空気の温度 (1) 24 紗希 2024年1月28日 05:53 「あ〜やっと昼だぁ。疲れと眠気で、仕事がさっぱり捗らなかったな」僕は、首を前後左右に動かしてみる。多少、凝りがほぐれるような、気がするからだ。「理玖、昼飯はどうする」向かいのディスクから、豊が声をかけて来た。「僕は弁当」「お馴染み、母ちゃんの手作り弁当か。実家住まいは、いいよなぁ」「僕だってたまには、外食がしたいさ。だけど朝起きて来るだろ。問答無用で弁当が出来てるんだから」豊は笑って訊いていた。「無言の圧ってやつだな。じゃあ俺は社食に行くわ」豊が行った後、僕はお茶でも淹れようと、自分用のマグカップを手にポットのところへ行った。先に使ってたのは、僕の隣りで仕事をしている、速水桜花という同じ歳の女性だった。彼女が振り返った時、手にしていたのは、カップラーメンだった。「柳さん、お先に」そう云って速水さんは、自分の席まで、時折「アチチチ」と云いながら、カップ麺を運んで行った。「速水さんは、カップ麺をよく食べてるけど、節約でもしてるのだろうか。しかもかなり独特な食べ方をする人なんだよな」僕は、お茶を一口飲んでから、弁当を食べ始める。そして毎回、弁当の蓋を開けるのが、少しばかり怖い。しかし蓋を取らないと、食べられない。仕方なく、恐る恐る持ち上げてみる。「あ〜やっぱりあった」白飯の上に今日もある。【ノコスナ】の、海苔の文字。正直、これを見るのは辛い。とにかく恥ずかしいので、海苔文字の部分から食べることにしている。「今日は椎茸だよ、全く」甘く炊いた椎茸が、3つも入っていた。僕は、小学校を卒業する頃から、偏食になった。そうなったのには原因がある。ただ、それをお袋には話してはいない。お袋は、好き嫌いが多い子供だと思ったのだ。だから毎日一品だけ、嫌いなおかずを弁当に入れるようにした。それは中学、高校と続いた。だけど大学時代は、さすがに手作り弁当は持っていかない。4年間、一人暮らしをするようになった僕は、また偏食に戻っていた。そして、お袋の弁当が、僕が社会人になって、また復活したのだ。偏食と、好き嫌いは違う。お袋には申し訳ないが、友達に食べてもらっていたのだ。僕が、食べられる物が増えるようにと、工夫をして作ってくれるお袋に感謝している。海苔文字さえ無ければ、もっと。カップラーメンの、いい匂いがし、僕は隣に目をやった。速水さんは、スマホでYouTubeを観ている。もうラーメンは出来てるだろうに、蓋も剥がさず、放っておく。僕は以前、速水さんに訊いてみたことがある。「食べないの?延びちゃうよ、ラーメン」すると彼女は、こう云った。「ワザと、こうしてるの」「ワザと」「そう、麺がスープを全部吸ってくれるのを、待ってるの。その方が好きだから」「へぇ。そうなんだ」それ以上、僕は何も云わなかった。かなり個性的だけど、食べ方は人それぞれだし。何より僕が人のことを云えた身分ではない。でも、冷めちゃうよな。速水さんは、気にならないのだろうか。ーー私が小学3年生の時だーー「ママ〜ただいま」「お帰りなさい梢ちゃん。お友達は?」梢ちゃんが振り返る。私は彼女の後ろから、出て来ると、挨拶をした。「梢ちゃんのママ。こんにちは」「桜花ちゃん。いらっしゃい。寒かったでしょう。早く上がって上がって」「ママ、今日のおやつはなぁに」「ママが作ったケーキよ。梢ちゃんが食べたいって云ってたでしょう」それを訊いた梢ちゃんは、「わーい」と云いながら、靴を脱ぎ捨てて、廊下を走って行く。私も靴を脱ぎ、自分のと梢ちゃんの靴を揃えた。甘い匂いが、玄関まで漂って来ている。居間には、梢ちゃんのパパも居て「桜花ちゃん、いらっしゃい」そう云って微笑んだ。「こんにちは」と、私は応えた。「さて、そろそろ仕事の続きをしないと。桜花ちゃん、ゆっくりしていって」そう云うと、梢ちゃんのパパは、自分の部屋に消えた。目の前にある、梢ちゃんのママ手作りの、苺のケーキ。レモンの香りがする飲み物から立ち昇る湯気。この家の、全てが暖かいと思った。梢ちゃんのママとパパの笑顔も。苺がたくさん乗っているケーキも。蜂蜜とレモンの飲み物も。家の中が、こんな風に、暖かくなることってあるんだ。私が自分の家で、一度も感じたことのないもの。それが友達の家には、当たり前のように、溢れていた。 続く ダウンロード copy いいなと思ったら応援しよう! チップで応援する #連載小説 #読んでくれてありがとう #暖かい #未体験 #お腹が空いた #羨ましさ #久々の連載 #書けるか不安です 24