BUMP OF CHICKEN「Small world」歌詞の意味を考察 映画すみっコぐらし主題歌
世界との距離、過去と今と未来のズレ、言葉の限界と共有できない想い、わかり合える小さな世界。以上4個が「Small world」の重要な要素だ。「Small world」の歌詞には藤原基央らしさがあり、過去の楽曲との共通点がある。これが本稿の要点だ。本稿は約5700字であり、全文が無料だ。名乗り遅れましたが、街河ヒカリと申します。
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BUMP OF CHICKEN の新曲「Small world」は2021年11月5日公開の『映画 すみっコぐらし 青い月夜のまほうのコ』主題歌である。映画公開に先立ち11月1日に「Small world」の配信がスタートした。
本稿では、「Small world」の歌詞を考察、解釈する。
BUMP OF CHICKENの楽曲はこれまでにも様々なアニメや映画などの主題歌となったが、かつて藤原基央はインタビューでこう述べた。
私が「Small worldの歌詞は、映画すみっコぐらしのこのキャラクターを表現していて」などと書くこともできるかもしれないが、藤原基央はこのように述べている。さらに、本稿執筆時点では映画が未公開である。よって、私は映画と切り離して「Small world」の歌詞を考察する。
まずイントロが長い。24秒ある。
近年はサブスクが普及したため、最初にリスナーの興味を惹く必要が生まれた。他のミュージシャンの場合はイントロを短くして最初をサビにする曲も増えているらしい。BUMP OF CHICKENの場合は「新世界」が最初からサビだった。
しかし「Small world」はちがう。映画館で鑑賞するため、途中で聴くのをやめる可能性が低いからだろうか。
アルペジオが美しい。
藤原基央が自分の人生を歌っているようにも思える。自分には音楽しかない、という意味だろうか。
藤原基央らしい歌詞だ。
目の前に「君」がいないから「君」を想う。
「君がいるから僕は寂しくない」と歌ったりはしない。
藤原基央の歌詞では「君」と「僕」は独立した個人であり、二人は一つになれない。
ここでは「寝るまで」と歌っているが、サウンドが穏やかでまるで子守歌のようにも感じる。
藤原基央の歌声が優しく、美しい。
夕陽が沈むように「秘密のため息」も沈む。
「どうしてわかるの 同じだったから」は「Small world」で繰り返されるので、最後に意味を考えることにしよう。
ここで一気に盛り上がる。
最後に「僕らのもの」を優しく歌い、着地する。言葉と歌声がマッチしている。
「僕ら」は世界と一つにならず、世界の中心にはいない。二人だけの小さな世界つまり「Small world」にいる。
ここもまた藤原基央らしい。藤原基央は世界との距離を取った歌詞を書く。
BUMP OF CHICKENの曲「GO」でも距離を歌っていた。
知らない誰かや関係のない誰かが集まり世界が形成されることを、肯定も否定もせずに受容しているように思える。
ドラムとベースが入り、さらに彩りが豊かになる。
「なっていた」の直後にベースが歌うように盛り上げる。
言葉ですべてを伝えることはできない。言葉には限界がある。藤原基央の歌詞は心と言葉を区別している。
たぶん「君」は涙を流しているのだろう。
「僕」が知らない「君だけの思い出」から涙がやってくる。
直前の歌詞で「ただ喋れなくなっていた」と書いたが、おそらく同じ場面だろう。
「僕」はどうしたらいいのかわからず、ただ側にいることしかできなかった。
ところで多くのリスナーが気づいただろうが、THE BLUE HEARTSの曲「情熱の薔薇」には同じ歌詞がある。
かつて「君」が「僕」の側にいてくれたから、だから「僕」もせめて今「君」の側にいようと思った。
「まんまるの月」という言葉がかわいい。
初期のころから藤原基央は過去と今のズレを歌ってきた。過去から見た未来と、思い通りにはいかない今を歌ってきた。
きっと「僕」は大切な夢があったのだろう。
夢は綺麗だ。だけど現実は厳しい。夢を叶えることができていない。
いっそのこと夢を叶えずに夢のままにしておければ、夢を汚さなくて済むかもしれない。
でもそれじゃあダメだ。
変わりたい。でも変われない。
そんな葛藤が伝わってくる。
「流れ星」は夢を叶えるチャンスの比喩だろうか。
チャンスを逃してしまったダメな僕だけど、でも君に出会えた。だからこんな僕でよかった。
そんな不完全な幸せを歌っているのだろうか。
歌詞にはないがここで藤原基央が「ラララ」と歌う。毎度おなじみだ。
藤原基央といえば天体観測の「オーイエイエ アアーン」が有名だが、いくつもの曲で「オーイエ」や「ラララ」と歌っている。
1番の歌詞をリフレインする。しかしここで歌詞の意味が厚くなる。
「僕」だけじゃないたくさんの人たちの願いが空に散らばっている。それを「散らばった願いの欠片」と表現したのだろう。
「パレード」とは何だろう。夢を叶えて栄光を手にした人たちのパレードかもしれない。「僕」は栄光を手にすることができない。
「誰かの歌う声」も同じで、僕は歌うことが出来ない、でも歌うことが出来る誰かがいる、そんな距離を感じているのかもしれない。
1番の歌詞にさらに「僕らのもの 僕らのもの」と歌詞を加えている。
藤原基央はラジオ番組でこう語った。
ここでもまた「どうしてわかるの 同じだったから」だ。
直前で「僕らのもの 僕らのもの」と繰り返している。「僕」でなく「僕ら」だ。
1番で
と歌ったが、歌詞全体を通して聴くと、「君」と「僕」はお互いに知らない何かを抱えているらしいことが分かる。
「どうしてわかるの」の「わかる」は「知識がある」や「相手の秘密に気づく」という意味ではないだろう。もっと深いところで「心と心が通じ合う」という意味だろう。
「同じ」とは、
「君も秘密のため息を沈めて隠したから僕と同じ」なのかもしれないし、
「一人だけの世界で向き合う寂しさは僕も君も同じ」なのかもしれない。
「笑った顔が同じ」なのかもしれない。
「君が僕の側にいたように、僕も君の側にいたから、僕らは同じ」なのかもしれない。
「僕の深いところにある大切な気持ちは君にはわかるはずがないと思っていた。でも君は僕と同じことをしていたから、実は君も、僕と同じ大切な気持ちを君の深いところに抱えていたということに、僕は気づいた。どうして君と僕は通じ合えたのだろう。」
「どうしてわかるの 同じだったから」は、そんな意味ではないだろうか。
「Small world」は全体を通して、
「君と僕は何も喋らなくても心と心でつながっている。」
という関係を歌っている。
「Small world」では夕陽を歌うが、BUMP OF CHICKENの「真っ赤な空を見ただろうか」も、タイトルの通りに夕日を歌っていた。「君」と「僕」の関係も似ている。
「夜が騒ぐ」とは何だろう。またここで「僕ら」は世界と距離を取っている。
ここで突然出てくるポップコーン。ポップコーンがポップしている。「ポップコーン」に論理的な意味はないだろう。唐突ではあるが、「ポップコーン」が歌詞に深みを与えている。
パレードはクライマックスらしい。
最後に「僕らを飲み込む」と歌っている。かなりトリッキーだ。
一般的には「飲み込む」はネガティブな文脈で使われるだろう。「津波が街を飲み込む」のように。
しかし「Small world」では「飲み込む」がネガティブではない。ポジティブでもない。フラットだ。
夕陽、パレード、月、クライマックスのパレード、というように歌詞の流れと共に時間が流れている。
「ささやかな世界」つまり「Small world」は大きな世界の中にある。
パレードが進もうが、誰かが歌おうが、「僕ら」の大切な「Small world」が壊されることはない。
だから「僕ら」は世界に立ち向かう必要もないし、世界から逃げる必要もない。
関係ない世界が僕らを飲み込んじゃっても、僕らは大丈夫だ。
だから「僕ら」は、関係がない世界に溶け込んでいく。
諦めよりももっと強い、受容がある。
結局、この曲はハッピーエンドでもバッドエンドでもない。ただ飾らずに素直な想いを歌っている。
直井由文はラジオ番組でこう語った。
たしかに、2016年のアルバム『Butterflies』から2019年のアルバム『aurora arc』までと比較すると近年の曲は音数が少ない傾向にある。
「Small world」は歌詞の内容と音数の少なさが相乗効果となり、素直さと優しさを生んでいるように感じた。藤原基央の歌声の美しさが活かされている。
2014年の『RAY』から『Butterflies』までは歌詞が抽象的であり難解だった。『aurora arc』にも難解な歌詞があったが、具体的な歌詞も再び増えてきた。
「Small world」の歌詞は具体的だ。平易な語句を使っている。良い意味で脱力感があるように思えた。わざとらしさはなく、かっこつけている感じもしない。
近年のBUMPの曲は、曲ごとに個性があり、幅が広い。「Small world」が、BUMPの中にまたひとつ彩りを加えてくれたのだと思う。
以上です。ありがとうございました。
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