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心の声に従うということ

久しぶりのnote。
仕事として書くのであれば、きちんと材料を探して、コツコツと続けることが一番なのだと思うのだけれども。それは頭ではわかっていることなのだけれども、どうも、続かない。
これがいいとは思わないけれども、そんな私も私なんだよなぁ、とスタンスをちょっと今は変えて、書きたいと思ったことを書いていくことにした。その方が、身体の奥から出てくる言葉を表現でき、そしてそこに感情がのる、思いがのる、だから伝わりにくいものになる可能性も高いけれども、伝わることにもなると感じることが増えたからだ。


2年程前に移住先の台湾から戻ってくることを決めて、怒涛の状況の中で、個人的には精神的にも身体的にも限界を超えるような過酷さをなんとか乗り越えて日本に戻ってきた。当時はまだコロナ禍で日本と台湾を自由に行き来できず。何かあっても台湾から日本に帰国するために帰国を決めてからどうやっても2−3日かかるような状況だった。
フライトではたった3−4時間なのに。週にフライトも3−4本あるかないか、運が悪ければフライトがキャンセルされ、乗っていても私含めて10数名乗っているかどうかという。その時には厳しい状況で飛行機を飛ばし続けてくれていた航空会社に心から感謝しかなかった。


若い時には色々あって。ちょっとここでは書けないようなこともたくさんあったのだけれども。でも、何か大きな大きな転機となる様なことを決める時には、心の声に従ってきた様な気がする。

地元ではなく新興の高校に進学を決めた時にも、大学を選んだ時にも、阪神大震災の時にも、就職も、転勤も、転職も、そして移住して台湾に住みながら仕事をすることを決めた時も。もう1年住んでいたら永住権を取得できていたはずの台湾から日本へ帰ることを決断した時にも。企業に属さず、独立することを選んだ時にも。

選ぶ時には、心がワクワクすることを、面白そう、楽しそう、と思えることを、選ぶようにしている。


恩師のお一人が「自分の人生のハンドルは自分で握る」という表現をされていたのだけど、自分ではそれをし続けてきたつもり。
それによって、なかなか経験しないだろう経験を数多く重ね、先日北海道旅で長時間のドライブを車を走らせながら友人に質問されながら話をしていた時に、見た目と雰囲気と全く違うと驚かれたりもしたけれど。でも私だけではなくみんなそうなんだと思う、のだ。


話を戻して。
心がワクワクすること、面白そう、楽しそう、と思えることは、決して「楽」なことではないことが多い。これは私の性格もあるのだろうけれど、「楽」なだけでは心が動かない、のだ。
もう一ついうと、ドラッカー学会の理事をしていることもあり、組織において個々の「強みを活かす」なんて話をすることも多いのだけれども、自分の「強み」を活かせることでも、心が動かなければ積極的にやりたいとは思えないし、そこに強制力が働かなければ続かない・・・。


ただ。
自分で選んだことに対して責任が伴うことは、目の前のことに心が動こうが動かなかろうか責任を必ず全うするつもりで向かい合っている。
目の前のことに心が動かないとしても、大きな意味で、大きな方向性として、自分が選んだ時点で自分の心が動いたから選んだわけで。目の前の事象のその先に自分の選んだ心動くことに繋がることがあるのがわかっているから。目的がわかっているから、その途中で大変でも苦しくてもそこは頑張る。乗り越える努力をする。たとえ文句を言うことがあっても投げ出さない。絶対に譲れないもの以外は。


そんなことを、ふと思ったので備忘録も兼ねて記しておこうと思う。



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