空気の温度 (1)
「あ〜やっと昼だぁ。疲れと眠気で、仕事がさっぱり捗らなかったな」
僕は、首を前後左右に動かしてみる。
多少、凝りがほぐれるような、気がするからだ。
「理玖、昼飯はどうする」
向かいのディスクから、豊が声をかけて来た。
「僕は弁当」
「お馴染み、母ちゃんの手作り弁当か。実家住まいは、いいよなぁ」
「僕だってたまには、外食がしたいさ。だけど朝起きて来るだろ。問答無用で弁当が出来てるんだから」
豊は笑って訊いていた。
「無言の圧ってやつだな。じゃあ俺は社食に行くわ」
豊が行った後、僕はお茶でも淹れようと、自分用のマグカップを手にポットのところへ行った。
先に使ってたのは、僕の隣りで仕事をしている、速水桜花という同じ歳の女性だった。
彼女が振り返った時、手にしていたのは、カップラーメンだった。
「柳さん、お先に」
そう云って速水さんは、自分の席まで、時折「アチチチ」と云いながら、カップ麺を運んで行った。
「速水さんは、カップ麺をよく食べてるけど、節約でもしてるのだろうか。しかもかなり独特な食べ方をする人なんだよな」
僕は、お茶を一口飲んでから、弁当を食べ始める。
そして毎回、弁当の蓋を開けるのが、少しばかり怖い。
しかし蓋を取らないと、食べられない。
仕方なく、恐る恐る持ち上げてみる。
「あ〜やっぱりあった」
白飯の上に今日もある。
【ノコスナ】の、海苔の文字。
正直、これを見るのは辛い。
とにかく恥ずかしいので、海苔文字の部分から食べることにしている。
「今日は椎茸だよ、全く」
甘く炊いた椎茸が、3つも入っていた。
僕は、小学校を卒業する頃から、偏食になった。
そうなったのには原因がある。
ただ、それをお袋には話してはいない。
お袋は、好き嫌いが多い子供だと思ったのだ。だから毎日一品だけ、嫌いなおかずを弁当に入れるようにした。
それは中学、高校と続いた。
だけど大学時代は、さすがに手作り弁当は持っていかない。
4年間、一人暮らしをするようになった僕は、また偏食に戻っていた。
そして、お袋の弁当が、僕が社会人になって、また復活したのだ。
偏食と、好き嫌いは違う。
お袋には申し訳ないが、友達に食べてもらっていたのだ。
僕が、食べられる物が増えるようにと、工夫をして作ってくれるお袋に感謝している。
海苔文字さえ無ければ、もっと。
カップラーメンの、いい匂いがし、僕は隣に目をやった。
速水さんは、スマホでYouTubeを観ている。
もうラーメンは出来てるだろうに、
蓋も剥がさず、放っておく。
僕は以前、速水さんに訊いてみたことがある。
「食べないの?延びちゃうよ、ラーメン」
すると彼女は、こう云った。
「ワザと、こうしてるの」
「ワザと」
「そう、麺がスープを全部吸ってくれるのを、待ってるの。その方が好きだから」
「へぇ。そうなんだ」
それ以上、僕は何も云わなかった。
かなり個性的だけど、食べ方は人それぞれだし。
何より僕が人のことを云えた身分ではない。
でも、冷めちゃうよな。
速水さんは、気にならないのだろうか。
ーー私が小学3年生の時だーー
「ママ〜ただいま」
「お帰りなさい梢ちゃん。お友達は?」
梢ちゃんが振り返る。
私は彼女の後ろから、出て来ると、挨拶をした。
「梢ちゃんのママ。こんにちは」
「桜花ちゃん。いらっしゃい。寒かったでしょう。早く上がって上がって」
「ママ、今日のおやつはなぁに」
「ママが作ったケーキよ。梢ちゃんが食べたいって云ってたでしょう」
それを訊いた梢ちゃんは、
「わーい」と云いながら、靴を脱ぎ捨てて、廊下を走って行く。
私も靴を脱ぎ、自分のと梢ちゃんの靴を揃えた。
甘い匂いが、玄関まで漂って来ている。
居間には、梢ちゃんのパパも居て
「桜花ちゃん、いらっしゃい」
そう云って微笑んだ。
「こんにちは」
と、私は応えた。
「さて、そろそろ仕事の続きをしないと。桜花ちゃん、ゆっくりしていって」
そう云うと、梢ちゃんのパパは、自分の部屋に消えた。
目の前にある、梢ちゃんのママ手作りの、苺のケーキ。
レモンの香りがする飲み物から立ち昇る湯気。
この家の、全てが暖かいと思った。
梢ちゃんのママとパパの笑顔も。
苺がたくさん乗っているケーキも。
蜂蜜とレモンの飲み物も。
家の中が、こんな風に、暖かくなることってあるんだ。
私が自分の家で、一度も感じたことのないもの。
それが友達の家には、当たり前のように、溢れていた。
続く
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