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いま行くからね

僕の姉は子供の頃から大の動物好きだった。

残念ながら獣医になるには偏差値が足りなかったようで、それでも動物が幸せになる仕事に就きたいと、今はペットセラピーなる仕事をしている。

現代社会では、動物も人間と同じようにストレスを抱え、心や体を病んでしまうケースが増えているらしい。


そして僕と姉は同じマンションに別々の部屋を借りて住んでいる。

僕の方が先に住んでいた。そこへ姉が引っ越して来たのだ。


「日曜だからっていつまでも寝てないで、

いい加減に起きなさいよ!翔吾」

つまりはお目付役だ、こんな風にね。

「朝まで仕事だったんだよ、寝坊くらいさせてくれよ」


「その考えは、間違いです。起床時間は平日も休日も同じにすることが健康維持には大切なのよ」

「でもさ〜」

「ほら、起きて。いい天気なんだからお布団を干さないともったいないわよ」


姉の由子は推しが強く、一度云い出したら絶対に引っ込めない。

悔しいが云ってることも正しいのだ。

判ってはいるんだよ僕だって、しかし寝坊したっていいじゃないか。

たまにはさ、昼まで寝たいんですよ。


例え健康維持に反しても、わーーー!

「翔吾がグズグズしてるから布団を剥ぎました。さ、干しましょうね」

「寒い」

「ちょうどいいからベランダに布団を運んで。お日様が暖かいわよ」


あゝ今日も押し切られてしまった。

情けない。

僕は仕方なくベランダに出て布団を干す。

「翔吾の冷蔵庫には何にも入ってないのね。マヨネーズとかバターとかくらいで」


「だって料理なんかしないからね。買っても腐らせるだけだよ」

「だからって、お豆腐とか卵くらい有ってもいいと思うよ。冷奴で食べるぶんには手間がかからないし、ゆで卵だってそうでしょう?」


「まあね、でも面倒臭いよ買い物が」

「ズボラもよくぞここまで極まれりだわ」

「もういいだろ、帰って掃除でもすれば?」

「云われなくても帰ります。せっかくランチを奢ってあげようと思ってたのに、じゃあねバイバイ」


やれやれ、やっと僕の日曜日が戻って来た。

僕だって姉には感謝してる。

早くに母を亡くしたから姉は僕の母親代わりになって面倒を見てくれた。

オヤジは居ない。


お袋が亡くなったら別の女と、サッサとくっついて、何処に行ったのか知らない、興味もない。

「そう云えばランチとか云ってたな。Uber eatsにでも頼むとするか、もう少し配達料が安くなると助かるんだが、薄給だから」


昼メシを食べたら急激に睡魔が襲って来た。

僕はベランダに干した布団を抱えてベッドに敷くと、そのまま倒れ込んだ。

久々にお日様の匂いを嗅いだ僕は、アッという間に眠りに落ちた。


目が覚めたら、時計はもうすぐ夜の7時になるところだった。

「なんだよ、もう夕飯の時間じゃないか」まだ昼に食べた物が胃の中でこなれてない。当然、腹は空いてない。


「ふらっと散歩にでも行くか」

翔吾は表に出ると、のんびり歩くことにした。

ここは新宿である。

平日は仕事帰りのサラリーマンやOLで賑わっているが今日のような休日は遊びに出て来た人達で混雑している。


翔吾は目的も無く、見慣れた街を歩いた。

「あのカップルは映画を観てたんだな、パンフレットを持ってる」

夕食を何処で食べるかをスマホで探してる人。デパ地下で買うことにしたらしい主婦のグループは伊勢丹に入っていった。

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歌舞伎町の入り口に差し掛かる。

色んな意味で有名な場所だ。

通り過ぎようとした時、チンピラ2人に

絡まれてる女性がいるのが目に入った。


「ね〜遊びに行こうよ〜キレイなお姉さん」

「楽しいよ〜ん」

その女性はチンピラに後ろから抱きつかれているが黙っている。

   

   〔あ〜あ、可哀想に〕 


そう思って僕は見ていた。


「なんで黙ってるの?OKってことだね」

「よおーし!呑みに行こうぜ!」

チンピラが女性の腕を掴み引っ張った。

「アンタらいい加減にしなさいよ!」

そう云うと女性はチンピラのスネを、踵で思い切り蹴った。


もう1人が女性の胸ぐらを掴んだ。

彼女はソイツの顎に両手を当てると力を入れて押す。

チンピラの顔は上を向いてしまい、そのまま後ろによろけて尻餅を着いた。

痛みで蹲るチンピラ2人に

「二度と女にちょっかいを出すんじゃないわよ!わかったわね!」

そう云うとその場から離れた。


姉は護身術を習っていたのだ。

「翔吾、来て!」

「あゝ、付き合うよ」

姉はチキンの6ピースパックを買うと、店内で食べ始めた。


お客さんたちは、チラチラと姉を見ている。

女性が一人でチキン、6ピースを次々と、食べていく。

注目を集めて当然だろう。


以前にも今日のようなことがあり、その時は姉ではなく、知らない女の子が、絡まれているのを見て、姉が男を打ち負かした。その後に、この店でチキンをワシワシ食べたのだった、6ピース。

後で姉は云っていた。

「怖かった……」と。


その興奮した神経の昂りをチキンを食べることによって、発散しているらしい。

この後、ひどい胃もたれになっても。

けれど今日の姉は別の理由もあるように見える。

怒りだけではなく、悲しみや、やるせなさが姉の表情から感じられた。


マンションに戻るあいだも姉はずっと黙ったままだった。

いつもなら、僕になんだかんだと説教するのに。

マンションに着き、エレベーターに乗った。無言のまま僕の部屋の階に到着した。

お互いに「おやすみ」と云ってエレベーターのドアは閉まった。

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自分の部屋に戻った由子は灯りを点けると、アロマを焚いた。

少しでも自分を落ち着かせたかった。


 🎇  🌠  🎆  🎇  🌠 


『猫は元々、自由気ままな動物なんだろ?

だから飼うのも楽だと思ってさ」


「お留守番などは」

『あのね、俺は仕事してるんだ、毎日に決まってるだろ。猫は自由が好きなんだ、留守番なんか平気だろう』


「ではお仕事から帰宅されたら猫ちゃんと触れ合っていますか?

遊んであげていますか?」

『疲れて帰って来るんだ。酒を飲んで寝ちまうさ。さっきも云ったけど、放っておいても平気だと訊いたから猫を飼うことにしたんだ』


「動物を飼おうと思ったのは、何かきっかけでも?」

『女房が出てっちまったからさ。俺一人じゃ寂しいからだよ』


寂しいのは人間だけではないんだけど。


『何で食欲が無くて元気も無いのか教えてくれるか?どうしたら治るんだ?獣医に診てもらったけど異常はなかったんだよ』

……。


この子は明らかに寂しがっている。

遊んで欲しい。

もっと構って欲しいのだ。

放っておかれるよりずっと抱っこしてて。

そういう性格なんだ。


猫によって性格が違うんだということを、この飼い主さんに、どう伝えたら判ってもらえるのだろう。

{猫とは、犬とは}と、決め付けている人が増えた気がする。


人間と同じで個性があるのに。

そして自分の考えや知識に自信があるから私のアドバイスなど、はなから聴く耳を持たない。


寂しさがストレスになり、元気がなくなっていく。

彼等の悲しみを判ってもらうことが、私に出来るのだろうか。


この仕事を始めてからずっとそう思い続けたままだ。

由子は溜息をついた。

「シャワーを浴びて寝ることにしよう」

独り言だった。


   新しい週の始まり


「翔吾、ちょっとこれを見てくれ」

「はい……」

僕はこの出版社を作った小野江さんから原稿を受け取り、読んでみた。

「どう思う」

「いい絵本だと思います。娘さんの描いた絵もとてもいいですね」


「ワタシもそう思うんだ。これを2500行こうと思うんだが翔吾は何か意見はあるか」

「僕は3000でも、イケると思いますが」

「強気だな、よし3000で行こう」

「ハイ!」


僕は大学を出て直ぐに小野江さんが作った小さな出版社、【水夢社】に入った。

年に3000部前後の本を3〜4冊出版している。


20年前辺りから流行り出した[ひとり出版社]

本当に世の中に出したいものだけを出版する。

なんて贅沢なんだろう!

だから大変だけど仕事が楽しい。


そうだ、姉にペットセラピーに関する本を出さないか声をかけてみるか。

いいものが出来たらの話しだけど。

訊くだけ訊いてみるのもいいかもしれない。

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ペットセラピーは私が自分でやりたくて選んだ仕事だ。

この仕事だけじゃ、まだ生活が成り立たないので、私の場合は動物病院に就職して、グルーミングや受付の仕事等もやっている。


知っての通り、動物は自分で話せない。


「ここが痛いんだ」

「甘えたいけど出来ない。それが寂しい」

「飼い主さんと遊びたい」

「僕のこともっと見て欲しい」


だから飼い主さんの考え方や動物との

接し方をよく訊くことが大事になる。

根気よく行こう! 諦めるな!

由子は改めて決意した。


帰宅した由子に動物病院から電話がかかる。

病院内にあるペットホテルでお預かりしている小型犬が餌を一口も食べない上、

元気もないらしい。

獣医師は往診から病院に戻る途中だという。


看護師はいるが私にも来てもらいたい、とのことだった。


「判りました、いま行きます」

マンションの廊下で仕事を終えた翔吾と

すれ違った。

「あれ、どこ行くの」

「病院に戻るの。ホテルに泊まっている子が元気がないらしい」

「そうなんだ、姉さんも大変だなぁ。気をてな」

「ありがと、行ってくる」


[大丈夫だよ、不安にならなくてもいいよ

ずっと傍にいるからね]

そう伝えたい。


由子は表に出ると、人混みを避けながら

ネオンが眩しい新宿の街を駆け抜けた。


       了


        
























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