白の哀しみ 20 紗希 2022年11月4日 19:20 「ええ、そうね。え?フフフ、やめてよ」温まったようだ。僕は皿にメシをよそうと、コンロのスイッチを切り、鍋の蓋を開けてカレーをよそい、メシにたっぷりかけた。その皿をテーブルに置くと次に冷蔵庫からサラダを取り出しカレーの横に置いて、食べ始めた。「じゃあね」いけね、水を忘れた。「電話を終えたんなら悪いけど水を持って来てくれない」お袋は、無言で冷たいミネラルウォーターをコップについで、テーブルに置いた。「サンキュー」「今度の週末、旅行に行くから」「あ、そ」台所を出ようとしているお袋に声をかけた。「オヤジにバレないようにしろよ」お袋は、立ち止まると僕を見た。「男と行くんだろ。何をしようがお袋の勝手だけどオヤジには判らないようにやってくれ。いざこざは迷惑だ」「偉そうに」そう云ってお袋は出て行った。パートに行く時間になっていた。オヤジは世間でいう一流企業に勤めている。家にいても、あまり話さない静かな男だ。お袋とは真逆で。祖母が云うには、二人は大恋愛の末に結婚したらしい。ホントかよ?と思ってしまう。結婚したら、大恋愛の魔法も消えてしまうってことか。祖母は誰から訊いたんだろう。確かめようにも祖母はもういない。川に落ちて、あの世にいった。晩年はアルツハイマー型の認知症になり、一緒に暮らしていた長男夫婦も大変だったと訊いた。オヤジも様子を見に行っては、暗い表情で帰宅した。「あんなに明るくて、しっかりしていた母が別人になって行く。行く度に壊れたようになっている……」そう云って、うなだれた。そんなオヤジが気の毒だった。僕には兄がいる。だけど大学に受かると、さっさとこの家を出て行った。もちろん兄もお袋に男がいるのは知っている。「好きにすれば。ただし俺にも弟の岳にも迷惑はかけるな」と、お袋に伝えた。僕は今、高一だが、お袋に男がいることは小学生の頃から、何となく気づいていた。息子の前でも、ああして堂々と相手に電話をするくらいだ。判るだろう、普通。「これを食べたら僕も学校に行かなきゃ」カレーをかき込みサラダを詰め込むと、僕は朝メシを食べ終えた。「早川さん今日もだわ」「社長とイチャイチャ。みんなの居るところで、よくやるわ」「訊いた話では、社長は早川さんから借金をしているらしい」「経営が上手くいってないらしいものね。それにしてもねぇ」「今に始まったことじゃないよ、早川さんは。以前のパート先でも、男がらみで周りと対立してたのを、わたし見たもの」「どんな風に?」「阿部さんていう社員の男性が早川さんのお気に入りで、パートの女性と阿部さんが、雑談してるのを見た早川さんは、怒鳴りつけたんだ」「怒鳴りつけた!?な、なんて云ったの」「『ちょっと、馴れ馴れしく彼と話さないでくれる。阿部さんは私のものなんだから!』って云ってた」「……」「なにそれ、怖いんだけど」「早川さんの以前のパート先って、竹田工業よね」「そう。潰れたけど。だからここに移ったんだよ。早川さんもわたしも」「ひょっとして竹田工業も早川さんから借金を……」「考えられなくはないけど、阿部さん個人が借りたのかもしれないし」「どっちにしろ、お金絡みな気がするね」週末、お袋は旅行に行った。オヤジは何も云わない。お袋のやりたいようにさせている。自分の家内が浮気してるかどうか、判りそうだけど。僕なら気がつくと思う。早く大学に進学して、僕もこの家を出たい。日曜の夕方、お袋は帰宅した。たくさんのお土産を持って。「あ〜楽しかった。岳、こっちの袋に干物が入ってるから冷蔵庫に入れて」「めんどくさいなぁ」ソファーに寝ていた僕は、渋々おき上がり、干物を袋から出す作業を始めた。ここでお袋は、ようやくオヤジに、「ただいま帰りました」と云った。「おかえり」オヤジはそう云いながら、お袋を見た。「そのブラウス買ったのか」「ええ、職場の近くにあるブティックでセールをしてたから」「白は汚れが目立つのに」オヤジの言葉に、お袋はカチンときたようだ。「汚さないようにするもの」プイッと横を向き、着替えに行った。その夜遅く、僕は2階の自分の部屋で勉強をしていた。すると、下から音が訊こえる。バタンとかドン、とか……。オヤジもお袋も何してんだ。20分くらいで音は止み、静まり返った。様子を見に行こうかと、そう思った時だ。怖い!そう思った。何故だか判らない。けれど僕は……。下に行くのが嫌でたまらなくなっていた。行きたくない!見たくない!体が震え出していた。“行かなきゃ”僅かに残っているその気持ちだけで、僕は部屋を出た。手摺を強く握りしめて、僕は階段を降りた。オヤジとお袋は別々の部屋で寝ている。音がしたのはお袋の寝てる部屋だ。ゆっくりとドアを開けた。真っ暗な部屋にオヤジが座っているのが判った。お袋は布団に寝ている。「オヤジ?」「白は少し汚れただけで目立ってしまう」僕はお袋の枕元まで行った。叫びそうになるのを両手で必死に口を押さえた。お袋は、目を開けたまま息をしていない。首には紐が巻きついていた。「出会った頃から真っ白な人だと思った。結婚して最初の何年かは、清潔で、どこにもシミひとつなかったのに」「オヤジ、なんでこんな……」「日に日に純白が汚れていくのを見るのは辛い」「真っ白なままで、いて欲しかったのに……」オヤジは泣いていた。そして僕を見た。「岳、大切な人が、壊れていくのを見るのも苦しいもんだ」「壊れる?誰がこわれーー!!」まさか……嘘だろ……婆ちゃんは、滑って川に落ちたんじゃないのか?オヤジ!違うのかよ!この家はどうなってるんだよ!なぁ なあ! 教えてくれよ!! 了 ダウンロード copy いいなと思ったら応援しよう! チップで応援する #短編小説 #機能不全家族 #ありがとうございました #白い世界 20