた。
「傾斜がすごいんだよな、この階段。手すりを付けた方がいいな。あっ」
ダダダダ ダン!
「なんだ、今の音は」
大将が立ち上がり、見に行った。
「健太!大丈夫か!」
さだ子さんも駆け付けた。
そこには何百本もの串が散乱し、健太が床に転がっていた。
「林健太さん!大丈夫ですか!」
「いってえ……」
健太は右手を押さえながら、そう云った。
大将が救急車を呼ぼうとしていた。
健太は「大将、大丈夫ですから、救急車は大げさですよ、歩けますので病院に行って来ますから」
「本当か、歩いて行けそうか?」
「はい、病院も近いし行ってきます」
さだ子さんは大将にお辞儀をして、健太と外に出た。
近くに整形外科がある。
運良く空いていたので、健太は直ぐに診てもらえた。
右の手首を捻った、手関節捻挫というらしい。
完治までは数週間から数ヶ月かかるそうだ。
手首を動かさないように、テープの上からサポーターをされてしまった。
✴️✳️
「骨折してないだけマシだけど、しばらく焼き鳥の営業は休みかなぁ。う〜ん、参ったなぁ」
「林健太さん、焼き鳥を作って売るのは、私一人でも出来ます。ただ……」
「そうなんだよ、キッチンカーを運転することが出来ないと営業は諦めるしかないかもしれない」
二人が『一』に入ると、大将が
「どうだった、健太」
と、かなり心配していた。
「手首の捻挫でした」
「悪かったなぁ。オレが変なことを頼まなきゃよかったな」
「いえ、僕がもっと慎重に階段を降りればよかったんです、大将の責任じゃないですから」
「だがなぁ、その手じゃ仕込みも無理だし、さだ子さんは運転は出来ないしな」
「ちょっと考えてみます。車を置かせておいてください」
「もちろんいいさ」
「それじゃあ帰ります。お騒がせしました」
健太と一緒に、さだ子さんが店を出ようとした時に、大将に手招きされた。
大将は封筒をさだ子さんに渡し、
「何かの足しにしてくれな」
そう云った。
さだ子さんが、中身を見たら、50万は入っている。
「大将、多過ぎます、受け取れません」
「余ったら余ったでいいから受け取ってくれ、せめてものお詫びの気持ちなんだ」
さだ子さんは外に出て健太に追い付いた。
「林健太さん、大将からです」
そう云って封筒を開けて見せた。
「えっ!何このお金、たくさん入ってる」
「私も多過ぎますと云ったんですが、気持ちだからと」
「大将……ありがとうございます。さだ子さん、今はありがたく受け取ろう。僕の手首が治ったら少しずつ返済して行こう」
さだ子さんは、「はい」
と、頷きながら返事をした。
アパートの直ぐ近くで大家さんの奥さんに会った。
「いま焼き鳥を買おうと思ってサカエヤの駐車場に行ってきたのよ。そしたら『焼き鳥 さだちゃん』の車がないから戻ってきたの。今日は休みの日?」
「いえ、あの〜」
奥さんは健太の手を見て驚いたようだ。
「どうしたの、この手は!」
「ちょっと手首を捻挫しちゃって」
「えー!それで車が無かったのね。大丈夫なの?仕事は休みにするの?」
✴️✳️
「これから考えようと思ってます」
「でも仕事しないと収入が無くなるじゃない。困ったわねえ」
「私は焼き鳥は作れますが、車の免許を持ってないんです。それが問題で」
さだ子さんが力を落として下を向いた。
奥さんは、
「誰かが運転すれば営業できるの?」
「はい、さだ子さん一人でですが、出来ます」
「なんだ、早く云いなさいよ。私が運転すればいいんじゃないの」
「奥さん、免許を持ってるんですか?」
「持ってるわよ、それもゴールドなんだから」
健太とさだ子さんは顔を見合わせた。
「なに、その意外そうな顔は」
「いえいえ、そんなことは」
「つまりは、仕込みに行く時にさだ子さんを乗せて『一』に行って、サカエヤに向かう時に迎えに行って、営業が終了する頃にまた行けばいいんでしょ」
「そうですけど、何回も面倒ですよ」
「アタシに任せなさいよ。林さんの怪我が治るまで運転手役くらいやらせてよ。まだ貯金だって、たいして無いんでしょう?」
健太もさだ子さんも、返答に困っている。
その通りだから。
「返事がないということは、この案でいいのね。よし決定」
「いいんですか、本当に」
「もちろん。何時ごろ迎えに来ればいいのかしら?」
「お昼過ぎに仕込みに向かいます」
「了解よ。明日のお昼頃に来るわ」
「あ、車は『一』さんの駐車場に置いてきたので、4時ごろに『一』に来てもらえますか?」
「分かったわ。じゃあ、おやすみなさい。
林さん、お大事ね」
「ありがとうございます。宜しくお願いします」
「はあ〜疲れたな」
「林健太さん、夕食はどうします。しばらくは私が作りますので、食べたいものを云ってください」
「迷惑かけてすみません。今夜は適当にパンでも食べます」
「はい、ではお疲れ様でした。くれぐれもお大事にしてください」
「さだ子さん、負担をかけてしまって申し訳ありません」
さだ子さんは、ニッコリ笑って、
「大丈夫ですよ。任せてください。おやすみなさ〜い、林健太さん」
「おやすみなさい、さだ子さん」
この仰々しいサポーターが、鬱陶しいなぁ。
真夏じゃないだけマシなんだろうけど。
それでも蒸れる感じがするし。
確か菓子パンが二個あったはずだから、
食べて寝よう。
✴️✳️
部屋に着いた、さだ子さんは明かりをつけて、位牌に手を合わせた。
「明日から暫く私一人で頑張りますので見守ってください。
今日もありがとうございました」
「夕食どうしようかな。お腹が空いてるような〜、そうでもないような〜」
さだ子さんは冷蔵庫を開けて、中からサカエヤで買った、カットパインを取った。
パイナップルが大好きな、さだ子さんは、一つ口に入れると、うふふと、笑った。
「今夜はこれだけでいいかな。食べたらお風呂に入って、寝よう。何だか疲れちゃった」
1時間後、さだ子さんの部屋は真っ暗になっていた。
小さな寝息が聴こえている。
そして翌朝。
健太は顔を洗うのも、片手がサポーターで、ガッチリ固定されていると、やりにくいと初めて知った。
ズボンの上げ下げもやりづらい。
早く治りますように。
健太は心の中で祈った。
お昼前に、さだ子さんが尋ねて来た。
「こんにちは〜、手首はどんな感じですか?」
「いやあ、サポーターで固められてるので、何もできません」
「大変ですね。でもそうやって手首が動かないようにしていれば、治りが早いと思いますよ、きっと。では私は『一』に向かいますので」
「本当に悪いな。一日も早く治すからね。行ってらっしゃい」
「は〜い、林健太さんの分まで頑張りま〜す」
そして、さだ子さんは『一』に着いた。
早速、大将が話し掛けてきた。
「昨日は悪かったなぁ。健太の様子はどうだい」
「がっちりサポーターをしているので、色々やりにくそうですが、その方が早く治ると思いますよ。大将も心配しないでくださいね」
✴️✳️
「そうか、早く治るといいがなぁ」
「大丈夫ですから。さあ、仕込みを始めましょう」
「そうだな。そう云えば車の運転はどうなったんだい」
「アパートの大家さんの奥さんが運転してくださることになりました」
「そりゃあ良かった。安心したわ」
「はい〜、安心してください大将」
そして二人は仕込みを始めた。
健太の分を少しでも自分が作る気持ちで、さだ子さんは黙々と串に刺していく。
時計を見たら、もうすぐ奥さんが来る時間が迫っていた。
「大将、私はそろそろ片付けをします」
その時、入り口のドアが開いた。
「こんにちは」
奥さんだった。
「大将、久しぶりね。いつも二人がお世話になって、本当にありがとうございます」
「なんだ、随分としおらしいじゃないか」
「あら、何それ。アタシはいつもと同じよ。
あ、さだ子さん、少し早く来ちゃった」
「奥さん、ありがとうございます。今から片付けますので少し待ってくださいね」
「さだ子さん、冷蔵庫から飲み物を取ってあげな」
「はい、奥さん、好きな飲み物を取りますよ。どんな飲み物がいいですか」
「だったら緑茶はあるかしら」
「は〜い、ありました」
さだ子さんは緑茶のペットボトルを奥さんに手渡した。
「大将、ご馳走さま」
「おう」
その間も、さだ子さんは忙しく動いていた。
仕込みをした焼き鳥を大きなタッパーに並べて入れて、調理台を何度も洗ったりと動き回っていた。
「奥さん、お待たせしました。用意が出来ました」
「じゃあ行きましょうか」
「はい、よろしくお願いします。大将、ありがとうございました」
「さだ子さん一人で心細いだろうけど、あんたなら出来る!頑張れ!」
「は〜い、頑張って来ます。林健太さんが休みでも、たくさん売りますから」
「その意気だ!」
タッパーを持って、さだ子さんは車に積んだ。
奥さんは既に運転席にいる。
ドアを開け、助手席にさだ子さんが乗る。
「では出発するわよ」
「はい、お願いします」
《焼き鳥 さだちゃん》は、勢いよく走り出した。
✴️✳️
スーパーサカエヤの駐車場に到着。
「奥さん助かりました。ありがとうございました」
「これくらい、何でもないわよ。準備するんでしょう?手伝うわ」
「大丈夫です。慣れてますし。9時に来て頂けるとありがたいです」
「分かったわ。じゃあ頑張ってね」
奥さんが帰った後に、さだ子さんは開店準備を始めた。
タッパーを冷蔵庫に入れて、プロパンガスのホースを焼き台に繋げる。
電気の焼き台も試してみたが、ガスの方が外がカリっとして、中は柔らかくて美味しく出来たのだ
もちろん炭も考えたが、煙りの問題もあるため、ガスに決めた。
「あら、今日は開店するのね。良かった。
昨日は来てなかったから心配してたのよ」
よく買いに来てくださる、お客さんだ。
「すみません。相方がちょっと怪我をしてしまって昨日は休みにさせてもらいました」
「怪我って、大丈夫なの?」
「少し時間がかかるかもしれませんが、大怪我ではないので大丈夫です。ただ復帰するまでは私一人なので、お待たせしてしまうかもしれません」
「いいのよ、それくらい。さだちゃんのは待つ甲斐があるわよ、美味しいもの」
「ありがとうございます」
「また後で買いに来るわね」
「はい、お待ちしてます」
✴️✳️
焼き台も火が周り熱くなった。
さだ子さんは一本一本、並べて焼き始めた。
「注文、いいですか?」
早速、お客さんだ。
「いらっしゃいませ。どうぞ」
「ねぎまを三本とモモを二本。これはタレで。皮を三本、ナンコツを二本。塩でお願いします」
「はい、10本ですね。1360円です。お買い物はあります?」
「ああ。それが済んだら貰いに来るけどいい?」
「は〜い、お待ちしてます」
先払いのお金を受け取り、さだ子さんは焼き続けた。
夕暮れと共に、お客さんが次々と買いに来てくれる。
最初に声をかけてくれた女性も買って帰った。
高校生のグループが一本ずつ買って、立ち話しをしながら食べている。
この学生さんたちも常連さんだ。
小さな女の子が、お母さんからお金をもらい、大きな声で「モモくらさい!」と、
買ってくれる。
さだ子さんは、この仕事は面白いなぁと感じてる。
大変さより、楽しさが勝っている感じがするのだ。
「さて、8時40分か。お客さんも引けたし、片付けを始めよう」
電卓でレシートの束の計算をし、プロパンガスを台から外す。
その時、一台の車が入って来た。
奥さんがにこやかに車から降りた。
「さだ子さん、お疲れ様でした。一人だから大変だった?」
「いえ、考えていたほどではなかったです。たまたま、お客さんが少なかったのかもしれませんが」
さだ子さんはそう云って笑った。
「一日目、大成功ね!」
「どうだろう。でも楽しく働けました」
「何よりじゃない。では帰りましょうか」
「お願いします」
「さだ子さん、聞いてもいい?」
「はい、何でしょうか?」
「さだ子さんと、林健太さんのこと。先々は結婚するんでしょう?」
「結婚……でも私、林健太さんより一回り歳上のおばさんですし」
✴️✳️
「そんなの関係ないと思うわよ、特に健太さんには」
「そうでしょうか。でも何も云われたことも無いし……」
「全く、奥手もいい加減にしなさい!」
「はい?」
「独り言。なんでもないわ、さて到着」
アパートの駐車場に車を駐車し、2人共、外に出た。
「さだ子さんは林さんのことをどう思ってるの?」
「私は……」
「はい、さだ子さんの気持ちは分かったわ」
さだ子さんは驚いて奥さんを見た。
「その真っ赤な顔が答えね」
奥さんはニッコリしながら、健太の部屋に向かった。
ピーン ポーン
「は〜い、今開けます」
「あー、奥さん、今日はありがとうございました」
「ちょっと運転しただけ。それより、さだ子さんは頑張ったわよ。ね〜」
「さだ子さん、お疲れ様でした。お帰りなさい」
「は、い。ただいま帰りました」
「?何かありましたか?様子がいつものさだ子さんと違う気が」
「何にもないわよ、ね〜さだ子さん」
さだ子さんは頷いた。
「やっぱり変ですよ、さだ子さん。あ、それから夕食ですが、カップ麺を食べました。
初日でかなり、疲れるだろうと思ったので」
「はい……」
「じゃあ、さだ子さん、帰りましょう。林さんおやすみなさい」
「はぁ、おやすみなさい」
「何か変な感じだなぁ。気のせいか?いや!絶対に変だった。教えてくれないんだから仕方ないけど、気になるな」
✴️✳️
健太が怪我をして3週間が経った。
サポーターも外せて、医師にも、
「治るのが早いですよ」
そう云ってもらえた。
明日から仕事に復帰出来る。
嬉しいし、とにかくヤレヤレという気持ちだ。
車がアパートの前に止まった。
奥さんと、さだ子さんが帰ったようだ。
健太は外に出て二人を出迎えた。
「お帰りなさい、お疲れ様でした」
「あら、お出迎え?ありがとうね林さん」
「ただいまです。林健太さん」
「さだ子さん、僕も明日から復帰出来ます。医師にも許可してもらえました」
「わぁ、良かったです〜。安心しました」
「本当!良かったわね!」
「奥さんには何とお礼を云えばいいのか」
「やーねー、水臭いったら。また買いに行くからね」
「いえ、ご馳走させてください。とてもお金は頂けません」
「私も林健太さんと同じ気持ちです。奥さんがいなかったら営業できませんでした。
本当にありがとうございました」
健太とさだ子さんは頭を下げた。
「ちょっと、やめてよ。たいしたことは、してないんだから。じゃあ一回ご馳走になるわ」
「是非!お待ちしています」
「おやすみなさ〜い」
奥さんは帰って行った。
「林健太さん、今夜はすき焼きでいいですか?」
「いいも何も、大歓迎です!」
さだ子さんは笑いながら健太と部屋に入った。
卓上コンロに土鍋を乗せて、野菜と白滝をグツグツと煮込む。そしてお肉。
「さあ、食べてください。お肉が硬くならない内に」
「いただきます!旨そ〜」
健太が旨い旨いとパクパク食べるのを、さだ子さんは、嬉しそうに見ていた。
「さだ子さんも食べましょうよ、旨いから」
「はい、いただきま〜す」
焼き豆腐と春菊を取って、冷ましながらさだ子さんは食べた。
「うん!美味しい」
「さだ子さん、お肉もお肉も」
笑いながら、お肉を器に入れて、さだ子さんも食べた。
「ホントだ!安いお肉だけど柔らかくて美味しい」
こうして二人で満足するまで食べた。
片付けをして、さだ子さんが帰ろうとした時、健太が声をかけた。
「次に海へ行く日は決まってるんですか」
「はっきりとは決めていませんが。出来たら月命日に行けたらと。でも仕事が休みの日に合わせます」
「命日は何日でしょうか」
「28日です」
「明後日か。その日は毎月、仕事は休みにしましょう」
「えっ……でも、私の都合でそんな……」
「僕の都合にもなるかも知れないから、構わないんです」
さだ子さんは、黙って健太を見ている。
「あっ!いえ、すき焼き旨かったです!
明日から頑張れそうです。おやすみなさい、さだ子さん」
「おやすみなさい、林健太さん」
さだ子さんが帰ったあと、健太は小さい箱を開けて、真剣な顔になった。
✴️✳️
翌日、二人は『一』に行った。
大将は椅子から立ち上がると、健太に駆け寄った。
「な、治ったのか、健太」
「はい!怪我する前より指が動くかもしれません」
健太がそう冗談っぽく云って笑うと、大将はヨロヨロと、椅子に座った。
「大将の方こそ大丈夫ですか?」
「あ、安心したら力が抜けた」
「冷蔵庫から飲み物を頂いてもいいですか?」
「もちろんだ」
健太は、ミルクティのボトルを持って、大将に渡した。
✴️✳️
「え、オレにか?」
「大将は、ミルクティが好きでしょう、見かけによらず」
さだ子さんがクスクスっと笑う。
「何だか、恥ずかしいところを見られちまった感じだなぁ。でもオレは飲むぞ!」
少し飲んで、大将は「はあ〜〜」と、云い、
「良かった、本当に良かった」
そう、独り言のように、小声で云った。
健太は、何だか胸が熱くなった。
それを振り切るように、
「さあ、仕込み仕込み、ほら大将も」
こうして以前の光景が戻った。
夕方になり、健太とさだ子さんは出発した。
サカエヤの駐車場で、支度を始めたら、
「あら〜、お兄さん久しぶりね、怪我したんだって?仕事に戻れて良かったわね」
何人かの方に同じ言葉をかけて貰った。
そして皆さん必ず、
「彼女、頑張ってたわよ」
そう云った。
暖かいな。皆さん……。
健太は、感謝の気持ちで胸がいっぱいになった。
そしてキッチンカーに乗って、さだ子さんと準備を進めた。
その日はいつもより売り上げが良かった。
翌日は、大家さん夫妻が来てくれた。
「大丈夫そうね、林さん」
「はい、おかげさまで!さて、何がいいですか。ジャンジャン焼きますよ。ささやかなお礼です」
✴️✳️
奥さんは笑いながら、
「この歳になって、ジャンジャンなんて食べられないわよ」
「いや、食うぞ!せっかくの快気祝いだ」
「お父さんたらもう」
「そうです、快気祝いのつもりで、遠慮なく注文してくださいね」
「実は、女房から訊いた時は、冷や汗をかいたよ」
「すいません、ご心配をおかけしまして」
「治ったんだ、それが一番。じゃあオレは、
つくねと、ねぎまを頼む」
「あれ?ちっともジャンジャンじゃないけど」
健太が云うと、奥さんが、
「これぐらいが丁度なの。私も同じのを貰うわ、だから二本づつね」
健太もさだ子さんも、嬉しかった。
何故だか、とても嬉しかった。
仕事帰りの車の中で、健太は、
「明日は月命日ですね、何時頃にいきましょうか」
「私の両親の為に、本当にありがとうございます。林健太さんが良ければ、午前中には海に着いていたいのですが」
「いいですよ。ここからだと一時間弱だから、10時に出ますか」
「はい、途中でお花を買って行きます」
「了解です。10時少し前に迎えに来てくれたら助かりますが、いいでしょうか。寝坊することは無いと思いますが」
「はい、伺います」
アパートに着いた。
さだ子さんは、二人の夕飯を作るつもりみたいだったので健太は、
「さだ子さん、今日は夕飯は止めときます。腹の調子が悪くて」
「えっそうなんですか、薬はありますか?」
「あります、大丈夫です。冷たい物の飲み過ぎだと思いますから」
「分かりました。では私も部屋に戻りますね。お疲れ様でした」
「さだ子さんも」
✴️✳️